「わたしはある(I AM)」♪

ノンデュアリティーブーム?のおかげで、「自己の不在(私はいない)」というメッセージが浸透してきたかもしれませんね。

このメッセージなしに真実を語ることはできないでしょうし、「私が修行して、いつか悟るのだ!」という自我の勘違いを解くのにもと~っても大切です。

とにかく、「(個の)わたし」が頑張っている限り、真実はいつも頭の中で歪曲されてしまいますから。

一方で、「わたしの消失」、「わたしという個の感覚」がなくなることが、唯一の悟り(目覚め)のシフトだと思い込んでいる人も増えてきたかもしれません。わたしという感覚、わたしがいなくなることが、あたかも悟りの切り札のように。

でもきっと、真実の見え方は一つではないでしょう。

例えば、「わたし(主体)はいない」が真実であるその一方で、紛れもなく確実にあるものがあります。

つまり、なぜ「わたし(主体、コントロールしている存在)はいなかった」と気づけるのか? 自分がいないのなら、一体それに気づいているのは何?

そうです。いつも確実にあるもの、それは「気づいている意識」ですね。

「気づいている意識」なしに宇宙も、銀河系も、次元もなにもかも存在していることが分かりません。

ここでルパート・スパイラのたとえを使わせてもらい、映画にたとえた場合、映像(宇宙、存在のすべて)は、スクリーン(気づいている意識)があってこそ観ることができます。

このスクリーンである、常にある「気づいている意識」、これが「I AMである“わたし”」、そして「私はあるの“わたし”」なんですね。

70億人の勘違いは、この気づいている意識、私があるという感覚が、個の体や思い、感情に付随していると思っていることです。

つまり、一人一人に世界を捉えている分離した意識があるという勘違いです。ちなみに意識です、思考ではなく。自我は思考に同化するあまり、思考と意識の違いが分かっていないことも多いですね。

話を戻して、で、実にこれは巧妙ですよね。だって、隣の人の考えていることは分からないし、体をつねられて痛い!と感じるのは、私だけだし・・・。

だから、意識は個別のものだ・・・。分離した意識に分離した体、私ししか知らない思いや感情。これで分離の幻想は、見事に出来上がります。

なので、実はこの「気づいている意識」が個人に付随しているのではなく、全体の意識「I AM」であるなど誰が分かるでしょうか? なんて巧妙なトリック!(笑)

いつもある一番知っているこの感覚。常にあって、見過ごすこともできないこの感覚。これが求めて止まない「I AM」(真我、純粋意識、それ、神、etc)であるなんて!

だから、ある意味トニー・パーソンズが言うように、これは「オープン・シークレット」なんです。

そしてまた、ニサルガダッタの師が「“私はある(I AM)”という感覚を掴み続けなさい、根気よく、その感覚から一瞬たりともはなれないように」と言った「I AM」でもあります。

でも、そう知ったとたん、がっかりする人も多いんです。なぜなら、あまりに普通だし、ぜんぜんシフトした感じがしないし、個の自分がいる感じがバンバンにあるし、非二元のメッセンジャーが言うようなことがまったく見えないし・・・・・と。

それは、この最もよく知っている感覚が「気づいている意識(I AM)」だと分かっても、自我のエネルギーの方が強い、つまり、自我である自分という感覚が強すぎて、「気づいている意識(I AM)」の視点のほうへシフトしていないからなんです。(視点じゃないけど)

小波(自我)の認知が、“私は小波だ”から“自分は大海だった”へシフトしたとき、小波の中に主体がなく空っぽだったこと、そして、小波が自分で流れていく方向や形を決めているのではなく、大海のなかでそれは勝手に起きていたことが見えてくるでしょう。

でも、認知がシフトしても、小波という現象は相変わらず続きます。だから小波は隣の小波の考えていることは分からないんです。

また、もちろん「私はいなかった」とびっくりしたり、言葉を発しているのは自我です。気づきの意識はまったく言葉もなく、ただあって(being、presence)、気づいている(aware)だけです。

ものすごくざくっと書いてしまいましたが、とりあえず「ない」ばかりに気を取られず、「ある(I AM)」の感覚にも注目し、そこにただあり続けるということも、良いんじゃないかと思うのです。

そうすれば、まったく見過ごしていたスクリーンが少しずつ前面に現れ出し、そしてどの景色を見ても、またなにをしていても、起きている出来事よりもスクリーンがいつも見える、感じられる(←言葉の限界)ようになるかもしれません。

“どこに目を落としても、そこには神の顔が見える”(byウィリアム・ブレイク)ようになるまで♪

 

 

 

 

 

 

「わたしはある(I AM)」♪」への23件のフィードバック

  1. Sayuri

    あゆかさん、こんばんは(#^.^#)
    いつも分かりやすいお話しをありがとうございます!
    ちょっと前に歯を磨いてる時、
    コレを経験してるのは、もしかして全体という意識?
    今、見てるのも意識?とふっと気づきました。
    確信はなかったのですが、そんな気がしました。
    だから、非二元のお話しをされる方々は、
    コレ!っていうのかな?と。
    あゆかさんの今回のブログを読ませていただいて、本当にそうなんだなって思いました。

    本当にシンプルですね。
    なんのシフトもいらない、前からあるコレだったのですね(#^.^#)
    ありがとうございます!

    いいね: 1人

    返信
  2. joebon

    あゆかさん、ありがとう。

    ありがたいお言葉でした。

    スクリーンと映像のたとえ、大海と小浪のたとえ、、、とても分かりやすかったです。

    気づいている意識というスクリーンは、個人の附属物なのではなく、万人の、万物の共通物だったのですね。

    小浪はいつでも大海でもあるんですね。

    o(^-^o)(o^-^)o

    いいね: 1人

    返信
  3. かいりきまーちゃん

    うーん。素晴らしく、優しいお話。ありがとうございます。
    I AM って「われあり」ではなかったんですね。
    ありありとある自分はことによると間違いと思ってましたが、
    ひょっとすると、これでいいのだという気もしてきました。
    言葉にとらわれていたみたいです。

    いいね: 1人

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  4. サトシ

    あゆかさん、こんにちは。

    僕の勝手な想像ですが、大悟徹底している覚者以外、つまりは、ほぼすべての個人は、言語表現の違いはあれ「私」を意味する言葉を使い、自分個人を指しますね。
    もちろん大悟徹底している人も、他者?とのコミュニケーション上、便宜的に「私は…」などと使いますが、恐らく内面では使わないか、使うとしても、自分個人を指してという意味ではないように思います。
    しかし、分離意識のある個人は他者とのコミュニケーション上でも内面における思考でも「私」を使います。
    つまり、みんな「私」なのにも関わらず分離にリアリティがあるわけです。
    「私」と言って「私」の「属性」の方を指しちゃうわけです。
    これが、例えば数字の「1」ならば、日本人の僕が意識し、思考する「いち」も、アメリカ人の何某さんの意識し、思考する「ONE」も、同じものを指しているのを認めるのに何の抵抗もないのに…。やはり分離意識は強固なんでしょうか。
    肉体がある以上、しょうがないかなとも感じますが。

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    1. ayukablog 投稿作成者

      サトシさん、こんにちは☆

      「私」という言葉が個の自分を指していても、何を指していても良いですよね。お考えはなんとなく分かりますが、そこはあまり重要ではないかと。「自分は何か?」さえ、ちゃんとわかっていれば良いんです。(*^_^*)

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      1. サトシ

        ありがとうございます。

        僕の悪いくせで、考察癖が出てしまいました。
        理屈で分かりたいという願望がなかなか抜けません。

        お恥ずかしい限りです(>人<;)

        いいね

  5. ひとみ

    いつもありがとうございます。
    長い文章になりますこと
    どうぞお許しください。

    朝、布団の中で目覚めた瞬間に、いつものごとく
    「神さま!今日も一日宜しくお願いします!」という
    長年の癖?のように思考が現れました。
    その瞬間に「あれ?これって私じゃないんじゃねぇ?」っていう
    なぜか面白い言葉がポン!と現れ
    え!これって私じゃないじゃん!と気付きました。
    (神さま!お願いします!とお願いしている私は、とんでもなく小さく怯え震えている自我のように感じました)
    長年の信仰って凄いもんだなぁ~と
    なんだか感心したり、危険性を感じたり
    なのに おかしくておかしくて大笑いしている私が
    ここにいました。

    今は、「あれ?これって私じゃないんじゃねぇ?」っていう気付きが
    I AM だ!と しっかりわかっています。
    そしてこのI AMは、さらにさらに色濃くなってきました。
    あの私と、この私。この違いもハッキリわかるようになりました。

    そこで どうぞ教えてください。

    ・・・・・・
    でも、そう知ったとたん、がっかりする人も多いんです。なぜなら、あまりに普通だし、ぜんぜんシフトした感じがしないし、個の自分がいる感じがバンバンにあるし、非二元のメッセンジャーが言うようなことがまったく見えないし・・・・・と。

    それは、この最もよく知っている感覚が「気づいている意識(I AM)」だと分かっても、自我のエネルギーの方が強い、つまり、自我である自分という感覚が強すぎて、「気づいている意識(I AM)」の視点のほうへシフトしていないからなんです。(視点じゃないけど)

    小波(自我)の認知が、“私は小波だ”から“自分は大海だった”へシフトしたとき、小波の中に主体がなく空っぽだったこと、そして、小波が自分で流れていく方向や形を決めているのではなく、大海のなかでそれは勝手に起きていたことが見えてくるでしょう。
    ・・・・・・

    私の場合、この↑の空っぽだった!に行くまでに
    小波に長年たまっていた感情がバンバン出て出て、さらには
    私(小波)は「へぇ~こんなに怒っていたんだー」
    私(小波)は、こんなことになっていたんだ~と
    気付いて気付いて気付いているうちに
    空っぽだったになっていきましたが
    この小波にたまっている感情開放をしていっても
    大海だった!と気付けるのではないか?と感じました。
    あゆかさんはセラピーとして感情開放をされつつ
    非二元も伝え
    これって どっちから行っても元に還れるということなんでしょうか?

    いいね

    返信
  6. Pika

    毎回、読ませて頂いてます。本当にありがとうございます。
    ルパートスパイラさんの雰囲気がなんとなく伝わりました。
    ダイレクトパス、日本でももっと実践してくださる方がいたらいいのにと思います。
    明日の講演会に行きます。楽しみにしてきました。
    大和田さんの動画を見たりすると、クールな印象ですが、いろんなことがスパッと削げ落ちて、
    「無い」という感覚が瞬間的に伝わるときもあります。
    その時、生きるということは、どういうことなんだろう?と不思議に思います。
    ですが、もう何も考える意味はないのかもしれません。

    それでも、日常の心配事は続きます。家族のこと、老後のこと・・・
    とりあえず仕事をしなければ仕方がないので、理不尽な思いで働くこともあります。
    はかない、意味のない願いかもしれませんが、世の中がよくなったらと、
    思ってしまいます。
    制限のあるお金のシステムで生きることがなくなったらいいなあと思います。

    いいね

    返信
  7. うに

    あゆかさんこんにちは♪

    最近まで悟り系のブログを書いていたのですが、見え方を語っても意味がないことに気づきやめました。

    全てが完璧に起こっていて、起こった事象はそれでしかなく、自我が意味づけをするからストーリーが始まると書いてきたのですが、非二元論が同じようなことを言っていると知りました。

    違うかもしれませんが…。

    色即是空 空即是色について、気づいているものが愛だとして、それは現象の全てであり人間はこの勝手に起こる生活活動によってその愛を湧き上がらせて表面化させていると感じています。

    つまりは全ては気づいているものの波のような現象…上手く書けませんが、そんな感じを受けています。

    独り言ですみません。

    いいね: 1人

    返信
  8. アガピ

    あゆかさん。前の記事を時々繰り返し読んで、そうだった!とずっと後になって響く事があります。
    気付いている意識 がI Am。私。
    この「在る」という
    感覚は動物や植物にもあるのかなぁと気になってよく
    観察してます。
    全てに浸透している何かは、命あるものたち全部に
    「在る」の感覚として現れるのかな。。。。
    人間のように思考がないから、
    その分ダイレクトで意識そのものしかないような気もします。
    見ていると、その感覚はあると思えるようなペットの反応
    だったり、植物の成長だったりを見ます。そしてそれは私と同じ
    在るの意識なのかなぁと。。。
    もしもこのことでご存知でしたら、少し教えて頂けますと幸いです。
    今日の講演会、応援してます。(^ ^)

    いいね: 1人

    返信
  9. あるく

    あゆかさん、「I AM」について、分かりやすい解説
    ありがとうございます。

    本当に当たり前すぎて拍子抜けというか、これだったの?
    って感じです。
    なので、書かれていたように非二元のメッセンジャーが言う
    ような、毎瞬新しい感覚や、喜びに満ちている感覚というのが
    なくて、本当にこれなのかな?とつい疑ってしまいます。

    それは、あゆかさんが見事に解説して下さったとおり、
    自我が純粋意識に優っているからなんですね。
    スクリーンである意識に意識的に意識していたら(笑)
    徐々にシフトしていくのでしょうか?
    メッセンジャーの方々のシフトの瞬間は、ある時突然に
    私がいなくなった、と気づいたと仰る方が殆どです。
    意識的に訓練して、徐々にスクリーンよりになったとしても
    結局観念でしかないのかな?どんなに純粋意識に近寄れたとしても
    薄皮1枚自我は残ってしまうんじゃないかな?
    やっぱり、恩寵が起こらないと本物じゃないのかな?と思って
    しまいます。
    今現在、約1ヶ月ほど訓練を続けてきて、以前よりも執着や感情の尾
    は短くなっていますが、何だかこれでいいのかスッキリしないのです。

    ご多忙とは存じますが、この辺りについてもアドバイス頂ければ
    嬉しく存じます。
    どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

    長文、失礼致しました。

    いいね

    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      あるくさん、こんにちは☆

      スクリーンである本質のエネルギーに徐々にシフトしていくケースのほうが圧倒的に多いのですが、突然なくなった!という話はドラマチックなので、そちらの話ばかりが目立ってしまうのかもしれませんね。

      アジャシャンティもルパート・スパイラもそんな徐々にというか、段階を経てシフトしていったタイプのティーチャーです。ルパートさんなどは、一瞥体験も突然エネルギーが解放された経験もない、地道(笑)なティーチャーですが、現在欧米ではとても高く評価されていますよ。

      また、自我が消えるのではなく、収縮した思い込みのエネルギー、分離の思い込み、守ろうとか、私の意思とか、そういったエネルギーが消えていくんです。

      また、ぜひ「訓練」にしないでくださいね。変化や何かが起きることを期待してしまいがちですし、自我が頑張ってしまいますから。執着や感情の尾が短くなった・・・といった目安も捨ててみてください。まったく関係ないんです。

      もっともっとシンプルにリラックスして、「ただある」にくつろいでみてください♪

      いいね

      返信
      1. あるく

        あゆかさん、温かいアドバイスありがとうございます。

        シフトについては、ついドラマチックな方に関心が行きますが、徐々にの方が圧倒的に
        多いと伺えて、ホッとしました。

        また、「訓練」にしないこと、変化の目安も捨てること、というアドバイスは新鮮で
        ビックリしました。
        今、ラマナ・マハルシの講話本を読んでいるのですが、常に修練しなさい、とあったので。
        でも、確かに自我が頑張っちゃうし、それじゃぁ意味がないですよね(笑)

        あゆかさんから的確なアドバイスがいただけて、本当に嬉しいです。
        お忙しい中、丁寧でやさしいご返信、どうもありがとうございます。
        感謝申し上げます。

        いいね

  10. マルコ

    私はある、でも私はいない、でも結局それは起きる事が起きてるだけで、誰もコントロール出来ないのですよね。

    ダイレクトパスを試みたら、いなくなれるのでしょうか?

    何かしたら、いなくなるのでしょうか?

    因果の法則は無い、と聞きます。

    私はいなくなりつつあるのかも〜って喜んでいるのも勘違いの一種なのでしょうか?

    わかったかも!っていうのも勘違いなのでしょうか?

    結局それはただ起きるだけで、私は何もしなくていいし、何も出来無い。

    いいね: 1人

    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      マルコさん、こんにちは☆

      私(=純粋意識、全体、気づいている意識)はある、と私(分離していると思い込んでいる自我)はいない、の私は違う私を指しているんですよ。日本語はややこしいですね。

      また、最初からないものはいなくなれないですよね。いなくなるのではなく、なかったことに気づくんです。(*^_^*)

      自分がコントロールできるのかどうか、次の思考が分かるのかどうか、よく観察してみると良いかもしれません。次の思考さえ何なのかが分からなければ、誰がどうやって何をコントロールできるでしょうか?

      ぜひご自分の経験から探ってみてくださいね♪

      いいね

      返信
      1. 匿名

        あゆかさん、返信ありがとうございます。

        全体の私と分離した私はわかるんです。あくまで知識としてですけど。

        何を指して言ってるのか、はわかります。

        あるのは全体の私。いないのは分離した私。

        いなかったと気づくのは誰?
        全体の私でしょうか。

        湧き上がってくる思考を、コントロールしてるのは誰?分離した私は私が人生をコントロールして、思考も私のモノだと思っているけど、違うんですよね。

        頭でしか分からないから、お手上げです。

        いいね

      2. マルコ

        返信のお礼が、匿名になってしまいました。

        気付いているのは誰?と聞きましたが、気付いている意識でしたね。

        もう何がなんだか…。

        でもこれを知ること、気づくことは本当に、みんなが求めていることなのでしょうか。
        分離した自我は、これを求めているの?

        いいね

  11. i

    あゆかさんこんにちは

    昨日の講演会ではじめてあゆかさんを拝見したのですがとても柔らかい感じで素敵な方だなと思いました。

    質問なんですが
    「非二元を頭で理解したら失敗」と昨日言っていたのですがその言葉の意味をどうたずさえていいのかわかりません。

    非二元に興味を持ってサットサンに参加したりお話を聞いてるうちに何を言ってるのかわかってきてしまったんですが、その理解もすべてではないので、分離してる自意識だと思うので「失敗」の言葉で混乱しています。
    失敗=解放はないということでしょうか?
    解放自体も幻想なのでしょうがとてもモヤモヤしています。

    いいね: 1人

    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      iさん、こんにちは☆

      イベントにご参加ありがとうございました。(*^_^*)

      「非二元を頭で理解したら失敗」って、私言っていましたっけ?(ぎょっ、いい加減な私)

      どういう文脈でそういったのか分かりませんが、失敗というより、非二元を頭で理解しようとするから行き詰ると言ったかもしれません。

      とはいえ、ある程度の頭の理解は段階に応じて役に立つと思います。知るということは大切ですよね。なので、決して頭の理解は否定しないですよ。ただ、理解が経験になることがなかなかないので、私は経験を直に見つめることをお勧めしちゃいます。

      また、どんなに的を得た理解、真実に近い理解でも、ある段階ではすべて捨ててしまったほうが良いかなとも思います。

      ご参考までにしてくださいね♪

      いいね

      返信
      1. i

        お返事ありがとうございました
        とても嬉しかったです

        もしかしたら別の方がその言葉をおっしゃってたのかもしれません
        もしそうでしたらごめんなさい(>_<)

        今までは理解の先に答えがある気がしてたのですが
        そうではなかったんですね

        あゆかさんのアドバイス参考にしてみます
        本当にありがとうございました

        いいね

  12. Akira Kurosaki

    よく、宇宙は鏡で自分の内面を映し出している、と言いますが、以下の例えだと逆?なのでしょうか。

    「ルパート・スパイラのたとえを使わせてもらい、映画にたとえた場合、映像(宇宙、存在のすべて)は、スクリーン(気づいている意識)があってこそ観ることができます。」

    ただ起きていること(映像)が内面のスクリーン(気づいている意識)に映っている。なのかな?だとしたら「思考が現実化する」はありえないですよね ^^

    いいね

    返信

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