探求そのものが障害になるの?

真実への探求は障害になるのか?という、ご質問を頂きました。
ご質問をありがとうございます!

“探求、模索こそが障害、と言い切るティーチャーが多いですが、何もしないで解放に至るとは正直思えません。それについてもどう思われますか?”

確かにこういうメッセージよく聞かれますね。

で、どのメッセージもそうですが、そのメッセージのポイントを理解しないで、言葉だけ受け取ってしまうと誤解をしてしまうでしょう。

とりあえず、探求、模索がなぜ障害になるのかを見てみましょう。

ではまず、自分が探求、模索をしているときに何を探しているのか、をちょっと見つめてみてみませんか?

探求や模索は、ほとんどの自我にとって、「今と違った状態」への探求であったり、今分かっていないけど、いつか到達することへの求めだったりするはずです。

二元を超えた状態、時間がない空間に至る、自分の感覚がない状態、または単純に、ずっとポジティブな感覚でいること、などなど。

でも、今自分は二元の状態にいる、時間がある世界にいる、自分っていう感じがバリバリにある、ネガティブな感覚に支配されている・・・、だからなにかをしてその状態や世界に到達するのだ・・・と。

または、例えば瞑想をしようとしたとき、よく自分の思いを見つめてみれば、ほとんどの場合「なにか今より良い状態」や「何かが起きること」を求めているはずです。

つまり多くの場合、「いまここ」にないから求める、ということが前提になっているんです。「いまここ」を離れてしまうんです。

また、一番やっかいなのは、体験から探求するのではなく、思考で探求をしてしまうことです。

“もし、自己が存在しないなら、ではどうして~~~”
“もし、時間がないのなら、なぜ~~~?”

または、頭で聞いた話を一生懸命まとめ、これはこうだとカテゴリー化して、自分が理解できるかたちに持って行こうと頑張っていたり。

確かに今挙げてきたこれらの探求は、すべて障害にしかなりません。なぜなら、無意識に「違う状態になるわたし」や「思考が満足すること」を求めてしまっているため、自我が強化されてしまうんです。

でも、真実へとシフトするために、私はやれることはあると思っています。

探求こそが障害と言い切るティーチャーは、あるとき突然シフトが起き、そのまま自我意識が戻らない人が多いのかもしれません。

イギリスでは、トニー・パーソンズ、リチャード・シルベスター、ネイサン・ギルなどなどの方は、そんなタイプです。

ネイサン・ギルのミーティングでは、自分でミーティングを開いているにもかかわらず、“こんなところに来ても無駄、何やっても無駄”と、連発していました。

一方、アジャシャンティやルパート・スパイラなどは、シフトへのプロセスや一瞥体験後のプロセスを導いてくれます。それは、一見自我が何かをして到達できるかのように聞こえるかもしれません。

でも、彼らのメッセージやガイダンスをよく聞いていると、徹底的に「いまここ」に立ち止まることによって、はじめて見えてくることばかりなのです。

結局、大切なのは自分が探求しているとき、それは「ここにない状態」を探しているのか、または、ここにあるもの(経験)をよく見ていくことによって、探求をしているのか? これが大きなカギになると思います。

なぜなら、いまここにすべてがあり、これ以上ないからです。

このテーマでは、まだ書きたいことがありますが、今日はこのへんで♪

 

探求そのものが障害になるの?」への5件のフィードバック

  1. 匿名

    ありがとうございます!
    今ここに立ち戻ったり、瞑想で、自分というものがいるのかよく見たりすることも個人の探求エネルギーなのでムダ、と思っていました。

    日本では、個人のエネルギーこそが障害と言う大和田菜穂さんがブームのようになり、そのメッセージをきっかけに解放に至った、と言う話しが多いので。
    もちろん良い悪いではなく、色々な人がいて、結局は選択さえ、ただ起こっていることで、するもしないも選べない、ということなのでしょう、、。

    もう一つ、探求と言うのはここにない状態を探す個人のエネルギーであり、健康や成功を目指す努力もおなじ、とのこと。

    ヨガや勉強や仕事も解放の障害になる??と何をしていいかもわからなくなってしまいました、、。

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    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      コメントをありがとうございます。メッセージは、文脈によっていろいろな側面がありますよね。あまり、一つのメッセージを拡大解釈しないほうが良いと思いますよ。頭で解釈しすぎると、必ず混乱します。とりあえずリラックスして、やりたいことはやるというシンプルさでいくのはいかがでしょうか?

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      返信
  2. luminoustar7

    あゆかさん、いつも有り難うございます。

    私は、「ここにない状態」を探しているのか?

    または、

    ここにあるもの(経験)をよく見ていくことによって、探求をしているのか? 

    自分自身に問いかけて、答えを探ってみると、圧倒的に前者なのですが、
    では、後者の「ここにあるもの(経験)をよく見ていくこと」については、
    「HOW?どうやって?」という疑問がわいてきてしまいます。

    昨日シェアして下さったFriends in TruthのYoutubeでもう一度確認してみたいと思います。

    有り難うございました。

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    返信
  3. ラベンダー

    初めまして。
    素朴にわからなかったことが、
    こちらのblogにたどりつき、書かれていたので
    嬉しく読ませて頂いてます。

    ここに在る。という状態は人により、何度か起こる場合もあると思いますが、

    自己を感じる思考がある状態と、
    自己のない体験の間には、パニックのようなものが起こると感じています。

    そうした流れは、実際あるものでしょうか?
    また、その段階はどうするのでしょうか?

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    返信
  4. 匿名

    よく話題になるテーマを、上手く解説されています。

    日本には実践する人が極めて少なく、ずっと一人で目覚めに取り組んで(endeavor:エックハルト・トールの表現)いました。 文章を読んだり、言葉を聴いて、その「内容」を頭で理解しようとすると、その解釈や分析に陥ったり、誤解したり、判らなくなるります。 思考を超えた世界なので。
    言葉は月を指す指、「ポインター」、エックハルト・トール、大和田菜穂さんも、そう言っていました。

    実践はどうするか、「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」にも書かれています。

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