真実?or 蜃気楼?

“スピリチュアル、ノンデュアリティ、引き寄せ、思考が現実化する、心のしくみ(思いや感情の解放)が、けっこうごっちゃになっている人が多い”というお話を耳にします。

確かにそんな感じあるかも~と思うのです。

私もノンデュアリティと癒しというお話会をやっていますので、もしかするとそれに加担しているのかもしれません。

ですが、自我の目線ではなく、真実の視点から自我の活動を見たとき、なぜ人が苦しむのかがよく見えるという利点はやっぱりあります。

が、とりあえず話を戻して、もしこの中で仲間外れは誰だ!ゲームをすれば、明らかにノンデュアリティはまったく違うものですね。

つまり、「スピリチュアル、引き寄せ、思考が現実化する、心のしくみ」などは、「(個としての)自分がいる」ことが前提にならないと成り立たない話です。

一方、ノンデュアリティは、その「自分」は不在ですよ、空っぽですよ~とお話ししています。

前提がそもそもまったく違います。

それでも私たちが混乱してしまうのは、どうしても「自分がどうなるか?」ということがやっぱり一番大切で、それを大前提にどの話も聞いているからでしょう。

真実が分かれば、不安を感じなくて済むようになる・・・・
悟れば、いつも充実した気持ちでいられる・・・・
ノンデュアリティの状態になれば、いつも愛の状態でいるはずだ
(飢えた気持ちなど沸いてこない)・・・・
空を体現すれば(空の状態にとどまっていれば)、苦しみに終止符を打てる

などなど。

つまり、自分が「ある状態」になることを目指しているんです。

「悟った状態」、こうなっているはず・・というイメージ。

そして、そのイメージと今の自分の状態を比べて、まだ悟りに到達していないとか、前より進んだとか図ったりもするでしょう。

もちろん真実が深く腑に落ちたことで、恐れがどんと落ちるとか、余計な思考が減るといった、「副産物」もあるでしょう。

でも、自我はそもそも常により良い状態を求めているので、真実ではなく、副産物のほうへわ~っと意識が向いてしまうんですね。

すると、ノンデュアリティのメッセージもまたたくまにそれを得るツールとなってしまいます。引き寄せが自分が望むものを得るツールであるのと同じように。

本当の目的が真実ではなく、「愛に満ちた状態」、「苦しみがない状態」、「高次な状態」などである限り、引き寄せでも、スピリチュアルな教えでも、ノンデュアリティのメッセージでも、それが手に入れば良いわけです。

あくまでも「(個の)“わたし”が幸せになる」ことが目的だから。

もちろん、より良い状態を求めることがいけないわけではありません。

苦しいのなら、必ずなにか真実ではないものを握りしめているわけで、それは手放したほうが良いに違いありません。

また、恐れに縛られているより、愛ベースで生きているほうが楽に決まっています。

でも、「状態」を求めている限り、それがいくら正しそうなイメージでも、ある意味「蜃気楼」を追っていることと同じです。(自我は、不変の状態があると幻想を抱いていたりしますが)

最終的に「私がどうなるとか、もうどうでもいい。ただ真実が知りたい」というシンプルな思いになっとき、はじめて「私が・・・」、「私が・・・」という思いが緩み始めるでしょう。

目指す状態もイメージもなく、ノンデュアリティのティーチャーやメッセンジャーの言葉に耳を傾けたとき、意識が「自分がどうなるか」ではなく、ただ「真実」へと向かっていくんですね。

なので、もし、自分の求めているものが、シンプルに「真実」であるなら、自分がノンデュアリティや悟りにどんなイメージを持っているのか、自分が求めているのは何か?を見つめてみるのも良いかもしれません。

そして何らかのイメージがあったら、それをそっと落としてみても良いかもしれません。

そのとき、きっと自分が何を求めているのか、または求めているものがなんなのか、まったく分からなくなるはずです。

そして、求めているものが分からなくなったその空白、静けさが、真実の入り口となるでしょう♪

真実?or 蜃気楼?」への19件のフィードバック

  1. とも

    あゆかさん
    いつもありがとうございます。
    ノンデュアリティを知って1年。ノンデュアリティっぽいスピリチュアルのメッセージをその一年前に知り、トータル2年。
    その前はスピリチュアルや引き寄せに惹かれたこともありましたが、何もしっくりこず、離れていたところ、ここ2年で覚醒という言葉とメッセージに出逢い、これだ!と思い、真実への探求が始まり、思考の観念が外れるたびに楽になっていきましたが、やはり副産物を求めているわたしがいました。
    後悔の連続のわたしにとってはノンデュアリティのメッセージは、わたしは悪くなかった〜。と朗報でしたが、何度も何度も壁にぶつかり、何に従ったらいいか?分からなくなることがあると、やはりわたしを基準にしたメッセージはわかりやすく、違和感を感じない程度にやってみたり、楽しそうな引き寄せをやろうとしてみたりの繰り返しですが、これらはやはりすぐに違う!となりノンデュアリティに戻るのですが、何も分からなくなってしまうことが多々あります。
    これもやはりわたしがどうなっちゃうのか?とかわたしがいるからなのでしょうか?
    それと、どうしたらいいのか?という時、何もしないでいると体の動きに任せることになりますが、抑圧があれば抑圧された行動が出てると気がついているだけでいいのでしょうか?
    その辺が今の疑問です。
    よろしくお願い致します。

    いいね: 1人

    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      ともさん、こんにちは☆

      まず、自分が一体一番求めているものは何か?を見つめてみてはいかがでしょうか? これからも壁にぶつかり続けたり、何も分からなくなったり、自分の状態はまったく変わらなくても良いから、「真実」が知りたいのか、それとも、今よりも少しでも自分を良い状態にもって行きたいのか?

      求めているものが「真実」でなくてもまったく構わないんです。もし、求めているものが、今より良い自分の状態になりたいのであれば、自分は「楽な状態」を目指していると、はっきりさせることが大切かと思います。

      で、もしそうであれば、自分の中で抵抗しているもの、自分が自分を受け入れられていないところなどを見ていったほう(癒しのワーク)が、シンプルで分かりやすいかと思います。そこに非二元を絡ませてしまうと、必ず混乱が起きますよね。

      とりあえず、頭ではなく、心に“自分が今真に求めているものは何か?”、どうなることを望んでいるのか?をじっくり正直に見つめてみるのが良いかなと思います。(*^_^*)

      いいね

      返信
      1. とも

        あゆかさん
        ありがとうございます。
        ノンデュアリティのメッセージが大好きでメッセージ漬けの日々を送っていたら、たくさんの体験が起き、あるがままで大丈夫になり、探求の終わりだ〜となった矢先、あるがままで大丈夫じゃないわたしが戻って、あるがままで大丈夫だったことが夢だったかのようになってしまい、感情の解放や癒しが必要に感じ、結局わたしが楽になりたかったんだ。そして、今まで真実が知りたいと思っていたのも楽になりたいからだった。とわかった時、とても落ち込みました。そして今、今までと変わらないわたしがいて、癒しを求めているのだと思います。

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  2. ぶんぶん

    あゆかさん、いつもブログを楽しく読ませていただいています。

    私も癒す側としてヒーリングを長年やってきましたが、やっている中でやっぱり引き寄せの法則や過去生、ガイド、天使。。などの概念などを引っ張り出して理由付けてるだけで、本当は全て自我がなせる思い込みではないか、と思い始めたあたりでノンデュアリティと出会い、それが真実だと感じるようになりました。

    一瞥体験はないので体験的な理解ではなく思考上の、せして自我による「結論付け」なのかもしれませんが、

    私はヒーリングをやっていく上でノンデュアリティの視点を持ちたい、真実を知りたいという思い、また最終的な救済、これ以上探求しなくてよい状態、また苦しさを一切感じなくなるフラットになることを求めている部分もあり、いろいろです。

    しかし、ノンデュアリティは全くヒーリングとは異なる前提のものであることは理解できますが、それゆえノンデュアリティの視点を持ちながら個人と言う分離した私を癒すことに苦しさも感じます。何か相容れな過ぎて苦しいです。

    ノンデュアリティに対してなんらかのイメージがあったらそっと落とす、、と書かれていますが、具体的にそれはどのようにするのでしょうか。そのイメージをかき消すように頭の中で「そんなのナイナイ」とすることとしか思いうかばないです。。(⌒-⌒; )そのような事を指してらっしゃるでしょうか?

    全てこれらも知りたいけど知りたくない!という自我から来るものではあると思いますが、

    長年の探求に疲れてもいますが、今までヒーリングで自分が提唱してきた事が全部概念だけで真実ではありませんでした!という事を認めたくないのかもしれません。

    何が聞きたいのかわからなくなりましたが(すみません(T . T))、いろいろがごちゃまぜになっている人は私も含め多いのだろうな、と感じます、

    いいね: 1人

    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      ぶんぶんさん、こんにちは☆

      同じようなご質問も大変多いです。(*^_^*) 

      ノンデュアリティは、二つに非ずという意味ですよね。なぜこんなことを書くかというと、非二元はどこまでいっても矛盾がつきまといます。

      つまり、空っぽであって満ちている、不変であって常に変化している、全体であると同時に個という現れである・・・・。これらの二つが、決して分けられない(二つに非ず)んです。

      なので、分離したと錯覚している自我は、悪いものでも間違いでもなく、全体のなかで愛され、受け入れられていますよね。自我という現れ(色)を深くつきつめれば、必ず真実(空)に行きつきます。小波が深くもぐれば、大海を知るように。

      私は今でも時々、守護霊様と会話をします。こう言うと驚く人が多いのですが。でも、それは実家の母と会話するのとまったく変わりはありません。どちらも実体のない現象の世界です。

      現象の世界をさらにこの世、あの世と分けているのは、目に見える世界だけが現実だと判断している自我だけです。

      時間と空間があり、変化があるものはすべて現象、全体が生み出している愛すべき事象ですよね。体を一つとっても、あり得ないほど精巧にできています。

      現象=空であって、両者は決して分けられず、空の視点をもちながら、現象(色)を生きる。

      自我としての自分もご自分が愛しているもの(ヒーリング)も、大切になさって良いのかと思いますよ♪

      いいね

      返信
      1. ぶんぶん

        あゆかさん、丁寧にご返信いただいてありがとうございました。

        >現象=空であって、両者は決して分けられず、空の視点をもちながら、現象(色)を生きる。

        全体であり個である。そして今でも守護霊とお話しされ、でもそれは実家のお母様と話すのと一緒。。という部分を読んで、あ、そういう事かとニュアンスがつかめた気がします。

        早く何かをつかみたい衝動もあり、また突然虚無感が襲ってきたりもしますが、好きなヒーリングも平行してやって行こうと思います。

        ありがとうございました。

        いいね

  3. ikeppp

    あゆかさんのおっしゃるお話、絡まった糸をわかりやすく解きほぐしていただいている感じで気持ちよいです♪
    ただ在るという在り方ってどういうことかな?とフト考えます。
    今の自分の在り方では靄がかかってすべてが捉えられている気がするのです。

    いいね: 1人

    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      ikepppさん、こんにちは☆

      ありがとうございます♪

      もしかすると、重箱の隅をつっつくようなことかもしれませんし、すでにお分かりかも~と思いつつ、書いてしまいますが、すべてはすでに「ただある」ので、それに気づくだけですよね。あり方ではないです。ただ、自我は常に客体に意識が行きすぎて忙しすぎるため、見過ごしているんです。なので、時間があるときにちょっと静かに「ただあって」みると、本質が顔を出してくるかも~というお話をしています。(*^_^*)

      いいね: 1人

      返信
      1. ikeppp

        気づかせていただいてありがとうございます
        まるで行為者のいるような発想をする、こういった信念って根深いのですね

        いいね

  4. ひとみ

    それに気づくだけ
    あり方ではない。

    この表現!
    とてもありがたいです!!

    「私」というものがアルとして
    どこに、そんなに意識があるのか?を
    じーーっくり見ると
    「私はダメだ!」という想いが
    「私」を持続できる想いでした。

    いつでも、どこでも
    この「私はダメだ!」という想いは
    出てきます♪
    癒しのワークで
    「私は生きてるだけで素晴らしい」
    「私は充分に愛され続けている」をさせていただいているうちに
    そこが( 「私」が)確かに!揺さぶられ
    「私はダメだ!」という想いが
    そんなことどうでもいいこと
    になり
    いつもの「私」が薄くなっていきました。
    それと比例して
    いつも変わらず在る「これ」に気づく時間も増えました。

    癒しのワークは「私」が揺さぶられる
    素晴らしいものなんだ!と
    しっかりわかりました。

    私はいない という真理に気づくのに
    癒しのワークは愛そのものだ!と
    感じました。

    感謝

    いいね: 1人

    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      ひとみさん、こんにちは☆

      いつも素敵なコメントをありがとうございます。(*^_^*)

      そうなんです。自分否定は、分離感を強め、「私がいる」感も強めますよね。
      なので、そこが緩んでくると、つながりや愛、全体へとベクトルがむき出します。(ひとみさんは、きちんとワークなさっているかと思いますが、念のため単に頭で言い聞かせるだけでは、ワークではないです)
      だからといって、即真実が腑に落ちるわけでは、まったくありませんが、とりあえず下地作りにはなるかも~と思っています。

      いいね: 1人

      返信
  5. issei

    ♡あゆかさん、“カフェ”の開催地が、私の住む地域から、かなり遠いところしか募集をしていませんでしたので、、

    残念ながら、仕事と、経済的な理由で、申し込めませんでした。申し訳ありません。

    今度、神奈川・東京などで、開かれましたら、是非参加させて頂きたいと思います。(空病のせいで、忘れないといいのですが・・)

    ・・今後の私の命の左右を(意識の行く先)決めるための真理、いえ、真実と現実の探求とはいえ、(死ぬわけではありません)

    理解とか、認識とか、頭と、思考寄りの、問題提起ばかりなので、、

    暫くコメントを控えようと、決めていたのですが、、

    ☆この度の記事は、今の私の心境に近いことが書かれていましたので、まずは、読み始めて、ちょっとびっくりでした。

    他の方々も、そのように宙ぶらりんのような認識の状態の人たちがいらっしゃるのですね。

    なぜか、私の心理状態と、照らし合わせたような内容でしたのて、書かせて頂きます。(心を無視すればいいのでしょうけど)

    ☆これは、私が今までお世話になって来て、信頼と依存と、傾倒をしをているノンデュアリティの担い手の方のブログに、、

    今日、問い掛けとして、書き込もうとして、止めたコメントなのですが、、

    数日間、同じような問い掛けをしても、糠に釘のような反応でしたので、他のノンデュアリティ信者の方々の気分も害するので、投稿するのを諦めたものです。

    ♡宜しければ、あゆかさんに、見聞していいだきたいです。かなり、誇張して、遺憾な事を、アピールしてます。
          ↓

    > いえ~い!ヽ(^0^)ノ 今日もありがたい、ありがたい!お言葉、ありがとうごさいま~す♡

    ♡どんな出来事も本当じゃない!から、まったく、構うこっちゃな~い!

    だって、真実だとか、現実たとか、夢だとか、何だって、みん~な、同じなんですもの~!

    やりたい放題~!好き放題~!何でもやれ!て、事ですよねー!♡

    それで、どんなことが、起きようと、現実じゃないんだから~

    まったくもって、気にする必要がないし、

    そもそも、気にする事自体が、バカバカし~い!ということですよねー!

    ♡この社会との関係も、この家族との関係も、恋人や大事なものとの関係も、思いも、思いやりも、

    み~んな、ただ意味もなく起こっている夢や幻想で、現実じゃないから、

    全然、気にしなくて、いいのですよねー!

    そして、それが、お釈迦様の『悟り』で、本当の幸せなんですよねー!

    ・・さま、今日も貴重な、お言葉の数々のブログの更新♡本当に、ありがとうごさいます。

    ▼しかしながらですが、、

    心・体とも、ノンデュアリティ信者として、染まっているのに、、

    自我も、私という主体も、幻想であり、“現実”じゃないと分かっていらっしゃる方々なのに、

    数々の寄稿されるコメントを拝見しても、

    ♡相変わらず、社会の中で、自分や家族や、愛する者のために、我慢をしたり、

    或いは、奴隷のように“現実ではない夢のはずの”人間社会に服従し、身を粉にして働いたり、

    それまでしてきたように、保身のために、好き嫌いを隠して、

    周囲とのバランス取りに奔走し続けるノンデュアリティリスト信者たちの現象が、このようにあり続けるのは、なぜなのですか?

    やっはり、自我も、私も、人間社会も、現実なんじゃないですか?

    ー・ー・-・-・-・-・-・-

    ・・と、真面目に、こんな問い掛けのコメントをしようと思ったのですが・・

    “あゆかさん”とは、違い、ブログ主も、ノンデュアリティ認識に賛同する人たちも、

    あまりにも、“煙に巻く”説明や、言葉使いしか、しませんでしたので、、

    彼らにしてみれば、人間はいないし、世界は無いし、個性も、個人もいないそうです。

    色々な人が、思い思いの印象から、コメントを寄せられているのに、

    全体の中で、そのような事がただ起きたというだけです。との、反応です。

    では、その個性的な認識して、判断をしているのは、誰なんですか?と訊けば、

    やっぱり、全体の中で、ただ起こっているだけですと話をしめて、

    そう答えている自分や、自我意識を否定して、

    また、それを現実ではない!と言い張る。。

    『無・空』の何も起きてないことを現実として、

    自分やこの世界の現れや、出来事を、すべて、現実でないと言い張る。

    それなのに、講演会を開いたり、リトルートを催したり、個人セッションを受け付けたり、

    社会と自分や他人を認識しての、行動を取り続けている。

    どうして、これが現実ではないと、煙に巻き、言い張るのでしょう?との疑問が、

    湧き湧きなのです・・。(思考を手放せば、疑問も、終わりですが、機会が巡れば、また現れます。。)(_ _)

    いいね: 1人

    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      isseiさん、こんにちは☆

      isseiさんのように感じられている方もそれなりに多いかも~と思います。これは、発信側と受け取り側の大きな溝?誤解?ができてしまったケースかなぁと感じます。両者の気持ちが分かる気がします。

      自我が完全に見過ごしている空性を発信したい、でも、空性を強調すると、色(現象)があたかも重要でないように受け手には見えてしまう・・・・・。

      個人的には、アジャシャンティやルパート・スパイラなどが、そのへんのバランスが見事だと思っています。空の視点から色を深めていくこともたくさん話をしていますので。(非二元原理主義に陥っていると、あたかも人がいるかのように話している!と言われたりしますが)

      とりあえず、コメント欄で書くと長くなりそうなので、記事にしてお返事させてくださいませ。(*^_^*)

      ちなみに自我は、何か、もしくは誰かに依存したいという傾向がありますよね。それに気づかれていることはとても素晴らしいと思います。誰かに依存したとたん、密かに深い所で犠牲者意識も生まれてしまいますから。(←新しい苦しみの元)

      ご自分を信頼し、ご自分に優しくお過ごしください♪

      いいね: 1人

      返信
  6. ひとみ

    下地?どころの騒ぎではありませんよ!*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)’・*:.。. .。.:*・゜゚・*

    全体意識に在りながら(私はいないに寄り添いながら)
    分離意識に気づいているとき
    本当に
    癒しのワークは役に立っています。

    ↑ここに来て、やっと
    空即是色 色即是空 が腑に落ちました。

    全体意識に在りながら
    の方が
    個人意識(分離意識)を見つめ、認めるのが、すごく楽チンですね。
    少しずつ少しずつ全体意識に移行するたびに
    「私は100%価値がない」という思い込みに
    触れれるようになった気もしないでもありません。
    この辺は微妙なところで
    今では、サッパリ思い出せませんが・・・

    今から思うと
    全体意識につながるワーク

    個人意識(分離意識)を癒すワーク

    一緒にさせていただいたのが
    良かったのかな〜〜と
    感じています。

    なので、あゆかさんの二つのブログが
    私には、とても有り難いです。

    天の計らいに感謝です。

    いいね: 1人

    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      わぁ~~、そうなんです!

      分かってもらえて、とても嬉しいです。(*^_^*)
      私自身は、悟りたくて自己ワークしていたわけではありませんが、今振り返って、まったく気づいていなかった強固な思い込みやいらない解釈やら、未消化の感情たんまり状態で、真実をポイントされても、感覚的に遠すぎたなと思います。

      ので、これからもノンデュアリティ&癒しで行ってしまおう。うふふ。

      いいね: 1人

      返信
  7. ひとみ

    はい! (^_^)

    どうか二刀流で 笑
    これからも、是非!お願いします。

    例えば
    突然、全体意識にシフトした場合
    この癒しは絶対に必要だ!と思います。

    むしろ、そのために必要なのだ!とも感じます。

    なぜなら個人意識にとって
    あまりにもわからなすぎて
    困惑=恐怖 となるからです。
    仏教では、この辺のことを悟後の業?とか言うらしいですが。

    今から思うと
    なんだか訳のわからない苦しみ?は
    徐々に全体意識に移行していたからでは?とも感じます。
    私の場合、このとき神秘体験?みたいなのも沢山起こりましたし
    幼い時から、直感重視型でしたから 笑
    生き辛いのも、今から思うとあたりまえですね。

    この世の常識?とか、この世の正しい!という枠から
    はみ出ることばかりで
    親や身近な人(特に、ねば!が強い人)の
    言いなりになってあげられないことに
    申し訳ない!と苦しみました。親不孝?しているようで苦しかったです。
    でも、どうしても納得がいかず
    違和感を感じるばかりで
    自分を誤魔化すことが出来ませんでした。

    また、セルフイメージが急に変わってしまったら
    夫に「嫌われたらどうしよう」みたいなものが強く出てきたり
    子供たちに「迷惑かけたらどうしよう」とか
    浮世離れ?していく自分が、とても怖かったです。
    途中、天は家族をも捨てろ!と言っているのだろうか? 笑
    みたいな苦しみも感じました。

    それでもそれでも全体意識を選択し寄り添う!
    ここが、カッチリと決まってからは

    (↑ここの大きな決断は
    あゆかさんのブログに大いに助けられました。感謝)

    な〜んだ!むしろこっちの方が夫にも子供たちにも
    さらには周りの人たちにも良かったのか!と
    なりましたが
    ここに落ち着くまで、本当に苦しみました。

    なので
    癒しワークとノンジュアリティです。

    ノンジュアリティのブログが必要な時もあり
    癒しのワークが必要な時もあり
    私は、この二つのブログを行ったり来たりしました。
    あれ?もしかしてわかったような気になっているだけじゃないか?と
    恐怖を感じる時は、癒しブログに行き
    また、これだ!と深く感じた時は、気づきブログでした。
    私にとっては両方、絶対に必要でした。
    まるで空も色も必要!って言ってるみたいですね。 笑

    セルフイメージを掘って掘って掘っていっても
    空に出会い
    空と繋がることに真剣になっても
    セルフイメージも癒すことになる。

    だから
    色即是空 空即是色
    なんですね。

    (^_^)

    いいね: 1人

    返信
  8. issei

    ♡いえいえ先生、、数え切れない人たちをカウセリングされていて、それを生業とされてるあゆかさんには、愚問でしょうし、、

    拙い投稿文の書き殴りでしたが、いつも真実から逃げない先生に、お目を通していただいただけでも、満足です。

    でも、一つの症例として、苦しまれてるどなたかのお役に立てれば、幸いです。

    ♡あゆかさんには、本来のわたしらしさに、自信を持たせていただき、

    また、私の思い込みですが、導いても、いただきましたことに、多大の感謝を致しております。(_ _)

    ▽そして、最後の悪あがきに付き合わせていまい、申し訳ありませんでしたが・・

    この何者でもない不動の純粋意識は、いつもここに在り、どこにも行かず、いつでも寛いでおりますが・・

    その“わたし”が気づく感覚や、その印象や、認識、思考や感情などは好き放題、、節操なく無限に生み出されて、

    知らず知らずのうちに、集合体のようになり、無数の個性・『私は~だ!』の概念や、パーソナリティの立場となったりしますが、、

    そして“それら”を、纏った“わたし”は、必ずしも、皆平々凡々の暮らしであるとか、幸せとは言えない体験を致します。♡人間以外も・・

    それなのに、いつもそれを生み出す側は、安穏としているくせに、その認識と、その扱いや待遇は、

    差別が多大で、身勝手極まりないものと思います。

    しかしながら、そのような認識をする意識たちは、自然に自動的に起こっていて、たとえそれが、無自覚とはいえ、、

    すべて、“わたし”が創造しているので、責める事は出来ません。

    ならば、このような思いの、体験を肉体の死後も、二度と味あわないようにするとともに、

    それらを、“今しか見ないこと”が弊害になって、無自覚になってしまい、摂理や法則に無情にも利用されて、そのような立場に陥らないように、探究を続けて行くしかないと、

    腹が決まりました。

    ♡ありがとうごさいました。(^_^)

    いいね: 1人

    返信
  9. ゆき

    あゆかさん、こんばんは!

    分離の夢に酔うより、非二元、ノンデュアリティに酔っぱらっている時のほうが、酔っぱらっていることに気づかない、そういうことは、ものすごく、よくありますね!

    私は、スピリチュアルが好きなので、日本だと、スピリチュアルって、アストラル(感情界)の、すごく低いレベルの話を指していることが多いので、とても残念に思います。

    ただ、よく見ていくと、全うな、すべてのスピリチュアル、宗教も含めて、スピリチュアルの基礎には、非二元があって、あっ、ここにも、ここにもって、発見の連続で、

    それに、

    現実(リアリティー)も、どこにもあって、ここにも、ここにもあって、面白いのだけれども。。。

    ほんとうに、

    「空を生きる」「ノンデュアリティを生きる」っていうのは、幻想ですね!

    いいね

    返信
  10. ひとみ

    こんにちは。

    いつも、ありがとうございます。

    こんな出来事がありました。
    何十年ぶりに友達からメールが来ました。
    それが「お元気そうでなによりです。うふっ」みたいな。

    その途端に カチン!!!と来ました。
    身体のどこに来てる?と感じましたら
    背中が、まるでヒビが入り割れる!かのように
    背中に来ています。
    口では「頭に来た!」と言っているのに
    実は背中に来てる。これ笑えました。

    そこから癒しのワークです。
    どうしてそんなに怒っているの?
    だって、こうでこうでこうだったから・・・
    なるほど、なるほど
    それは怒って当然だし、その気持ちも十分にわかる!
    さらにもっと、でもなんで?と聞くと
    もっと仲良しでいたかったと出てきて
    なるほどーーーそうか!
    仲良しでいたかったんだーーなのに居なくなったから辛かったのかー
    と、もっとわかってあげられました。
    さらに、どんな風に仲良しでいたかったの?と聞くと
    一分の隙もなくピッタンコとかえってきて
    さらに、なるほどーーーでした。
    そりゃあ辛いわ!と、私の気持ちをもっと理解してあげられました。

    今、本質側(私はいない側)に在りますので
    こんなことも堂々と書けるのですが
    癒しのワークをさせて頂き
    さらに本質側にいることが
    どっしりする感じがします。
    本質側に居て、お片づけしている感じです。

    感謝

    いいね

    返信

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