経験しているのは誰?

≪フェイスブックに投稿した記事です♪≫

突然ですが、非二元♪

非二元とは、

サンスクリット語のadvaitaを日本語に訳したもの。

aとは、not(でない)という意味
Dvaとは、two or both(二つとか両方)という意味

シンプルにそのまま「二つではない」

二元という訳語に惑わされ過ぎないほうが良いだろう。
そこに何の意味もないから。

ということで、じゃぁ次の質問は、

どの二つではないの?

いや、ほんとうに、まじめに

どの二つ?

二元と非二元というように、
二つではないと言っているものをまた分けないように
ますます意味が分からなくなるから。

話を戻して、どの二つではないの?

・・・・・・・・・・・・・・・・・

“私が蝶々を見ている”

私と蝶々という二つがある?

私がいて、蝶々がいるのではなくて、見ている人はいない。

そこには、「見る」が起きているだけで、

そして、見ると見られるものも分けられない。

自我はすぐに考えて分かろうとするかもしれない。

でも、考えないで。

ここが踏ん張りどころ

経験者と経験されるものの二つではない。

私が蝶々を見ているのではなければ、

誰が見ているの?

ここに留まってみよう。この問いに・・・。

ここにすべての答えがあるから。

自我が求めるすべての答えがあるから。

あるのは「気づいている意識(愛)」だけで、

気づいている意識があらゆる経験のダンスをしている。

壮大で、ときに悲しくとも、愛おしく、それは神の遊戯

永遠に続く遊戯。

あぁ、すべてがどれだけ愛されていることか・・・・。

経験しているのは誰?」への11件のフィードバック

  1. 池内 匡代

    いつもありがとうございます☆

    あの、直接FBで読ませて頂くのは可能でしょうか?
    良かったらFBでのお名前教えて頂けないでしょうか?

    私は、Masayo Ikeuchiで登録しています☆

    よろしくお願い致します☆

    いいね

    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      池内 匡代さん、こんばんは!

      こちらこそいつもありがとうございます。

      もちろんFBでも読んで頂けます。Ayuka Mizoguchiで探して頂けると思います。

      どうぞよろしくお願いいたします♪

      いいね

      返信
  2. Punna Sakura

    >『誰が見ているの?』

    『見てる』という表現が、何を意図しているのか分からないので、
    コトバ通りに理解して、お尋ねします。
    『(視力的に)見えない人』は到達できないのでしょうか?

    そもそも『見る』とは、どういうことなのでしょうか?
    『あなたのルール』を明確にして欲しいと感じます。

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    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      Punna Sakuraさん、こんばんは☆

      蝶々を見るという、見るです。言葉通りの普通の日本語です。何もルールとかないですよ。

      視力的に見えない人もおそらく「暗闇」を見ているはずです。私たちが目をつぶったときと同じなのかなと。

      ただ、目が見ているのではなくて、目は単に機能です。カメラと同じように。

      カメラもまさに蝶々を捉えられますが、カメラが蝶々を見ているのでしょうか? 

      見ているのは「誰」?という意味です。「見る」のほうではなくて、見ている主体がいるかどうかのほうに意識を持って行かれたらどうでしょうか?

      う~む、うまく書けないですね。今度は30点になりそう~(笑)。

      いいね

      返信
  3. issei

    ・・ということは、あゆかさんのところで起きてる気づき(意識)も、私のとこで起きてる気づき(意識)も、まったく、同じものですか?

    同じものという感覚や、理解が起こらなくとも、“実際”には、同じものでしょうか?

    また、このようなことを知ろうと、解釈しようとしている(起こっている)衝動や、思考や認識、感情などの総称を『自我』、或いは「マインド」と捉えて宜しいでしょうか?

    切りがない・・知らなくてもいい・・との得心も、既に備わってはいますが、まだまだ、開拓の余地がありますので、どうか、ご指導願います。

    🌿人生のためになる記事をいつもありがとうございます。。

    いいね: 1人

    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      isseiさん、こんにちは☆

      >・・ということは、あゆかさんのところで起きてる気づき(意識)も、私のとこで起きてる気づき(意識)も、まったく、同じものですか?

      その通りです!!

      >また、このようなことを知ろうと、解釈しようとしている(起こっている)衝動や、思考や認識、感情などの総称を『自我』、或いは「マインド」と捉えて宜しいでしょうか?

      こちらもその通りです!! 

      正確に言えば、気づいている意識は起きていない(始まりや終わりもない)ですよね。いつもそこにあるはずです。

      でも、とっても良い感じですね♪

      こちらこそいつもお読み頂きありがとうございます☆

      いいね

      返信
  4. Punna Sakura

    恐縮です

    『でも』 です、、
    『でも』 ですよ、、、
    私だって『踊ってる』んです、、

    『気づきのダンス』じゃないですけど、、踊ってるんです!
    えっ?『 何の踊りか?』ってですか?
    それはもちろん

    『 ”凡” 踊り』

    です、、、、ヽ( ̄ー ̄ )ノ

    (申し訳ないです。返信不要の”捨て台詞”です、、、)

    いいね

    返信
  5. issei

    抽象・イメージ表現をされず、しっかり、お答えいただき、ありがとうございます。感謝致します。🙏

    いつかこの分野でのあゆかさんの本が出たら、絶対買います!💖

    いいね

    返信

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