受容の中に答えがある♪

自我が、“これは私だ”というとき、
それは必ず良いものであって欲しいと願う。

私の体
私の思い
私の感情
私の人生

きれいな容姿が良い
ポジティブな思いや感情が良い
楽しいことがたくさんある人生が良い

これは自我の生きる動機、発露であるとともに
たいていの良くしようという試みには、今への否定があり、
だから苦しみももれなくついてくる

気づいている意識、空、純粋意識、全体、etcが
“これは私だ”というとき、

体も思いも感情もすべて完全に自由になる

良い悪い、好き嫌い、レッテル、解釈、判断という
思考の枠からすっかり自由になる!

完全に自由になって気がつく、あっ、自由って
完全な受容の中からしか生まれないんだ・・・。

だから、

悲しみも
退屈さも
後悔も
迷いも
恨み、妬みも

失敗や間違い、損失も
病や事故も
欝や引きこもり、
貧困、世の中の不公平、
戦争や災害も

すべてはあって良くて・・・、と書くと誤解を生むだろう
言い換えれば、それらはすべてすでにここにあって、
つまり、それらはあることが完全に許されていて、
そして、すでにあるものを否定することはできない(遅すぎ)

だから、それらがすべてすでに受け入れられていることに気づいてみよう

そして、その受容の静けさの中にただいてみる
受容とは、決してただ甘んじる、あきらめる、何もしない、受身になる
という意味ではなく、無条件の愛という静けさと生命の発動がある場

思考で忙しく答えを出そうとしていると気づけないけど、

愛は必ず叡智を携えている

愛=受容=智慧=癒し

受容とはだから、否定や恐れではなくて愛が答えを出してくれる場

ものごとが本当に癒される場

何をしたいか、何をしたら良いか、自ずと現われてくる場

いい?これは待ちゲームだよ。急がないこと♪ 急ぐのは思考だから

受容がしっかり見えてくるまでじっと待とう

それがあなたのなかに無限に用意されていると分かるまで

というか、あなたはほんとうは受容そのもの

だから、自分の中にあるものや起きていることと戦わなくて良いよね♪

 

           ☆☆☆ お知らせ ☆☆☆

12月3日(土)名古屋にて「ノンデュアリティと癒しのカフェ」開催♪
詳細は近々アップいたします。(※名古屋、大阪は誰かが主催してくださる
場合のにみ開催しています)

実は密かに東京「ノンデュアリティと癒しのカフェ」も開催しています。
案内希望の方は、nondualseminar@gmail.comまで「東京カフェ案内希望」
としてお送りください♪

受容の中に答えがある♪」への33件のフィードバック

  1. タコ

    私は学校の勉強は全く出来なくて落ちこぼれでした。
    仕事には就いていますが、小さなミスでも自分はやっぱり駄目な人間だと
    思って落ち込みます。

    こんな私でも、いつか自分を許す時が来るのか…。52歳パート主婦…。

    いいね: 1人

    返信
      1. ayukablog 投稿作成者

        匿名さん♪

        タコさんと同じお返事になりますが、ダメダメ、ヘボヘボは思考の解釈でそこになんの真実もありません。そして、愛へ導かれているのではなくて、すでに愛の中にいるんです♪

        いいね

    1. ayukablog 投稿作成者

      タコさん♪

      学校の勉強ができなくて、自分はダメだと思い込む人がほんと~に多いです。点数がつけられますから、ある意味当然ですよね。でも、でもそのために自分の良いところをほぼ見落としてしまいます。自我は、非常に多角的、多面的ですから、勉強と仕事の二点に絞って思い込まなくても良いかもしれませんね。

      なので、ちょっと表現を変えると、握り締めている思い込みからいつ自分を解放して、自分のすべてがすでに完全に受け入れられていると気づく時は来るのか・・・ですね。

      自己否定はどんなに真実味があっても、ぜんぶ思い込みです♪

      いいね

      返信
      1. タコ

        こんな私に、返信をありがとうございます。

        多いのですか??
        私は親に認めてもらえた事がなかった事が原因で、親からの押し付けで
        こんな変な思い込みが作られ….本当は愛の中で許されている事を感じたい。

        先月の(このウンザリするような不幸感をチャラにしたい)という言葉が
        この何十年間の人生にピッタリです。

        抜け出すには非二元よりセラピーか。
        人生終盤、自由になりたいです。
        書かせて頂き、ありがとうございました。

        いいね: 1人

  2. shige

    今回も素敵なブログ読めて嬉しいです。
    「すべてはあって良くって、、、」すべての中に自分も含まれ、
    自分の立ち位置から物事を観る/判断するから戦争/災害/病といった
    「良い」「悪い」が生まれる、、その「良い」「悪い」の感情は速さを競う思考の仕業、
    思考のスピード速いと頭いい感じするし、な〜んてグズグズ考えないで
    今夜はじっと待って見ます!!

    いいね: 1人

    返信
  3. みゆ

    「自我・自分」がでしゃばって、邪魔をして、「大いなるもの・愛・事実・それそのもの…」の流れを止めてしまう。すでに「それそのもの」であるらしいのに、それがわからない…自我に飲み込まれて、苦しい毎日です。

    苦しい毎日を抜け出そうと、「自我・自分」をなくそうと、講座や道場などに通っていますが、難しくて、厳しくて、辛いのです。
    自我は、自我がなくなることを防ごうと、辛さや苦しさを感じさせるらしいから、その辛さなのかなと思いながら、なぜこんなことしているのかなと、余計に毎日の苦しさが増してしまっています。

    厳しさを乗り越えなければ、行動をしなければ、「見性」のチャンスも訪れない(最終的にどうにもならないけれど)。見性してからやっと、「自分」をなくしていく真の自己想起の探求の道が始まる…とのことなのです。待っているだけでは何も変わらないと、自発性が必要なのだと、厳しく言われるのです。

    あゆかさんも、道場の先生も、色んな先生も、皆さん、きっと同じことを言っていて、それが真実なのだろうなと思います。事実が、愛が、それそのものが、ただ流れているだけ起きているだけ…それを妨げずにいられるとき、本当の自由があり、この命が使われる生き方がなされる…

    でもそれがわからない。やってみてもできない、わからない。苦しい毎日を抜け出したかったのに、そのためにさらに苦しまなければならないなんて……

    自我が、「非二元」を、新しく「よきもの・めざすべきもの」として措定してしまったのかもしれません。「非二元」がわからない今の自分はダメなのだ。がんばらなくては、何か行動しなければいけないのだ……

    「待つだけじゃダメ。自我の習慣を断つには主体的にならなくては」と言われます。でも「待ちゲーム」なのだと。。

    わからないのです。でも、「自我」にはわかるはずのないことなのだそうです。でも「やるしかない」と言われるのです。何をやるのでしょう?何をやらないのでしょう?

    謎かけのようにしか、きこえないのです。そして、そのような捉え方が間違っていると、言われるのです。

    いいね: 1人

    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      みゆさん、こんにちは☆

      >厳しさを乗り越えなければ、行動をしなければ、「見性」のチャンスも訪れない(最終的にどうにもならないけれど)。見性してからやっと、「自分」をなくしていく真の自己想起の探求の道が始まる…

      うわぁ、これは厳しいですね。私ならこのような道は一秒で逃げ出しそう。というか、自我が自我をなくそうとする絶対できない試みは、苦しいだけだと思います。「見性」もいらないし、「自分」をなくしていく必要もまったくないかと思いますよ。こんな教えがあるんですね。びっくりです。

      ここで言っているのは、自我はなくしたり、乗り越えたり、また自我の修正を断ったりする必要もなく、受け入れてあげるものだということなんです。というか、もう受け入れられているんです。何もしなくても。

      そして、自我は間違いでも邪魔者でもありません。とても愛おしいものです。
      真逆のことを言われると混乱するかもしれませんね。

      とりあえず、非二元とか忘れて、自分に優しい一日を送ってみられたらいかがでしょうか?

      いいね

      返信
      1. みゆ

        あゆかさん

        ありがとうございます。自我は受け入れるもの(すでに受け入れられているもの)なのですね…

        私は、色んな珠玉の教え・メッセージを、私なりの枠でとらえて組み直して取捨選択して、歪めてしまっていたのかもしれません。

        自我が苦しみの根源なのだからと、自我のない状態を、自我がめざす…

        私は、苦しみは嫌だと、除こうと、苦しみを否定し続けているのですね。

        自分に優しくすごそうと思います(ってどんな状態なのかわからなくなる…(笑)

        いいね: 1人

    2. ZYO

      みゆさん
      今苦しい状況にあるのが、じんじん伝わってきました。
      私も楽になりたいと講座などに通っていました。一時的に目の前が明るくなった気がしても、日常に戻ると引き戻されるように苦しい毎日に、変わらない風景に、暗くて深い絶望を感じたものです。

      苦しいですね
      苦しい思いと向き合って、真剣に歩んでるみゆさんに愛しさを感じます。
      (勝手に感じてすみません)

      頑張らなくていい
      わからなくてもいい
      今までもすごくすごく頑張り屋で努力を重ねるタイプだったのではないかな

      苦しめてお尻叩いて動け変われ〜って言っている思い(エゴ)は、みゆさんの事を想って愛情を表現している心配性な母のようなものではないかな。

      うるさいけど、いやにもなるけど
      、実は愛情たっぷり。人生を良くしよう、幸せであるためには、こうしろああしろ。こうであらねば。
      幸せにいきていくためにを一生懸命説いてきますよね。(私の場合はですが笑)
      きっと唯一無二に愛してるんですよね。

      ありがたいけど、それは本当?
      真実だ〜と頭にべったりまとわりついてくるエゴの思い。
      ありがたいありがたいと、しっかり聞いていくと、でも本当は、、、とハートがホッとする答えのようなものが、必ずすでにあるかと思います

      うーん!
      近くにいたら抱きしめたいくらいです!
      勝手にハグ!

      雲の先には必ず青空がある
      雨の日も、晴れの日を労わり潤す恵み

      共感と愛をこめて

      いいね: 1人

      返信
      1. みゆ

        ZYOさん

        ありがとうございます。苦しいのが伝わるというのは、何だか恥ずかしいですね。ひとりでこじらせて、自作自演なだけなのですから…

        ZYOさんも講座に通われていたとのこと、それは、もう行かれていないのでしょうか?

        苦しみがない理想の状態を求める、自己想起のそれそのものの純粋な状態を求める…
        大いなる何かすら、目指すべき対象になっているのです。救いようがないですね。

        ZYOさんのおっしゃるように、それを求めるのも、心配性の親のようなものだとしたら…「ありがたい」と聞くけれど、「でも本当?」と問いかけるなら……

        真っ白になってしまって、わからなくなってしまいました。。

        いいね: 1人

  4. rusland

    みゆさん
    自分に優しくが・・分からない。
    もやもやとしたその気分よーーーく分かりますよ。
    ・・お風呂につかって暖まって、胸のあたりに手をあてて、
    「いいんだよ〜」と言ってあげてください。
    ぜんぜん良くないよ!という思考が起こったら・・
    「よくなくなくてもいいんだよ〜」と繰り返してみて。
    せつなくて、愛おしくて、笑っちゃう感覚が訪れたら、
    それが優しさ♪

    いいね: 1人

    返信
  5. 匿名

    あゆかさん、
    すでに愛の中にいるなんて…
    グッドニュースですが
    すごくショックです。。
    こんなに苦しいのに愛のなかなんて

    いいね: 1人

    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      匿名さん♪

      小波は大海の外には決して出られなくて、いつも大海(愛)の中にいるんです。ただ、自己否定や様々な否定を抱えていて緊張し、大海が感じられないのかもしれません。

      苦しさはなにか自分に関するネガティブな思考をすっかり信じ、そこについてくるネガティブな感情にすっかり同化しているからなんです。非二元よりもセラピーお薦めするかも。 

      いいね

      返信
  6. ayukablog 投稿作成者

    たぶん、それなりにあるかもしれない誤解として、自我が苦しみの根源だというものがあるかもしれませんね。私も一時期そんなふうに思って、自我を超えるんだ!と思っていました。

    でも、自我が苦しみの根源ではなくて、自我が自分だと思い込んでいる勘違いが分離感を生み、自己否定を生み出すんです。自分は大海なのだと分かれば、小波である自我は愛おしい存在になりますね。大海はすべてをまるごと自分だと分かっているから、無条件にあるがままに愛している(←かなり比ゆ的な言い方をしています)んです。

    いいね

    返信
  7. 中年会社員(男)

    はじめまして

    四十代男性会社員です。

    青年期から家系、血筋で悩み、宗教や自己啓発など取り組んできました。

    動画であゆかさんのお話を聞いて、びっくりしたと同時に希望のような気持ちが湧きました。

    >無条件の愛という静けさと生命の発動がある場

    よく ”静けさ” という表現を目にするのですが、イメージすることが出来ないでいます。
    出来れば私も一瞥体験に出会い、自我を受け入れられる境地に達したいと思っています。
    よろしくお願いします。

    突然すみませんでした。
    これからもあゆかさんの発信を楽しみにしています。

    いいね: 1人

    返信
  8. ひまわりM

    はじめまして
    最近、いろんなところで色々知って
    自分が自分でないような現実感がなくて夢の中のような
    離人症?のような感じになったりしたり
    でも、不安とかでなく大きなものの一部のような
    起きること、見ること、わいてくるものが全て自然の一部のような
    何もかも計画通りのような
    ただ、全てがある という感じがします。

    今まで持っていた意味のわからない不安感が消えて
    すべてひっくるめて起きることが起きるのだな~と安心感に似たふしぎな感覚がします。
    私は何も変えることもできない
    変える必要もない
    いいも悪いもなくて

    すべて大丈夫になりました。

    なんだか不思議です。

    いいね: 1人

    返信
  9. 飛翔こそ蘇生

    まだ気づいていない人からすれば
    自我が自分で

    その自我は自己肯定するから

    気づいている人の方が
    おかしいんだという理屈になる。

    「離人感」自体は
    ありふれた感覚。

    映画や読書に熱中して
    声をかけられても気づかないというものから
    「離人感」です。

    「離人感」が即「離人症」ではありません。

    コントロールのきかない離人感で
    社会生活に悪影響のある身体症状などを伴った場合に
    離人症なのだと思います。

    離人感に対して過度に不安になる必要はないでしょう。

    静かに受け入れて味わえば良いだけと思います。

    人が魂のステージに上がる時の
    自我から離れる感覚が離人感でしょうから
    当然、離人感はあるでしょう。

    離人感か非二元かの違いは
    不幸な自分からの逃避で外に求めてしまって気づけず病むか
    内なるものに気づき「愛=受容=智慧=癒し」に至るかの違いではないでしょうか?

    神学的に言えば、悪霊に憑かれるのと聖霊に気づくのの違い。
    仏教的に言えば、無明に負けるのと仏性に気づくのの違い。
    そういうステージ。

    まぁ離人症さえも自分を守るための
    自然の営みでしょうから気づき受容すれば
    愛に癒され非二元へと入ることも出来るでしょう。

    闇が深いほど暁は近い。

    病気になることは恥ずかしいことでも何でもないので
    辛い症状がある場合には素直に病院に行ってみれば良いです。

    皆様に愛と幸せを!

    いいね: 1人

    返信
  10. ひとみ

    おはようございます!あゆかさん♪

    癒して癒して癒しているうちに
    なんだか面倒くさくなってきて 笑

    まっ とりあえず、こっちに入っておいで ( ´ ▽ ` )ノ
    に、なってしまいました。

    もーー可笑しくて可笑しくて お腹が痛い ☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

    そんで そこにいると
    トロントロンになっちゃって♪♪♪

    うーーとりです ☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

    魅了されっぱなし
    魅了そのもの
    だけど冷静。。。。
    冷静な恍惚感

    愛=受容=智慧=癒し

    感謝

    いいね: 1人

    返信
  11. Coco

    この苦しさから抜け出したい、この惨めな状況をなんとかしたい・・・
    多くの人がおそらくこういう気持ちで非二元に「救い」を求めている。
    非二元というものがわかれば、そしてあわよくば見性できれば、この苦しみがなくなるという希望を持って。

    でも、人は、この今の苦しさから逃れたいと切望すること自体が「いま否定」であるということ、「いま否定」をするから、すでにあるものに抵抗するから、ますます苦しくなるというパラドックスになかなか気づかない。

    どんなに苦しくても、これが「いま」、どんなに惨めでも、これが「いま」。
    それのどこが悪いのだろう。それのどこを否定しようというだろう。
    「私」という思考以外に、一体何が否定しているというのだろう。

    静かに向き合ってみよう。
    ただ苦しさがある。ただ惨めさがある。ただ痛みがある。
    状況は変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。
    それはあまり重要ではない。
    変わらなければならないと言っているのは思考だけ。

    苦しさが目の前にあるとき、惨めさが目の前にあるとき、痛みが目の前にあるとき、それはすでにここにあることが許されている。なぜなら、許されていないものは決して現れないから。

    そして許しているのは、全体、愛、存在、そして私、そしてあなた。

    いいね: 1人

    返信
  12. ayukablog 投稿作成者

    皆さん、たくさんのコメントをありがとうございます!

    このブログに「個人的な意見」というコーナーがあるのですが、今すごく苦しいならセラピーをお薦めします~と書いてあります。なぜなら、非二元は苦しみから抜け出す手段ではないからです。手段にしてくる限り、真実は見えてこないでしょう。最後まで良くなりたい自分がいますから。

    ただ、楽になるのが目的であれば、セラピーも十分にできます。苦しみの中身は人それぞれです。それをきちんと見ていき、どんな抑圧された感情やどんな抵抗や否定があるのかを見ていくことで、きちんと地に足が着いた癒しができるんです。ある意味、歯が痛いなら歯医者へ行ったほうが早いように、例えば育った環境のせいで自己否定が大きくて、それで苦しいのなら、セラピーの方が早いんです。

    また、離人症は心のしくみとしては、トラウマなどによる乖離の状態と言えるでしょう。私は心理セラピストなので、こういった心の病は、きちんとそれはそれで見ていくほうが好きです。でも、どんな解釈、見方があっても良いんじゃないかとも思います。

    また、真実を知る=現実味がなくなる、何にも感じなくなるではなく、その反対ですね。自分は生命そのものなんです。受容であってものすごく優しく、すべては自分です♪ (そして、そのどれでもない。ふふ)

    いいね

    返信
  13. ひとみ

    あ!これ!よーっくわかります。(勘違いだったらすみません)
    私も、あゆかさんに薦められてセラピストさんにお世話になりました。
    それまで、ただただ苦しいなぁーだったのが
    セラピストさんのおかげで
    あーー!だから苦しかったんだ!の「だから」の部分がガッチリわかり
    そこに徹底的に向き合い、癒して癒して癒していくと
    不思議なことに 変な表現になりますが
    宇宙の仕組み?みたいなものもわかり
    最初、自分に向き合うことは何だか怖い?みたいなものが
    自分に向き合うって メッチャ楽しいし面白いし
    さらには軽くなるし 可笑しいし・・・
    この可笑しい!が、まーまー今までは必死に隠していたものなのに
    あ!と気づくたびに、こんなん隠してましたー*\(^o^)/*と
    あばきだしていくことが快感になり、また1つまた1つと解決していくたびに
    分離の領域が減っていくので、それと同時に全体が顔を出す!みたいな。

    ちなみに私はトラウマなんてない!とガッチリ決めつけていたのですが
    トラウマどっさりありました。
    なんだかその場面場面で、なんともいたたまれない気持ちになり
    どうしていいのかわからなくなる!ということが多々ありました。
    これがまさか!理不尽なことをされているのに嫌だ!と言えなかった。
    それは捨てられるのが怖かったから。が明白になりました *\(^o^)/*
    今はもう全然大丈夫なのに・・・でした。

    とにかくセラピストさんにお世話になる!
    これは本当に素晴らしいものです。
    ちなみに私は、さらに奥深くの罪悪感を発見しましたので
    再度、お世話になります *\(^o^)/*

    感謝

    いいね

    返信
  14. タケ

    あゆかさん、いつもありがとうございます。
    受容から自由が生まれる、素敵な言葉ですね。
    自我のみでは感じられない感覚だと思いました。

    すべては受け入れられている。
    これを否定することになれば、苦しくなりますよね。

    いいね

    返信
  15. よしこ

    あゆかさんこんばんは^ ^

    今回のメッセージを拝見して心がゆるみました。

    1年ほど前からセラピーを受けたくて、でも本格的に受けるとなるとそのお金がなくて、お金がない自分を責めたり、ま〜色々ときりがないくらい、セラピーを受けることのできない状況と過去をうらみました。

    セラピーを受けないままの今の私はダメな自分
    セラピーを受けたら、愛をとりもどせる
    受けた人の感想や気づきを拝見し、焦り嫉妬し、そうやってなかなか今の自分を受け入れることができず、セラピーを受けることができない人はどうしたらいいですか⁇とすごく悩みました。

    でも今日このメッセージを拝見し、セラピーを受けれなくてもそういう私もそのままで良かったんだって。

    セラピーを受けても受けなくても何か不足しているわけでもなかったんだと気づきました。

    焦りがでることもありますが、それも含め何が起きても愛ですね。

    いいね

    返信
  16. 中年会社員(男)

    あゆかさん

    こんにちは

    ブログで丁寧に優しく語ってくれているあゆかさんは自我なのでしょうか?全体なのでしょうか?(*_*)

    考えれば考えるほど分からなくなってしまってます。

    この文章を書いている私は自我であり全体でもある。
    でもあゆかさんは全体であることを体感されているので、全体が自我に向かって真理を説いていることになるのでしょうか?
    しかしその自我さえも全体からの現象と考えると……

    全体が全体に気づいて下さいと語りかけることはないので、それすらも全体が映し出すストーリーでしかないのでしょうか。
    ストーリーのなかで気づけない気づけないと悩んでいるのかと思うと虚しささえ覚えてしまいます。

    グチグチとすみませんでした。
    今はストーリーの中の自然を体感することからはじめています。

    いいね: 1人

    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      中年会社員(男)さん、こんにちは☆

      私か全体が誰かに話しかけているんではなく、主体や客体なしに、それが起きているんです。

      自我と全体(←気づいている意識の意味ですよね?)というように、決して分けられない(非二元)ですし、誰が(主体)が誰に(客体)に向かって何かをしているというのも、二元の発想で、そういうわけでもないですよね。

      考えて分かるものではないものを考えると分からなくなりますね。また、静けさはイメージするものではないでしょう。例えば、「甘い」をいくらイメージしても、あまり意味がないのと同じです。

      考えて把握しようとしないで、今、自分がいることが分かっていますよね? その分かっている意識には年齢がありますか?男女は?分かっている意識は考えていますか?それとも考えに気づいているだけですか?自分がパニックになっているときも、その意識も一緒にパニックになっていますか? それとも、ただ、パニックになっていることに気づいているだけでしょうか?

      シンプルにそこに留まってみられたらいかがでしょうか?

      いいね

      返信
  17. 中年会社員(男)

    あゆかさん

    リコメントありがとうございます。

    たしかにイメージするには限界があるように思います。そこに留まると言うのも少し難しいように思うのですが、心を静めて自我を見つめるときを維持する感じかなぁと思ってます。

    いつも就寝前に、あゆかさんの動画を見て、リラックスしてきたら自我を観察しています。体調が良いときはそのまま眠れてます。

    あゆかさんの発信を楽しみにしています。
    いつもありがとうございます。

    いいね

    返信
  18. 中年会社員(男)

    たびたびすみません。

    私には小学生の子供がいるのですが、非二元を探求する事で子育てに影響はないでしょうか?

    子供たちに、「本当は自分は居ないのだよ」などと教えるのは早すぎますでしょうか?

    お時間に余裕がございましたら、アドバイスお願いします。

    いいね

    返信
  19. 溝口あゆか

    こんにちは、今、熊本でメンタルケアのプロジェクトで来ているので、ログインができないのですが、溝口あゆかです。

    ノンデュアリティ、というか、真実は概念だけ伝えるも、か、何の意味もないかと思います。

    まずは、ご自分が本当に自己の不在を見抜けているのか、そして、もっと大切な、では、自分の一体何なのかを頭ではなく、真に見えているのかが大切なことかなと思います。

    自分が真に理解していないのに、概念だけ伝えても、混乱と勘違いを生み出すばかりかと思います。

    少々きつい言い方になってしまったような気が致しますが、ご参考までにして頂ければと思います。

    いいね

    返信
  20. 中年会社員(男)

    あゆかさん
    ありがとうございます。
    確かにその通りだと思います。

    まずは自分が大いなる錯覚から目覚めれるよう、いろんなものに触れていきたいとおもいます。

    熊本ですか?私は長崎県在住です。
    九州であゆかさんに会える機会があれば、是非足を運びたいと思ってます。
    いつも丁寧にありがとうございます。

    いいね

    返信
  21. めめ

    あゆかさん、はじめまして。
    ブログの内容とは関係ない質問になってしまうのですが、非二元や悟りの状態の例え話しで、美しい景色に心奪われてハッと我にかえる時というのを何度も聞きました。
    その心奪われている状態、景色にうっとりしてる状態の事を言っているようですが、私は心を奪われる状態がよくわかりません。美しい景色を見た時には、「うわー!キレーイ!」という思考が同時に存在していて、涙が出るほど感動する事は多々ありますが、思考なしに何かを目にするという経験がありません。
    あと、ボーッとして誰かに呼ばれても気づかないで、2、3回呼ばれた所でハッと我にかえる時、みたいのも聞いた事がありますが、その状態は経験した事がありますが、その時は世界が愛でできているとか、すべてが許されているとか、そういう感じはありません。
    「経験」すらもなく、ハッと我に返った時に「経験」が戻ってくる感じです。
    熟睡してる時に状態としては近いと思います。
    難しいと思うのですが、その心奪われている状態、ハッと我にかえる前の状態のどのようなところが非二元の例えになるのか、わかりやすい説明がありましたら教えて下さい。

    いいね

    返信

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