“私は本当は魂の存在で、この世には魂の成長のために生まれてきた・・・・”という「スピリチュアルな夢」を長く見ていました。本にも書いたし、ブログで発信もしてきました。
でも、4年前の一瞥体験で、それも夢に過ぎなかったと知ったとき、なぜかショックよりも大きな安堵感に包まれました。
なにかをする必要は、まったくなかったのです。自分を成長させるとか、人生をうまくやっていくとか、なにも。真の私には見事にどうでも良いことでした。
私が崩れた人間関係を修復しなければ、私が頑張って、ビジネスをもっと成功させるのだ、私がもっと愛ベースにならないと、私の魂はちゃんと成長しているのか・・・・、
そんなふうに、私がやらないといけない・・・、と深いところで毎日思っていたことに気づいたのです。生きるということは、“私”が何かすることだと。
なのに、実際は「私不在」ですべてが起きていて、そして織り成すストーリーは、真の私のなかで一瞬、一瞬に移り変わり、消えていき、そして「なんにも起きていなかった」のです。
はぁ~~、脱力。
あっ、だから、世の中の不幸に目をつぶっても良いという話ではありません。
不幸なストーリー、それに心を砕く人々のストーリー、あらゆるストーリーが起こり続けます。
真のあなたは、あらゆるすべてのストーリーそのものだという話です。
川が流れていくように、人生も流れ続けます。それがものごとの生業ですね。
だから、流れに逆らい、人生に背を向ければ、向けるほど、起きていることを嫌がれば、嫌がるほど、苦しみも大きくなっていくでしょう。自分のなかに沸いてくる思いや感情に抵抗し(抑圧し)、出来事に抵抗し、社会に抵抗し、どんどんしんどくなりますね。
でも、もちろん“無駄な抵抗はやめろ”とか、“起きていることをすべて受け入れよう”という話でもありません。
すべての中心だと思っていた「私」が実は存在しない、という真実に目を向けてみませんか?
すると見えてくるのは、あらゆることがただ起きているというシンプルな事実だけ。
川が流れるように、人生が流れていく。
そして、真のあなたは川そのもの、生命そのもの。
だから、深くリラックスして人生を信頼できるという話なんです。
PS:この世を愛するように、スピリチュアルな夢も夢として心から楽しみ、愛し、大切にしています。
今はよくわからないけど、自分の体験の中から少しずつ理解していきます。いつもたくさんのことを私たちとシェアしてくださってありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
いいねいいね: 1人
あゆかさん、ありがとうございます。
まだわからなかったり、真実と感じられなかったりですが、すこし楽になりました。
何よりも「スピリチュアルな夢も夢として心から楽しみ、愛し、大切にしています」という言葉に救われました。
いいねいいね: 1人
名古屋ではご参加頂きありがとうございました。ややこしいですが、後ほど魂のケアのほうのブログでお返事させて頂きますね。
いいねいいね
ブログを拝読するだけで、一瞥体験などほど遠いですが、この記事で、すごくすごく楽に
なりました。すごい癒しのメッセージです。ありがとうございます。
いいねいいね