どうしたら目覚めた状態でいられるの?

私もそんなふうに思っていたので、ある意味とてもよく分かる質問があります。

それは、 “どうしたら非二元の感覚(状態、etc)になれるんですか?” とか、 “その状態にずっといるんですか?”というものです。

そのたびに、“状態ではありませんよ~。”とお返事しています。

どんな例えも完璧ではなく、途中から使えなくなるのですが、とりあえずBernardo Kastrupというオランダの科学者の例えを使ってみたいと思います。彼は、人は脳によって世界を認識しているという主流の科学に対して、脳ではなく一つの意識ではないかということを見事な理論で展開している人です。

で、一つの意識とは、量子学がいう量子フィールドでもあり、彼はそれを水(無限の大海のようなものをイメージしてみてください)に例え、それに対して個の意識、つまり自我を渦巻きに例えています。

渦巻きは動き続けているから形になり、あたかも個として現われているように見えますが、実体は水ですよね。

これを非二元、「空即是色」に例えると、「空(くう)」が水で「色」が渦巻きに置き換えられと思います。

で、渦巻きである自我は、自分は水でできているということを忘れている、とイメージしてみてください。

ついでに水もまったく目に入らず、でも、他の渦巻きとか流れてくる木屑とか、注がれる太陽の光など、水以外のモノは目に入るとイメージしてみてください。

水が目に入らない理由は、あまりに当たり前でいつもあるからです。

でも、渦巻きの本質は水であって、水そのもので、水以外になれません。

まったく同じように、私たちの本質は空(=気づきの意識)であって、空そのもので、空以外になれないんです。

最初の質問をこれに置き換えると、ある渦巻きが、“どうやったら水の状態になれるのでしょうか?”とか、“水の状態でいつもいるのですか?”と、目覚めた(笑)渦巻きに尋ねているような感じなんです。

そうではなく、真の私は、現われては消える渦巻きのほうではなく、常にある水のほうだったとしっかり知ることだけなんです。(体験的に理解する)

でも、このへんからやっぱり例えが崩壊してきました、気づきの意識は水と違い物質感がまったくなく、また動きがあると同時にまったく動いていないのですが、水はまったく動いていない感があまり例えにならないですね。

とりあえず、ポイントは“状態ではない”ということなんです。ここがしっかり理解されないと、思考がなくなった状態とか、自分という感覚がない状態とか、そういったものを探してしまうでしょう。

例えは崩壊するといいつつ、もう少し続けてしまうと、もし、渦巻きがモノを見ることをやめ、動くことをやめたら、自分は周囲の水の中に消えていきます。

瞑想で私が一番良いなと思うのは、最初は自分の呼吸の音、体の感覚、浮かんでくる思い、部屋の中の音、外の音などに意識を向け、何もしないでいる。そのあとに、それらに意識を向けるのをやめて、気づいている意識に寄り添い、ただ何もしないでいる、というものです。

やっている人も多いかなと思いますが、これはかなりパワフルですよね。ただ、これはうまく行けば行くほど、たぶん抑圧していた思いや感情などがわんさか出てくる可能性も大です。

今まで何かをしたり、外に注意を向けることで蓋をしていたものが、パカッと開いてしまうからです。

そのときはどうしたら良いの?というのは、長くなりますのでいつかの機会に。

さて、見過ごし続けてきた(本当は見過ごせないけど)常にある「気づきの意識(純粋意識、真我、空、それ、I am that I am、etc)」が真の私であると知ることは、ある意味スタート地点に過ぎないかもしれません。

というのも、それが見えてきても、自我のエネルギーが強いので、どうしても「個の自分がいる感」、「自分が何かをしている感」があるからです。

なので、その次は「一体自我とは何なのだろう?」、「自分がいる感の正体はなに?」と自分の経験を見つめていくことかなと思います。

いずれにしても、「気づきの意識」に寄り添う時間というのは、自我にとっては大きな休みともなるでしょう。

それは、つかの間の“現実”という名の「夢」から覚める時間ですね♪

 

どうしたら目覚めた状態でいられるの?」への18件のフィードバック

  1. あみる

    更新を心待ちにしている一人です!
    いつも興味深く読ませてもらっています

    【そのときはどうしたら良いの?というのは、長くなりますのでいつかの機会に。】

    いつかの機会が、早く来ます様に。。。♡

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  2. Pika

    前回の記事ではお返事をありがとうございました。
    「気づきの意識」に寄り添ってみるということ、
    自我をおさえて、非二元論者になってみようと思いました。

    が、なぜか昨日は感情が爆発してしまいました。
    それは美しい3人のニンフのようなフィギュアスケートの女性たちが演技をしてる様子をみて。
    それはとても美しかったです。(浅田真央、コストナー、ロシェット)
    私は思わず「神よ」と言ってしまいました。
    非二元を知る前は、美に対してよく神に感謝していました。
    それは、私にとっては癒しでありました。

    ですが、神というのはいないわけです。
    そのとき、私は小さいころから、さまざまなことを神を頼りにしていました。
    祈り、感謝し、懺悔してきました。
    べつに、ある宗教に傾倒していたわけでなく、ただ単に心の中にいる神に。

    だけど、神はいなかったわけです。
    私は神にいてほしいと思ってしまいました。
    なにを頼りに生きていればいいんだろう。
    というような気持ちになってしまいました。

    非二元の世界を知っても、現実は容赦なくおそってきます。
    すでに愛の中にあるのでしょうけれども。
    私はまだまだ非二元を理解するには早いのかもしれません。

    いいね: 1人

    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      Picaさん、心打たれるコメントをありがとうございます☆

      ぜひぜひ非二元論者などにならないでください。そういうメッセージではないのです。何かをおさえたり、否定したりするものではまったくありません。

      真のわたしは、すべてを受け入れ、すべてを愛しているんです。

      Picaさんが心の中心に向かって祈り、感謝するとき、その祈りも私であって、またそれに応える神も私であって、すべては気づきの意識という私が紡ぎだす、美しいダンスなんです。

      自我も気づきの意識であって、否定するものではなく、単にそれが自分じゃなかったと分かれば良いだけなんです。不思議なことにそうすることで、より自我が愛おしい存在として見えてきます。

      そして、私も自分の中心に向かってよくお祈りしています☆

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      返信
  3. 英国駐在員のK

    溝口あゆかさま:

    毎回楽しく拝読しております。

    >>ただ、これはうまく行けば行くほど、たぶん抑圧していた思いや感情などがわんさか出てくる可能性も大です。

    非二元を対象にしたトレーニングをするという意味で、奇跡のコースの「赦し」と似た結果を目指しているようにしばしば感じております。溝口さんもコースの(過去?)学習者であったとも聞き及びます。

    もし「赦し」と「溝口さんのアプローチ」が違うのであれば、その違いは大変興味があります。いつか違いにも言及してください。気づきの意識もすぐには体感できませんが、私は赦しを通して、体感(意識を客観視)できるかもしれないと期待しております。

    私も毎日、主体VS客体の問題には取り組んでおります。

    いいね: 1人

    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      イギリスにお住まいなのですね♪ 奇跡のコースは、とても役に立ち、今でもたま~に読み返したりしています。ですが、取り組むというのは、だいぶ前に辞めてしまいました。それは単に私の中で違う流れへいくことが起きただけだと思います。

      私はセラピストなので、奇跡のコース的なやり方とはだいぶ違います。が、最終的に「赦す必要もなかった(悪夢を見ていただけで、何も起きていなかった)」というところに落ち着くのは同じかなと思っています。

      いいね

      返信
  4. ひとみ

    すみません。コメントの途中で なぜか送ってしまったようです。
    申し訳ありません。

    あゆかさん あゆかさんの場所ですのに
    どうしてもPicaさんにお伝えさせて頂きたいので
    申し訳ありませんが 
    本当に申し訳ありませんが、この場をお借りします。

    Picaさんのコメントを読ませていただき、胸が苦しくなりました。
    なぜならPicaさんのお気持ちが物凄くわかるからです。
    実は私もPicaさんのように神さまを頼りに生きていました。
    さらには教えに神人合一というものがありましたので
    そこを目指していました。前回の記事の空と色の合一を目指していました。

    ところが違っていました。

    Picaさん Picaさんの、いまのその苦しみ(現実的に?も)は
    間違いなく「これそのもの」に気づき「これそのものだった」と気付くためのものだと
    私は、なぜか確信できます。
    なぜなら私も同じ通路を渡ってきたからです。

    Picaさん 貴女さまが「神」と想っていたその「神」を「精霊」だとすると
    これそのもの と
    精霊 と
    Picaさん の
    3つのものがある?と想ってみてください。

    するとPicaさんが想っていたその「神」が「それそのもの」へと導いてくださいます。
    私は、そうでした。

    「神」という名詞を使ってしまうと、また自我が人それぞれに想像し、また創造してしまう恐れがあるので
    真に気づかれた方は
    あえて 「それ」とか「これ」とかいう名詞をつかっています。
    私も(長年信仰してきた私でも) いまは「神」という名詞をつかいません。
    でも真に気づけば
    Picaさんが今まで信じてきたその「神」は
    Picaさんを「それそのもの」へと導いてくださいます。

    先ほど上のほうで表現させて頂きました「でも違っていました」は
    神と自我(人)が合一する!のではなく
    神が「それそのもの」へ人を導いてくださる!という意味で書かせて頂きました。
    そして今まで想っていた「神」と「それそのもの」は違っていました。
    無我の体験という本(著:バ―ナデット・ロバーツ)にも同じことが書かれていました。

    なにをお伝えしたかったのか?と言いますと、
    そのPicaさんが信じていた「神」は「いる!」ということです。
    そしてその「神」が「それそのもの」へと導いてくださいます。
    今回3人の神を見た!ように・・・
    現実の生活が例え苦しいものでも、神を見ることができます。
    いつも「それ」を見ていたらいいと思います。
    すると「それそのもの」が貴女さまに、もっと「それそのもの」を見せてくださいます。
    そして、そのうち
    自我は「それそのもの」に追い付けなくなります。
    現実生活が気にならなくなります。(気にならない自分へと変容していきます。)

    長々と申し訳ありませんでした。どうぞお許しくださいませ。

    合掌

    いいね: 2人

    返信
  5. かいりきまーちゃん

    溝口あゆか様
    今回の例え話もとても役に立ちました。

    般若心経の解説ビデオを拝見して、いままで分からなかった、自分がありありとあるのに

    どこにあるかと言っても、どこにもないのが、やっと分かった気がします。

    それでも、これでいいのかと思っていましたが、今回の説明を拝読させていただき

    バガボンのお父さん、ご存知ですか、の言う「これでいいのだ。」と思える気がします。

    一つ分からないことがあります。意識には気づきのほかに、注意の働きもある気がします。

    自由自在に動き、思考を司る自我の手先のような気もします。気づきは注意をコントロール

    するわけではないと思います。注意君も自分を見られないよう思えるので、今までは

    注意君が自分の本体?かと思っていました。体のために大いに役立ってくれますが、

    体が死ねばいなくなりそうな気がします。気づきの意識はすごいもんでしょうが、

    これってないのとおんなじみたいで、注意君もなんか気づいている気もして、これが

    やはり気になります。正体不明ですが、私にはまだとても大事な気がします。

    自分の正体は気づきの意識だと思い込んでも、おっしゃる通り、ヤなことがあると、

    がーっと大混乱に巻き込まれます。途方にくれます。

    でも、あゆかさんのご紹介のEFTのメソッドを試すと、どんどん楽になります。

    まだ、途方にくれてもいいのだとはとtも思えませんが、このご紹介にも感謝しています。

    どうもありがとうございます。

    いいね: 1人

    返信
  6. かいりきまーちゃん

    注意君があるとおもいこんでるわたくし。

    「自分が決めているんじゃないの?」読んだのに、その理解が浅かったのでしょうかね。

    注意の光線は自由に動かせる気がしますが、どこかから動かす気がわいてきてるんでしょう

    か。うーんうーん。

    いいね: 1人

    返信
  7. Pika

    あゆかさん、ご返信をありがとうございます。

    ちょっと無理をしておりました。
    今の私には、祈りとか感謝があるのが普通の生活になっていたんですね。
    それがあるがままの生活だったのです。
    ですから、それも受け入れるしかないです。

    今回の心の揺さぶりで、非二元の状態が常であるように生きることが、今の自分にはむずかしいんだなと思いました。
    非二元のことを知らないで、ただ神様のことを信じて生きてるだけでもよかったのかなとも思えました。

    決定的な一瞥というのがあれば、理解はガラリと変わるのでしょうか。ただ、それすら、自分の意のままにはなりませんものねえ。あるがままを受け入れるしかありません。

    ひとみさん、体験からの返信をありがとうございます。

    たしかに、私の中にある神は、かなりきつい心理状態のとき、ごく小さな声で、なにか一言いうときがあります。
    私が仕事の過酷さについてげんなりしてネガティブになっていたとき、
    「そのしごとがおまえを救っている」
    という小さな控えめな声がしました。
    自我なのか聖霊なのか、その一言はちょうどいいタイミングでした。
    思わぬ気持ちの転換ができました。

    まだ「それそのもの」というのはわかりませんが、
    それを感じ取ることが生活の中で大きくなってほしいなあと思います。

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    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      お返事をありがとうございます☆

      “非二元の状態で常にあるように生きることが・・・・・”というところで、たぶん、非二元のメッセージを少し誤解なさっているかもしれませんね。実はそれが今回の記事のテーマでもあったのです。

      Picaさんが非二元の状態を生きるのではなく、Picaさんがすでに非二元そのものなんです。つまり、あなたがすでに空であり色なんです。非二元は、論でもなければ、生きる信条でもなく、生きるのを楽にする教えでもありません。理解して、それに沿って生きていく・・・という類のものではないんです。単に、太陽は東から昇るねというように事実を述べているだけです。

      あなたという「色」の側面で、神に祈ろうと、感謝しようと自由に現われ出るものを否定せずに楽しんでいて良いかと思いますよ♪

      いいね

      返信
  8. まーる

    YouTubeでのお話、穏やかで安心して観させてもらいました。
    ただ やはりわかりません。すでにそれということは言葉通りなのでしょうか?わからないこのままということでしょうか?確実にあー!となるのでしょうか?
    そうであるなら今はそれではないと思います。
    何も あー!となってはいないから。
    なぜ わからないのでしょうか?
    ?ばかりですね。

    いいね

    返信
  9. まーる

    もうひとつ 質問がありました。
    気付きの意識は 例えば不愉快な事があった時に「なんで私がこんな目にあうの!」というような怒りの声とは別に「あ、今凄く怒っているな」とか言葉で現れるものですか?

    いいね

    返信
  10. kayoko

    こんにちは⭐️
    いつも更新を楽しみにしています。
    私は、阿部さんのブログを通して、長いこと
    非二元のメッセージに触れてきました。
    昔から、いわゆる覚者というのは
    ちらほらと存在していたのかも知れませんが、
    ここ最近で急に非二元のメッセージが普及し始め、
    興味を持つ人や気付きを得る人が増えてきた
    というのは、全体性がそういう流れを起こしているの
    でしょうか。今の時期に、人類の意識が
    大きくシフトするという、シナリオがあるのかな、
    ということです。

    いいね

    返信
  11. ひとみ

    あゆかさま。

    突然ですが

    なぜか腑に落ちてしまいました。

    目覚めそのもので在るときも
    分離感そのもので在るときも

    何もかも何もかも これそのものなのだと。

    含有も 超越も これそのもの

    でも本質は 純真無垢 無邪気 あどけなさそのものみたいな。

    たくさん教えて頂きありがとうございました。

    心から心から感謝の気持ちを捧げます。

    合掌

    ひとみ拝

    いいね

    返信
  12. Wow

    こんにちは。
    いつも楽しく拝読させていただいております。
    「抑圧していた思いや感情などがわんさか出てくる可能性も大です。そのときはどうしたらよいのでしょう?」についてそろそろ教えて頂けませんか?正直、いま、困ってます。。
    (別のところで回答されてたらごめんなさい)

    いいね

    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      Wowさん、こんにちは☆

      ごめんなさい!こちらのコメントに気がついていませんでした。そんなふうに書いてしまったのですが、実は、私はセラピストなので、セラピーで対処してしまっているんです。

      とりあえず、一つだけ言えることは、苦しい、辛いから早くなくそう、どうにかしようとすればするほど、泥沼に陥っていきますので、抗わないこと。また、それは自分の感情、自分の苦しみ、自分の問題だと思い込まないこと。あきらめて、それらが起こるままに自由にさせておくこと。完全に。一生、そこにあってもいいよと許可しあげること。これが完全にできたら、ものごとの本質上、抑圧されていたものは、変容、変化していきます。

      でも、これが多くの人にとって難しいので、セラピーがあると私は感じています。どうしても、どうにかしようという気持ち、なくなってほしいという気持ちが残ってしまう場合は、セラピーを受けた方が良いかなと思います。

      いいね

      返信
      1. Wow

        あゆかさん

        ありがとうございます!セラピーを有効に活用したいと思います。
        「(今、現状とは違う)あるべき、あるいはあらねばならない状況や状態」などというものは存在しないのだということには気づいたのですが、そうは言っても、パンドラの箱が空いたまま起こるままに自由にさせておくこと、完全に身を任せることについては同時に恐怖感が沸いてきて、ほんとうに難しいですね。

        いいね

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