~絶対的なエゴ~

例えば、非二元の「私はいない」というメッセージで「私がいないのだから、私の苦しみも本当はないはずだ」と思い込むことで楽になろうとしている人をそれなりにみかけます。

また、一瞥体験や真実に目覚めた人でも、真実の「空」の側面ばかりに囚われている人もいるでしょう。ということで、下記のアジャシャンティのメッセージに深く共感したので訳してみました。ぜひお読みください♪

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

真実を理解した段階において最も大切なことは、自分への過激なほどの正直さです。いかにまだ自分が自分を幻想に閉じ込めているのか、いかにまだ自分を夢の状態の重力に引き戻してしまっているのかをほんとうに真剣に見つめてみることです。この段階では、正直さへの深いセンスが必要なのです。

しかし、真実が見えた人にこのレベルの正直さ、そして自分を見つめることの大切さを理解してもらうことは非常に困難です。なぜなら真実を垣間見たとき、エゴの特徴として、それを自分の内側にある分離を隠す理由として使ってしまうからです。

真実へ目覚めた人が私のところへやって来て、私がこのようなことを提案すると、“しかし、それをする私などいないんです。人の中のエゴとは幻想です。内側を見る必要がある人なんて存在しません。何かをする必要などないのです。目覚めの観点からすれば、問題など何もありません。どんなに酷い状態でも目覚めの観点からすれば、問題ではないのです。ですから、何もする必要などありません。もし、あなたが何かする必要があるというのなら、あなたは幻想を見ているのです。”といった返事が返ってくることはよくあります。この手の人に自分に正直になることを理解してもらうことは非常に難しく、このような反応は、まさに目覚めに伴う危険の一つだといえるでしょう。目覚めの絶対的な観点だけを掴み、それ以外のすべてを否定してしまっているのです。

このように絶対的な観点(空の視点)にしがみついてしまった人に、実際しがみついているのは自我であると分かってもらうのは非常に難しいものです。そして、絶対的な観点を使って、自分の中にある目覚めとは程遠いふるまい、思考パターン、感情などを否定してしまいます。

しかし、目覚めを体験した後の旅とは、自分自身に正直になることへの心からの真剣さが必要でしょう。もちろん絶対的な(空の)観点はあり、それは真実であって、問題というものもありません。分離した個人もいなく、見つめる自分というものが存在しないことも真実です。しかし、私はここで自我に向かって話をしているのではないのです。私は自我に向かって、何かをする必要があると言っているのではありません。私は、真実(the reality itself)そのものに直接話しかけているのです。真実が真実に向けて話をしているのです。

私がここで話をしているのは、目覚めの観点にある本質についてです。目覚めの本質は、目覚めていない部分へと向かっていき、そしてまた目覚めていない部分を恐れることもありません。なぜなら、目覚めの本質はなにごとも自分と分離していると見ないからです。目覚めの本質は、すべてを自分と見なし、幻想とか夢の状態という見方さえしません。それはすべてを同等に自分とだと見ているのです。

人間として、これが起きるようにするために、私たちは自分自身に対して真に正直になる必要があります。絶対的な観点を知りながら、今まさにここで自分を見つめるのです。私の中でまだ分離を生んでいるものは何か? 私の中の何がまだ嫌悪や無知、欲へ向かわせるのか? 私の中の何がまだ分離や疎外感、悲しみを感じさせるのだろう? 私の中のどの部分がまだ目覚めていないのだろう?

目覚めの本質は分離のない無条件の愛であるから、私たちの中にある目覚めていない部分から遠ざかることなど決してなく、むしろそちらへと向かうのです。私たちの中にある矛盾、思考パターンやふるまい、または固定観点、痛みから遠ざかるよりも、逆にそちらへと向かっていきます。

歴史を通して多くの真に目覚めた人たちは、すべては善であって、すべては大丈夫だと分かっています。一見どんなにひどい状態であっても、究極的にはすべては良くて、ひどい状態ということさえも良いのです。しかし、このように真実が見えている人たち、完全な融合、何事も、そして誰をも変える必要がなく、すべてが神聖で、そのままで完璧だと見えているまさにこのような人たちが、苦しんでいる人、真実が見えていない人たちへ奉仕する傾向が数多く見られます。

では、なぜ彼らはそうするのでしょうか? もしすべてがこのままで完璧であるのなら? もし何事も変える必要がないのなら? そして、すべてが神聖であって、酷い状況というものさえ良いのであれば、なぜ彼らは、他の人の健康や幸福のために自分の人生を捧げるのでしょうか?

真に目覚めた多くの人たちが他の人たちのために奉仕するのは、絶対的な観点が見えていながらも、その観点に縛られていないからなのです。どの観点にも縛られてないから、彼らは真実が見せる愛へオープンなのです。

真実は、何事にも動揺せず、また戦いもしません。その本質は無条件の愛であり、目覚めが目覚めへと向かうプロセスです。もし、絶対的な観点だけに縛られてしまったら、またもし、私たちが絶対的な観点を人間としての自分を隠してしまうことに使ってしまったら、この愛を見ることは非常に難しいでしょう。

絶対的な観点だけが神聖なのではなく、人間としての私たちも神聖であるから、私たちの人間性も真実によって浸透されていくことを求めているのです。

 

 

 

~絶対的なエゴ~」への16件のフィードバック

  1. あんず

    ありがとうございます😊素晴らしいですね。昨日のコメントに呼応しているような気がしました。まだまだ浸透するまで読みますね。
    ジェフフォスターさんの本を読んで、これもあゆかさんがオススメされて読んだのですが、今起きている事はライフによって認められている、今起きている事は完璧なんだと言うことが浸透してきて、猫についてのことも、すべてのことが祝福であると言う事自然となり、ただいまー首の怪我で歩行困難になっていて、周りの皆はすごく心配してくれたり、いますが、私としては、これでいいんだと言うことが府に落ちていて、ちょっとした今までの日常のささいなことが例えば散歩に行くだとか、全てが完璧なんだなぁとかこの世は愛でできているんだなとかそんな感じに思えてきています。
    昨日書いた、1つ意味があるとすれば私たちの人生には意味がないと言うこと、これについて今日の記事がすごくフォローアップになっていると思いました。こちらのほうがいいんだあちらのほうは良くないといったことではなくてでもやはり浮かんできたことをすると言う事それが私たちが本質は愛であり助けられる人がいれば助けたいと言うことがありちょっとまとまりませんが、ありがとうございましたでは次回まで。
    もう一つだけ。この間ピアノのミニコンサートで、音楽が存在していると言う体験をしました。私がピアノを弾いていたのではなくて音楽が私を導いてくれた私の指を導いてくれた体験でした。

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    1. ayukablog 投稿作成者

      あんずさん、こんにちは☆

      猫ちゃん、首の怪我が早く治ると良いですね☆ 
      非二元のメッセージを個人のあり方にそのままあててしまうと、ちょっとずれてきてしまうかもですが、あんずさんの中で受容が起きていることは素晴らしいですね。

      >私がピアノを弾いていたのではなくて音楽が私を導いてくれた私の指を導いてくれた体験でした。

      わぁ、さぞかし素晴らしい音だったのではと思います♪♪

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  2. しんこ

    いつも読ませていただいています。
    今回の記事は、私は全然一瞥体験もありませんがなぜか疑問に思ってたところへの答えでしたので、スッキリしました。無条件の愛の人間としてのしばられない表現が自然に奉仕として現れる。
    ありがとうございました。

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  3. いっせい

    ♡本日も、とても素晴らしい内容の記事をありがとうございます。 

    >>私は、真実(the reality itself)そのものに直接話しかけているのです。真実が真実に向けて話をしているのです。

    という働きかけをしても・・

    >>しかし、目覚めを体験した後の旅とは、自分自身に正直になることへの心からの真剣さが必要でしょう。

    というものが現れないのなら・・

    その人たちには、真実を忘れるということが(強く)起こっているのでしょうね。(起こるべくして)

    人間的な考え方をすれば、そういう人たちには必要ないということでも、ありましょうか。

    「せっかく、忘れてスリルや、無数の快楽、探求や、達成感を味わうことをしているのに、よけいな事をするな!みたいな。」

    たぶん、その人たちについてる守護霊、ガイドの類も(居るとしたら)、そのような目覚めさせない働きかけをしているのかも知れません。

    彼ら自体が自ら(自我)を疑わない、疑えない?自覚作用が働かない?意識の次元に居ますでしょうから、尚更でしょうね。

    それに比べて、この人間の、いわゆる物的界隈は、「何もしなくていい」という解釈と、「何かしなければ」というような解釈・相対するような「思考」が共存できる意識の次元らしいので、

    一方的に振る舞うというような事が、為されにくいように思えます。

    でも、人間以外の生き物、物たちは、そうではないようですが。

    そろそろ、あゆかさんのこの分野?における著作が出そうな気が致しますが、

    ご予定はないのですか?(サインもらいにいきます。(^_^))

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    1. ayukablog 投稿作成者

      いっせいさん、いつもありがとうございます♪

      それぞれにタイミングというものは確かにありますよね。で、それで良いのだと私も思います。癒しの仕事に携わっていてもそれはすごく感じます。苦しんでいても、抵抗を手放すタイミングにない人はなかなか癒しが起きないとか・・・。

      本もいつか書いてみたいとは思っていますので、そのときは会いできれば嬉しく思います☆

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      返信
  4. shige

    あゆかさん、こんにちは。
    新訳本が出たんですね、面白そうなタイトル、読んでみます。
    『ファンタジーの終焉―生命の充全さへのいざない』

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    1. ayukablog 投稿作成者

      shigeさん、ありがとうございます!

      こちらは、どちらかというと「空」よりも常に変化する「色(現象)」の側面により注目して存在の本質を話しているものかなぁと思います♪ お楽しみいただけると幸いです☆

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  5. Wow

    いつも拝見させていただいております。
    あるとき「私」と「経験」が別のものではないことに気づき、それ以来「自分への過激なほどの正直さ」を実践しようと試みるのですが、ありとあらゆる物事に対してアイデンティティを感じるようになってしまい(それが頭での理解としてはセルフイメージと分かっていても)、冷静さを失って、右を見ても左を見ても「個としての私」を強く感じて返って苦しいのですが、そういう場合はどうすればよいでしょうか。

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    1. ayukablog 投稿作成者

      Wowさん、こんにちは☆

      >ありとあらゆる物事に対してアイデンティティを感じるようになってしまい・・・
      右を見ても左を見ても「個としての私」を強く感じて・・・

      ごめんなさい!
      こちらの意味がさっぱり分からないのですが、具体的にどういうことなのでしょうか?

      基本的にこのような質問にお返事をするのは不可能に近いのですが、具体的なことが分かれば少しはお返事できるかもです。

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      1. Wow

        うまく伝わるかどうかわからないのですが、
        たとえば何かを見聞きした際に湧きあがる感情や思考が、今まで以上により強く”私”を意識させるので、それが苦しい、という意味です。「あーもう、この”私”って感覚、邪魔!」って思います。
        まさに、「『私がいないのだから、私の苦しみも本当はないはずだ』と思い込むことで楽になろうとしている」のかもしれませんね。。

        いいね: 1人

  6. あんず

    あゆかさん

    お返事ありがとうございます〜
    >非二元のメッセージを個人のあり方にそのままあててしまうと、ちょっとずれてきてしまうかもですが、〜〜
    非二元の本を読んでみようと思います。
    ダイレクトパスの本をオーダーしようと思っています〜〜
    はい ピアノは良かったよ〜〜という反応がありました。
    ネコは他界〜〜解放?と相成り、わたしに非二元の扉を開けることになりました。良い日曜日を

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  7. ayukablog 投稿作成者

    Wowさん、ありがとうございます♪

    邪魔扱いしていれば、それは苦しくなりますね。なるほど。やり方がまったく違いますよ~。沸いて来る思いや感情、それらはすべて愛おしくて、受け入れるもので、嫌がったり、なくしたりするものではないんです。

    どんなネガティブな感情もその下にあるもっと深いところには、けなげな声やかわいい声があります。それを拾ってあげて理解し、受け入れてあげるんですね。受容によって、頑なな自己否定や手放せなかった怒りなどが変容していくんです。

    ただ、多くの人は深いところを探るやり方を知らないので、表層の感情や思いだけをいじりがちです。なので、私は「気づきの問いかけ」というものを教えていますが、一般向けに教えていないので、あまり役に立つ情報でなくてごめんなさい。

    そのうち動画で無料公開しようかなとは思っています。

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    返信
    1. Wow

      お返事、ありがとうございます。
      なるほど、”私”を邪魔者扱いしていたんですね。。
      受容したような気になっていましたが、ふとした瞬間に感情や思考に足元を掬われて、結局邪魔者扱いしてしまっていたことに気づけませんでした。
      動画、楽しみにしています!

      いいね: 1人

      返信
  8. なかにしりえ

    あゆかさん、はじめまして

    何年も前から一瞥体験をしはじめて、それが何なのか調べているうちにあゆかさんの動画やブログを拝見させていただいていました。

    去年の終わりだったと思いますが、覚醒?というか、『なかにしりえというひとはいなかった、すべて個人の選択ではなかったし、人生という概念は作られたものだった、過去なんて存在しない、癒すべき個人はいなかった』ということをいっぺんに『思い出し』て気絶するw体験が起き、至福が起きて・・・罠にはまりましたw
    今回のブログにあることをひととおりやりしたw
    思い出すとしかいいようのない目覚め?が起こり、ほんとにラクにはなったのです
    でも・・・
    どうもトラウマやブロックに苦しめられている、ということは感じていたのに、非二元なのだから、苦しみも起こるままに、と、ずっとそのままにしていたんですね・・・
    諦めの境地というかw

    がしかし、あることをないことにするnonsense さに気づきw
    トラウマを癒す機会があり、ヒーリングのすごさを実感しました。

    同次元で語っていないことを『実践』してしまいましたw
    非二元原理主義を生きようとしていましたw

    いまは非二元について気にすることはほとんどなくなりました。
    一度わかったら?もうほっといていいものだったんですね( ´∀`)

    目覚め?後、なにが起きても大丈夫、という根拠のないことの素晴らしさ、不確実なのが当たり前、という、それまで恐怖でしかなかったことが安心感に変わったことはありますが、
    『これは私の選択じゃない、ただ起きている』というエゴの監視もなくなりwヒーリングをして楽になったり、人生をたのしく生きようと思います♫

    まあ楽しくなくてもいいんですけど、非二元のワナにかかるとたのしくなくてもいいを実践してしまって、ほんとにたのしくなくなったりしたので(´・_・`)

    これからもあゆかさんの文章を拝読させていただくのをたのしみにしています!!!

    長くなりましたが、ぜひお礼を申し上げたく、書かせていただきました。

    ありがとうございます(*´꒳`*)、

    いいね: 1人

    返信
  9. chiki

    もう1つのブログの最新記事へのコメントをこちらから失礼します。
    2つを1つにするご予定なんですね。それも良いですね〜♪ タイトルも変わるのかな?どんなカタチで続くのか楽しみにしています(^^)
    いつもどちらのブログも楽しみに読んでいます。 私はいない←を初めて目にした時、はぁ。。???
    と不審いっぱいで、何かの宗教が言ってるのだろう、、みたいに思いました(笑) けど同時に、どういうことだろう?本当かな?
    と、ワクワクにも似た気持ちがありました。分からなさすぎることには興味が湧きます。
    急に始まった探求。
    何でも、理解したい「自我」、
    実は、私←というのもただの言葉で、言葉で表すとしたら、そんなの実は「無い」(°▽°)
    =いない。。
    有るけど、無い 2つではなく1つ
    の、本当の意味を、なんとなーくつかんでいる、、ような感覚です。 思考でしかとらえられない自我に伝えようと試みると、正反対の言葉になって理解に苦しみますもんね。
    あゆかさんが伝えてくださるこの内容は、とにかく真実。
    思考感情でいっぱいになって辛い時も、いつでもある、この意識。
    愛や受容と表現される、その意識の方に在りながら(実際は、普段は本当にそんな理想的ではありません)、
    出てくる思考や感情を、時に辛い悲しいものも、受け入れてあげる というのがキモですね。そんな気がします。気楽で居るのが私は1番です〜(^^)
    そこで、、とてもEFT講座が気になっています。

    知ったかぶりの内容かも、ですが、色んなメッセージに触れてみて、いつかメッセージしたいと思い、ついに送ってみます。えいっ
    いつも、本当にステキな表現でのメッセージ、あゆかさん、ありがとうございます。一年前くらいに名古屋のカフェにお邪魔しました〜 やっぱり現場で聞く言葉や体感は、何だか感じ方がリアルでした。
    それではまた!

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    1. ayukablog 投稿作成者

      chikiさん、こんにちは!

      今やっと気づきましたが、「魂のケア」のほうがコメントを許可するのクリックがはずれていたため、できない状態になっていたようです。自分で外した記憶がなかったため気がつかず、お手数おかけいたしました。

      さて、改めてコメントをありがとうございます。気づいている意識にあることで、感情や思いだけではなく、chikiさんというユニークな現われまるごと愛おしい存在だなぁ、受容されているなぁと感じられてきますよね。

      私も気楽でいるのが一番です。いろいろ似ていますね。今後とも宜しくお願いいたします♪

      いいね

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