“ある”が分かれば、“ない”が分かる♪

ある意味よく分かりますが、ノンデュアリティ=「私はいない」のように思っている人もそれなりにいるようで、「私がいない」状態になれば良いのだ~と思っている感じのご質問をけっこう頂きます。

でもたぶんこの発想だと、状態や感覚を追い求める勘違いに陥ってしまう可能性大です。

「私がいない」であれ、「空(くう)」であれ、ある状態になるとか達することを目指すと、どうしても「そのようになる誰か」が前提となってしまいます。まぁ、たいてい自分。

また、私が私がいない状態になれば良いのだ・・・というのがすでに矛盾しすぎていますよね。私がいないのを私が確かめるみたいな。

でも例えば、ラマナ・マハルシにしても、エックハルト・トールにしても、彼らが示しているものは、“あなたはアイデンティティを間違えていますよ~”ということなんです。

つまり、なくそうとしている「私という感覚」は、体や思い、感情に付随しているものでもなく、またそれらに制限されているものではなくて、気づいている意識そのものなのだという理解です。

その理解が起きたとき、きゃっ、ここに誰もいないの!まじ~っ、コワッ!というのが見えてきますよね。

“Who am I? ”という有名な問いは、ダイレクトパスの始まりとも言われています。つまり、私は体だ、私は日本人だ、私は人間だ、私はセラピストだ、私は女だ・・・・というアイデンティティが本当に「私」なのか、ダイレクトに見ていくんです。

それらのレッテルをすべて取り去ったら、何が残るのか?

そこには切れ目のない経験の波と「私という感覚」だけがあるはず。(経験者はいなく)

そして、そこで終わらせず、「私という感覚」にただ留まる。「あるにただある」
これはまた、ニサルガダッタの先生が伝えてくれたこと。

つまり、まず真のアイデンティティを確立すること。

そうすれば、自己の不在も時空の幻想、主体と客体の幻想もあらゆることが自ずと見えてくるはず。

そして、あるにあり続けるとは、空(くう)にぼんやりとあり続けることではないことは一秒もしないうちに分かりますね。

空(くう)は、現象で満たされたダイナミックなエネルギーであって、時がないところにあらゆることが起きていて、それが止むことがない。

あらゆる現象がすべて自分であって、何も知らないものはなく、自我のハートが自然に緩んでいく。

ハートが緩んで開いていけばいくほど、「色」の微細さ、深さ、摩訶不思議に圧倒され、いかに何も分からないかが分かってくる。

と、同時に最も身近な自分の思いや自分の気持ちもその摩訶不思議さの一部であって、謎と永遠性に包まれた愛おしいもの。

“私がいないって分かれば、嫌な感情を感じないはずだ”という思いもそこではもう意味はなく、怒りも沈んだ気持ちもショックも摩訶不思議なダンスの現れ。

とはいえ、ここで気をつけなくてはいけないのは、“すべてはダンスなのさ~~”という言葉で、自分という豊かで深い「色」の現れをバサッと無視しないことですね。

つまり、自分のユニークで複雑な心の存在をきちんと見つめ、ケアしてあげること。

空(くう)の目線だけで、色である心の動きをないがしろにしないこと。ねじ伏せないこと。

空は色を含み、色は空そのもの。

空を確立すれば、そこは色で満ちた世界で、色を深く見つめれば、そこには空しかない。

どこまでも終わりがなく、すべてはただ不可思議な愛だけ。

あぁ~~、ただそれだけ。(*^_^*)

 

※ウパニシャッドをまた訳してみました♪→★

☆☆☆☆☆☆

ご覧頂いた方も多いと思いますが、動画をアップしました♪

気軽なノンデュアリティトーク・パート1

気軽なノンデュアリティトーク・パート2

大阪ノンデュアリティと癒しのカフェ、会場が広くなりました!

気軽にいらしてください♪

4月の東京ノンデュアリティと癒しのカフェは、満席となりました。

5月の東京ノンデュアリティと癒しのカフェは一般募集いたします。

(ブログにも近々アップいたします!)

※一度お申込みいただいた方は、ご案内を差し上げます。

今後の開催案内ご希望の方は、こちらからお申込みください。

“ある”が分かれば、“ない”が分かる♪」への7件のフィードバック

  1. sally

    あゆかさんこんにちは、はじめまして。私は二年程前にノンデュアリティのメッセージに出会い、あゆかさんの事も知りました。

    正直最初はこのメッセージに衝撃をうけましたが、心にスッと入ってくるあゆかさんのこのブログ(やyoutube)に出会えたのは私にとってとても幸運でした。

    初めてですが三つ程質問させて下さい。ちょっと的外れな質問をしてしまうかもしれませんが…

    『私という感覚に留まる』というのは(常に)〝体を意識する〟とは違いますか? ある メッセンジャーの方が、「体を常に(?)意識する、そうすれば思考が過去や未来にいかなくなる」というような事をおっしゃっていて、ちょっと実践してみたのですが〝常に〟はしんどい様に思いました(^ ^; でもこれ多分実践とかではないですよね?
    メッセンジャーの方は普段体を意識して過ごしてらっしゃるのかなぁとふと思いました。

    それから〝全ては全体の表現〟という事についてですが、ある出来事に対して嫌な気持ちが湧いたりモヤモヤしたとして…こういうのは…このメッセージが…ふに落ちると…無くなりますか………?

    ダメですねm(_ _)m、まだまだ頭の理解です。実はこの質問に関しては無くなるとかそういう事ではないというのはなんとなくわかってきているのですが、〝全体の表現〟というのは説明は難しいんですよね。

    最後に、例えば今この瞬間自分が自室にいるとして、夜なのでカーテンも閉めきって外はみえないんですが、カーテンや壁や机 、今部屋にあるもの以外はない、それこそ外もないし家のキッチンやトイレもない(頭の中、想像)ということであって(?)ますか?

    初めてなのにあつかましく沢山質問してしまってすみません。このメッセージは頭の理解ではないのは段々分かってきているのですが、どうしても知りたいと思ってしまいます。

    私はあゆかさんの分かりやすくて愛のあるこのブログが好きです。段々暖かくなってきましたが、それでもまだ寒いので、ご自愛下さい。

    拙い文章で大変失礼しました。

    いいね: 1人

    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      sallyさん、こんにちは☆

      ブログや動画をご覧になって頂きありがとうございます♪ (*^_^*)
      さて、ご質問にお返事させて頂きますね。

      >『私という感覚に留まる』というのは(常に)〝体を意識する〟とは違いますか?

      ちょっと違います。留まるというより、あるにある。言葉が二元なので難しいのですが、実際には非常にシンプルです。言い方を変えれば、ただ何もしないである。あまり変わらないかな(笑)

      私はとくに何もしていませんが、目覚めるためにというより、癒しのために自分の思考や体の感覚に気づいているのは役に立つと思い、随分前からやっていました。今は、努力なしに勝手にやっています。

      何か努力したり、思考をコントロールしようとするのは、違うかなぁと思います。

      >ある出来事に対して嫌な気持ちが湧いたりモヤモヤしたとして…こういうのは…このメッセージが…ふに落ちると…無くなりますか………?

      嫌な気持ちやモヤモヤは永遠に湧きますよ~(笑)。それは、気づいている意識がしているように無条件に受容されるんです。(すでにされているんです)だから、苦しみがないんですね。
      「私」がいつか嫌な気持ちが沸かなくなるために、目覚めを求めているとしたら、永遠に終わらない旅になってしまうかと思います。そっちではないんです。

      >最後に、例えば今この瞬間自分が自室にいるとして、夜なのでカーテンも閉めきって外はみえないんですが、カーテンや壁や机 、今部屋にあるもの以外はない、それこそ外もないし家のキッチンやトイレもない(頭の中、想像)ということであって(?)ますか?

      その通りですね。ですが、そうすると、自分の体を中心に現象を見てしまうと思うんです。なので、こういったことよりも、自分は何か?という、今回のテーマに戻ってみるのはいかがでしょうか?

      気づいている意識は、どこにも位置せず、体や自己の視野に制限されるものでもなく、無限の存在です。で、それがあなたです♪ (*^_^*)

      それが確立されたとき、思考がどこへ飛んでいようが、嫌な感情が出てこようが、体がどこに移動していようが、安らいだ本質がいつもそこにあるんです。

      いいね

      返信
  2. sally

    早速のお返事ありがとうございます。 凄く感動しています!

    最後の質問の〝例えば今この瞬間の〜〟のお答えは、ハッとしました。体を中心に見てしまっているという事なんですね。〝気づいている意識はどこにも位置せず〜〟の部分は深く唸ってしまいました(笑)

    〝自分は何か〟、このテーマをしっかり(?)見てみる事にします。

    あの…もしかしたら同じ様な事を訊いてしまうかもしれませんが…

    私、『存在感』というのはどうしても自分の体(型)を意識してしまうのですが、そうではなくこの体の現れも含め、今ここにある全て、(部屋にいるなら椅子、床、花、テレビ、壁、空気等)に存在感がある…という感じで宜しいでしょうか? (存在感は途切れていない?)

    で、多分これ絶対違う事をやってると思うんですが…今ここに在る全て、見えるもの(視界に入っているモノ)から聞こえるもの、体のあらゆる感覚に『いっきに気付く』(意識を向ける)、これもコントロールしようとしているって事ですよね。結構大変です。

    すみません、なんか変な訊き方をしてしまって(>人<;) (質問の書き方が難しい)これもやっぱり体を中心ににみてしまってる証拠ですよね。存在感と在るって一緒ですか? ご指導頂けると幸いです。

    私はいつか、ご縁があればあゆかさんにお会いしたいと思っています。(あとじゅんころさんも(^ – ^))今も、何度もブログは勿論youtubeも見させていただいています。 これからも楽しみにしています。

    いいね: 1人

    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      sallyさん、お返事をありがとうございます♪

      >私、『存在感』というのはどうしても自分の体(型)を意識してしまうのですが、そうではなくこの体の現れも含め、今ここにある全て、(部屋にいるなら椅子、床、花、テレビ、壁、空気等)に存在感がある…という感じで宜しいでしょうか? (存在感は途切れていない?)

      存在感みたいな感覚ではないんです。なので、存在感ではありません。何かがあるという意味でないんですね。また、椅子や床、花・・・は、存在していて、存在していないです。そっちではありませんね。捉えられるものに意識が行きすぎているかもしれません。感覚とか物とか。

      唯一捉えられないものです。(*^_^*) 

      それらに気づいている意識にただあるだけです。あぁ、やっぱり同じことしか言えなくてすみません。

      PS: 「私という感覚」と書いていますが、「私がある」ということです。決して否定しようがなくいつもあって、どうしてもあるものです。ほんと、言葉って不便ですね。(*^_^*)

      いいね

      返信
  3. 飛翔こそ蘇生

    両手をパンと叩いて聞こえた音は
    次の瞬間にはもうどこを探しても無くて
    「両手を叩いたからパンという音が鳴った」
    というのはもう今ここではない頭の中のストーリー。

    じゅんころさんや井上哲玄老師が
    センスでよくやるアレ。

    あゆかさんの記事にもダイレクトパスに関する記事があって
    https://danceofkizuki.wordpress.com/category/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%91%E3%82%B9/
    視覚も同じこと。

    五感で感じ終わっているのに
    思考の中に引きずっているのは
    頭の中だけの物語の自分。

    「I am that」頭の中の物語ではない方の
    気づきのダンス。

    これも井上哲玄老師だけど
    「雪は黒い」って言われた時に
    ただそれが聞こえただけなんだけど
    マインドは「雪は黒い」なんて
    どういうことなんだと考えて
    それはもう物語を作っている。

    「工夫は唯だ 人我の見を離る
    見を離るるの機要
    内 虚にして 外 事あるのみ
    これ 人我を 離るるの道
    これ 坐禅の玄旨なり」

    頭の中にそれが分かったを作ることではなく
    ただそのままがそれだと受容する。

    分かったというのは分けて理解することで
    非二元というのは分けないで受容する。

    その時にはもう説明されるまでも無く
    あなたでもあり私でもある
    “ある”が分かれば、“ない”が分かる
    を分かたないがある。

    このあたりで言葉の限界に
    なってくるかと思いますが

    そんな感じですかね?

    いいね: 1人

    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      蘇生さん、こんにちは!

      良い感じですね~。(*^_^*)
      今回の一番伝えたかった事とは少し違いますが、書いていらっしゃることはとても素晴らしいと思います。

      思考が作り上げるストーリーはほんとうに妄想の世界で、難しいのが悟りのストーリーですね。一見、真実に向かっている気持ちになってしまいます。でも、ほんと、パン、終わりです。(*^_^*)

      とりあえず、今回一番伝えたかったことは、そのパンを聞いているのは誰?でした~。

      いいね

      返信
  4. sally

    あゆかさん、こんにちは。

    何度も質問してしまってすみません(>人<;)、そして丁寧に答えて下さりありがとうございます。

    やっぱり自分でも実感しているのですが、まだ頭の理解の様です。

    『存在感〜』の下りは多少自信があったのですが、ちょっと(大分?)違いましたね。 捉えられるものに意識がいき過ぎている。
    ハッとしました。その通りです。

    >やっぱり同じ事しか言えなくてすみません。

    とんでもないです!とんでもない(^_^)。ほんと表現が難しいですよね。感謝しています。思い切って質問して良かったです。(これも起きた事ですね。)

    ストーリーですが(笑)、いつかあゆかさんが喜んでくださる様なコメントができる様に頑張ります。(頑張ることではないですね^_^)

    いいね

    返信

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