げっぷもおならも非二元♪

さて最近、「非二元」VS「二元」みたいな捉え方をときどき目にします。

ん? どういうイメージになっているのだろう・・・。

たぶん、「非二元」=「空、無、真我、全体、etc」みたいに捉えているのかなと思います。

または、「非二元」=高次元、あちらの世界、ワンネスの次元と捉えている人もいるかもしれません。

あと、二元の世界では~~という表現もそれなりに見かけます。

ですが、これでは今までの対立させるパラダイムと何一つ変わらないですよね。

なのでせっかくの対立させない“二つではない”という非二元の意味そのものがおじゃんになってしまいます。

また、そうやって非二元をなんとなく高いところに置いてしまうことで、それを話す人達まで高みに置いてしまったりするかもしれません。

ですが、はっきりさせておきたいのは、ここがすでに非二元の世界なんです。(世界じゃないけど)

あなたが今このブログの記事を読んでいること、見ることが起きていて、考えが沸き・・・という、起きているすべてが非二元です。

あなたがおならをしていても、ゲップをしていてもぜんぶ。ぜんぜん高次じゃないし、神聖でもないし、嫌になるぐらい普通で日常であるこの瞬間のすべてが非二元です。

二元の世界などというものは存在しませんし、空だけの世界というのも存在しません。

そうやって分けられないんですよ~、お~い、というのが非二元(二つではない)のメッセージなんです。

ただ、強いて言えば、「二元的な思考」は存在しますよね。「私が~~をする」といういわゆるほとんどの人の世界観ですね。「私が~~」、「あなたが~~」、「社会が~~」、「神が~~」と主体が必ずいる世界観。

主体がある限り、分離が存在し、分離がある限り、時間と空間も存在します。

そして、私が今日~~をして、明日は~~を東京でやる予定・・・という「私のストーリー」が生まれるわけです。ものすごくリアルですし、何も起きていないなんてとても思えない。

その世界観に私たちはあまりにも慣れすぎてしまっているので、ここがあたかも二元の世界のように感じてしまうんです。

でも、いまここがまさに空であり、色(現象)であり、主体がないままあらゆることが起きていて、そして何も起きていないんです。

「起きている、終わり」でもなく、「起きていない、終わり」でもなく、「起きていて起きていないん」です。

あっ、これについては長くなりそうなので、次回か、または「魂のケア」のほうで書こう。

分離の幻想が落ちたとき、次元が低く見える普通でつまらない日常に、親密さと神秘さが浸透し始めていくでしょう。

起きているという観点から深く見ていけば、そこには躍動的で満ちた生命の動きがあり、起きていないという観点から深く見ていけば、そこには深遠で静かな平和がありますね。

そしてすべては愛♪

げっぷもおならも非二元♪」への27件のフィードバック

  1. Mothe

    ダイレクトパスを行なって来て、
     ・頭痛や身体に痛みがでることがあります。
     ・周りの音(アラームなど)が、自分の中で鳴っている、感じがする。
     ・このワークを行なわなくても、自然にその状態に入っている。

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  2. サトシ

    こんばんは。

    非二元の教えというのは、結局、何を伝えたいのでしょうか。
    学んで得られる何がが有るような無いような表現が多いように思うのですが。

    ある著者の非二元の本を読んで心身が緩んだかと思うと別の著者の非二元の本を読んで混乱したり気持ちが沈んだりすることがあります。

    それぞれの著者の個性にフォーカスしすぎなんでしょうか。

    著者によって「それって魔境じゃないの?」と言いたくなるような、躁状態のような人もいたりして、どの著者を信じて良いのか分からなくなります。

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    1. ayukablog 投稿作成者

      サトシさん☆

      からかっているのでもなく、また皮肉でもなく、まさにその通りなんです。非二元は教えでもなく、学んで得られるものでもなければ、生きる指針にもなりません。ここは多くの人が誤解しているかもしれません。

      空は青いね、りんごは赤いね、主体はないね、というようなただある意味見たままの話をしているだけなんです。

      私も始めは、何かを得たくて、自分の状態を良くしたくて、これらの本を読んでいました。しかし、最終的に“もうそういうことどうでもいいし、一生不幸でも良いから、真実だけ知りたい”と心の底から思ったとき、非二元のメッセージが身に入ってきました。

      もちろん、人それぞれでこれは私のストーリーに過ぎません。

      もし、私がサトシさんであれば、心が緩むメッセージだけ受け取っておくかもしれません。そして、誰かや誰かの言葉も信じるのではなく、自分の内側にある真の衝動(ハート)に耳を傾けるていくと思います♪

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      1. サトシ

        ありがとうございます。

        僕は「夢から覚めた夢」をときどき見るのですが、あゆかさんの返信を読んで、「夢から覚めた夢」からも覚めたような感覚が貫いたようです。

        「分かった人」が「ああ!これかあ!」と驚嘆するのは、何か新奇な体験をしているのではなく、最初から「そうだった」ことに気がついた驚嘆だったのですね。

        今、あゆかさんが翻訳された、ルパートスパイラさんのプレゼンスを少しづつ読んでいますが、この本に、読書の手応えより、静けさを感じるのは「そのまま」を伝えようとしているからなんですね。

        良書を翻訳してくださって、ありがとうございます。

        また、少しづつ読みすすんでいきたいと思います。

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  3. 匿名

    「私はいない」って感じは、元々一つのものを分離して見させられているのかなっていうぼんやりとした感覚で受け止められるのですが、
    「起きている、終わり」でもなく、「起きていない、終わり」でもなく、「起きていて起きていない」っていう表現、どこからどう見てもさっぱりわかりません。
    なぜか、ここ数ヶ月前からスピリチュアルの世界に興味を持った新参者ですが、この理解できないお話の続きがとても楽しみです。ワクワクです!!

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    1. ayukablog 投稿作成者

      ありがとうございます☆

      今から謝って(笑)おきますが、最後までまったく理解できないかと思います。伝える言葉もなく、私もなぜそうなのかさっぱり分かりません。でも、興味をお持ちいただいたこと嬉しく思います♪

      いいね: 1人

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  4. さんとる

    こんにちは、初めてお便りさせていただきます

    体験としては無いのですが・・・

    知識としては非二元ということが理解出来ました

    私の中では「黄色の世界」として理解しています

    すべては「黄色」の中で起こっていることなので、「初めもなければ、終わりもない」・「行為者もいなければ、体験者もいない」・「良いもなければ、悪いもない」・「自分もなければ・他人もない」

    ただ「在って」、「変化」しているだけ

    黄色(空)しかないから認識出来ないはずなのに・・・「絶対的なもの」だから認識出来ないはずなのに・・・そこが不思議です(笑)

    いいね: 1人

    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      さんとるさん☆

      ~~の「中で」起きている、という考えをはずしてみると良いかもしれませんね。また、行為者がいない、終わりではなく、経験者と経験されるものは二つではない、のほうが、単に「ない」と理解してしまうより、より近いかもしれません。

      とはいえ、ある程度頭の理解で進むのも良いかと思いますが、理解できた!と思った理解を完全に捨てていく作業もお忘れずに~♪

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      返信
  5. ユーミン

    何も起きていないに耳を澄ませば澄ます程、今まさに全てが起きている事が明確になる気がします。

    不思議すぎて、思考が停止して(笑)

    今ここで、いつもいつもとびきりおニューな平凡が、いつもいつも初体験の新鮮さと共に展開しています。

    あゆかさんのメッセージは、どこかへ向かおうとする意識を今ここへそっと誘ってくれます♪

    どこに行きたい訳でもなく、何かになりたい訳でもない、ただ今に戻ってきたいんだなぁこれが。

    今となってはそれが一番の謎です(笑)

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  6. ユーミン

    いえ、もとい、もっと良いどこかへ行きたくて、今ここを求めるのかもしれません。

    そして、今ここでまた、もっと良いどこかはない事が明確になる。。

    あはは。お手上げですねσ^_^;

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  7. qtaro

    あゆかさん、いつもありがとうございます。
    「おじゃん」が久しぶりに聞く言葉なのでニヤけてしまいました。おじゃん!
    言葉が作る概念って、あらためて凄い仕組みだなと思います。

    非二元とは、一元でもないんですよね。
    ヒンドゥの「アドヴァイタ」を和訳するときに「不二一元論」とまでいかず
    「不二論」で止めないとニュアンス的に言い過ぎになる、誤解を生む、
    みたいな話を以前どこかで聞いた事があったのを、この記事で思い出しました。
    一元と言葉にしてしまうと、そうではない部分が同時に現れて完全性
    でなくなってしまう、という意味でしょうね。
    しかたなく言葉で概念で表現すれば「二元に非ず」ということであって
    名詞の「非二元」がさすものではないという事でしょうね。

    気づきを言葉ではないところで知ろうとするにつれて、
    言葉の凄さ、パワー、発明性?が魔法のように思えてきました。

    いいね: 1人

    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      qtaroさん☆

      いつもありがとうございます。言葉は単にポインターに過ぎないのですが、それでも、ポインターがどこに向いているかで、見る先が違いますから、ある意味大切ですよね。

      私はルパート・スパイラのミーティングやリトリートへよく行きましたが(今も都合がつけば行っています)、彼は説明のマジシャンだと心から感心していました。それで、どれだけ助かったか。

      あはは!おじゃんって古い言葉だったんですね。あはは!

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      返信
  8. マルコ

    非二元について「空は青いね、りんごは赤いね、主体はないね、というようなただある意味見たままの話をしているだけなんです。」とおっしゃていますが、それを知ることにどんな意味があるのでしょうか。

    意味などありません、でしょうか。

    それなら、なぜその意味のない話しを聞くために、高いお金払ってサットサンやら、3泊4日もかけてリトリートに参加するのでしょう?

    単純に疑問です。

    いいね: 1人

    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      マルコさん☆

      はぐらかしているわけではありませんが、私の場合はそれが知りたかったんです。ほんと。ある意味へんな人ですよね。でも、なにが真実なの? 主体と客体がある世界、それだけが世界だと思っていたけど、違うの?何が真実なの?というのが、私の深いところから沸いて来る衝動で、それが動機でした。

      たくさんのサットサンやリトリートに行きましたが(もちろんお金を払って)、とても楽しくて大好きな時間でしたよ♪ 私にとってはホリデーですね。うふふ。

      いいね

      返信
  9. ゆかり

    初めてコメントさせていただきます
    本やブログ、セミナー、いつもありがとうございます
    一つわからなくて引っかかってることがあり堂々巡りになっております
    教えていただけると嬉しいです
    気づきの意識の中では、全てが受け入れられていて、安心して生きられるんですよ
    忘れられた人は一人もなく、愛に包まれているんですよ
    というような趣旨のお話を地球ひろしさんや小泉テディさんの番組で聞きました

    そうだとどれだけいいだろうと思うのですが、私は暴力が怖いのです
    痛いのが怖いのです
    安心して暮らしてて、ある日、そんなことに遭遇したらと思うと、、
    それも全て受け入れられているから、暴力や犯罪や痛いこともあるのは仕方がないのでしょうか
    あゆかさんがもし暴力や痛いことに遭われたら、それも受け入れられていることだから、痛いけど苦しまれないのでしょうか
    実際、暴力や犯罪、世界にいくと戦争もありますが、私がいないから、加害者も被害者もいなくて、起きていて起きていないから、受け入れられているのでしょうか
    でもやっぱり痛いのは怖いです
    すみません
    屁理屈に聞こえたらごめんなさい
    でも、本当に私はここに引っかかっているのです
    これがストーリーというやつなのでしょうか
    すみません
    よろしくお願い致します

    いいね: 1人

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    1. ayukablog 投稿作成者

      いえいえ、とても自然なご質問だと思います。これは、本当に難しいだろうと思います。次回じゃないかもしれませんが、記事でお返事させて頂きますね。

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      返信
  10. しろねこ

    はじめまして、非二元についてもうすこし知りたくて検索してここへきました。いくつか記事を読ませていただきました。・・・なにか喉元につかえているような・・・もう少し・・・という感覚があります。いま、このコメント欄を読みながら耳かきをしてまして(すみません)なんだったか思考がわいてきたのですが、それをただ流して、耳かきをしながらいたんですが、そのときただ・・ただ・・気づいている・・のがありました。何も頭になく、耳かきをしている!ただその状態の時に、?と・・・もしかして、「それ」とは、このことですか?いまここが非二元で
    いまここにただ気づいてる・・なにか・・・?それとも、これも自我の悪あがきですか?この感覚はずっといつも一緒でしたが・・・これは自我ではなく・・私ではなく 「それ」なんですか?よろしくお願いします・教えてください。

    いいね: 1人

    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      たぶん、「それ」だと思います。文章のやりとりでは、いまいち難しいのですが。いまここにただ気づいている。いつもあって、決して観察できず、変化しない。それを掴んだら、大きな一歩ですね♪

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      1. しろねこ

        ありがとうございます。一瞬の事でしたが、知っている感覚のようなものでした。
        非二元を優しく説明されているので、ふんわりと入っていけます。
        また、記事を読ませていただきます。楽しみにしています。
        感謝!

        いいね

  11. いいね!

    初めまして
    20年前にクリシュナムルティに衝撃を受け、「永遠の現在」を瞑想して悩み苦しみから解放された成功体験の余韻でずっと生きてきました。

    最近病気をした危機感から、自分らしい生き方をさがしていました。
    あゆかさんのおっしゃる「気付きの意識に寄り添う」ってすごいと思いました。
    自分に一番あっていると感じています。

    これまでの瞑想は何かトランス状態になるとか、思考の無い状態を長く保つとか、変なことに時間を費やしていました。

    今では、無意識になるたびに「気づきの意識に寄り添う」ようにしています。

    いいね

    返信
  12. ルル

    こんにちは。とても興味があります。
    あゆかさんの、一生不幸でもいいから、真実を知りたい、その気持ちはなんて深いものかと思いました。
    身内や友達にあゆかさんのよう人がいたらどんなに良かったかと思います。
    気軽に話せる人がいたらどれだけ良かったかと。

    いいね: 1人

    返信
  13. とも

    あゆかさん

    いつもありがとうございます。
    あゆかさんは解放が起きるまでは、身体は私ではない。とかそういうワークをしていましたか⁈ YouTubeでは心のワークはたくさんされて、エレンさんに準備が出来ていると言われたとのことですが、一番は気づきの意識に寄り添うというか、そこに意識を向けるというか⁈ なんて言うのでしょう?私が一番心地いいのが、ヨガの屍(しかばね)のポーズ、寝る姿勢ですが、それで空を感じるというか、無心というかをやっているのですが、他のワークは私の場合は努力に近くなってしまい、どうなのだろう⁈という感じです。
    何かアドバイスいただけたらと思います。

    いいね: 1人

    返信
  14. マルコ

    >それが知りたかった。

    あゆかさん、分かります。だって私も知りたいもの!だからサットサンなどに参加してますが、これって探求ですよね?違いますか?

    探求してるうちは永遠にたどり着けない、と言われますが、サットサンやリトリートに参加し続ければ、それを知ることが出来るのでしょうか。

    いいね

    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      マルコさん、こんにちは☆

      私はマルコさんのシンプルな「知りたい」という欲求、とても好きです♪

      私が勝手にティーチャーと呼んでいるルパート・スパイラさんは、彼の先生のフランシス・ルシールさんのリトリートに10年近く毎年4回ぐらい行っていたそうです。また、私のヒーローであるアジャシャンティも、禅のティーチャーのもとへ毎週やはり十年ぐらい通っていたそうです。

      私が知る限りでは、今素晴らしいティーチャーとなっている人たちのほとんどが、「探求していた」んです。なので、「探求はダメ」というある側面、とってもその通りなのですが、そんなにこだわらなくても良いかもとも思うのです。

      真実に近づく探求と、個を強めてしまう探求があるのではと私は思います。そのへん何気に過去の記事に書いておりますのでご参照ください。また、これからも気が向けば書くかもしれません♪

      いいね

      返信
  15. EMIKO NOGUCHI

    あゆかさん、はじめまして。スピTV観ました~。
    楽しかったです。11月のノンデュアリティの夜明けにも行きます。(*^_^*)

    非二元って、特別な訳でもなく 特別な人が居る訳でもなく 何かが分かる訳でもなく 普通の事だったんですね?

    今まで自分だと思い込んでいた肉体や思考や人生が幻想で 自分では無かったんだと見抜いてしまえば、あるがままの現れが そこにあるだけなんですね?
    まだ、何となく感覚で捉えているだけですが、この思考や肉体が自分だという確信が崩れてきています。

    思考は勝手に空間から現れては消えて行きますが、今までの癖で思考に反応をして事が起こっていますが、それは自分が起こしているのでは無く、勝手に起きていて コントロールはどこにも無く、起きている事は全てが完璧で、そこに意味は無く ただ淡々と起きているだけなんだなあと。

    ただ現れては消えて行くだけなので 自然の現象と同じで そこに意図は無く 自然も壁も車も動物も人間も分離は無く、ただ個として見えているだけで実際は同じもの。
    無とか空間と呼ばれるものから現れては消えているだけなんだなあと。

    肉体もエネルギーが躍動をし 振動をしながら生まれ変わりを繰り返し勝手に起きている ただ起こることが起こっている生命の動きなんですね?
    起きていないが静で空で、起きているが動で色と捉えられますか?
    よろしければ何かコメントをお願い致します。

    いいね

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