右手を見ているのは誰?

右手を見てください。

いえ、バスの中の風景ではなく(それでも良いですが)、右手です♪

それを見ているのは誰でしょう?

恐らく99.9%の人が自分だというでしょう。

私が私の右手を見ているよ、と。

それが多くの自我の勘違いなんです。

右手を見ているのは個の自分ではなくて、気づいている意識です。

ノンデュアリティ(=悟り)の探求をしている多くの人が、右手を見ているのは自分であるという前提で、その自分がいつか「私がいない」状態になる、無の境地になる、真の自分になると考えています。

そのために思考の観察とか瞑想とかやるのだ!と。

でも、保障しますが、その前提ではいつまで経っても「頑張っている自我」がいるだけでしょう。皮肉ぽくてごめんなさい。

私が毎回毎回しつこくご紹介している、14世紀ドイツのマスター・エックハルトの言葉、「神があなたを見る目は、あなたが神を見る目と同じ。」

神が神を見ていて、この世に神しかいなくて、だからすべては神の遊戯♪

これはスピリチュアルなメッセージであると同時に自然科学です。

見たままを言っている言葉です。

ということで、見ている自分を分解してみましょう。

見る機能の目がある(肉体)
見ていることに気づいている意識がある(気づいている意識)
見たものを「右手だ」と判断している思いがある(思考)

この中のどこに個の自分がいるでしょうか?

頭で考えないで、観察して探ってみてください。

ちなみに、このように思考を介さないで観察することがダイレクトパスなんです。

この観察をしても、多くの人が、それでもどうしても個の自分がいる感じがする。。。と言います。

その「いる感じ」をよく観察し、分解してみてください。

ほんとうにそこに「個の自分」がいるかどうか。

ということで、これは夏休みの宿題です♪(ウソ)

個の自分がいないと本当に腑に落ちたとき、

カミングホームとは、今と違うところ(高次の世界、無の境地、あの世など)に帰るのではなく、私(気づいている意識)がいつもいつもいたことに気づくこと。(思い出すこと)

自分は家から一度も離れていなかったと気づくこと。

皆様、良い週末をお迎えください♪

 

PS: 思考の観察も瞑想もお薦めですが、それは違う状態を目指してやるのではなく、ただ純粋に「見る」、「座る」というシンプルなものが良いですね。

右手を見ているのは誰?」への11件のフィードバック

  1. ひとみ

    いつも在る この「ほっとする土台」。

    この土台が あなたを見る目は

    あなたが この土台を見る目と同じ?

    ということは

    わたしが見ている ほっとするこの土台とわたしは

    同じ存在?

    そして 目に映るすべても ほっとする土台

    わたししかいない とは このこと?

    わたししか無いとは このこと?

    いいね: 1人

    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      ひとみさん、いつもありがとうございます。

      はい、まさにその通りです♪

      そして、わたししかいない、の「わたし」は、I AMのわたしで、もはや個のわたしではないですね。

      いいね

      返信
      1. ひとみ

        あゆかさん ありがとうございます。

        「 もはや個のわたしではないですね 」

        はい!個のわたし?という観念さへありません。

        「 わたし 」という単語さへ必要ありません。

        無理くり表現するなら一元と言えます。それしか言えません。

        そして 個のわたしに在るとき

        身体が萎縮し緊張し苦しくなるので

        あゆかさんが教えてくださったように、リラックスし楽にさせてあげてます。

        すると また 「 もはや個のわたしではない 」に在れます。

        ただ最近、この「わたししか無い」を

        「個のわたしではない」のとは別に

        たぶん個のわたしが

        相手を「 これもわたしか? 」と思うと(受け入れると)

        個のわたしが消え また 個のわたしではない に還ります。

        感覚的な表現しか出来ませんが

        被害者は加害者でもあり、加害者は被害者でもあるよなぁ〜〜

        なんて思うと(受容すると)

        いつも在る 被害者でもなく加害者でもない

        個のわたしではない わたしに還ります。

        昔 曽祖父が言ってた「 2極が融合すると2極は消える 」が

        これのことなのかなぁ〜と ぼんやり思います。

        元と極は 全く別なものとして理解していますが( でも別ではないことも )

        「2極が融合すると2極は消える」

        あゆかさん

        すみません。

        もしお時間がありましたら、いつかこの辺のところも教えてくださいませんか。

        どうぞよろしくお願いします。

        いいね

  2. のぶ

    あゆかさん こんにちは。

    いつも分かりやすいメッセージを有難うございます。
    「分離感」どっぷり(笑)の自分は、あゆかさんのブログで
    いつも「安心感」を頂いております。
    他のティーチャーや時には科学者のメッセージを含めて細やかな気遣いで書かれて
    います事、本当に感心してしまいます。

    ところで、今回のメッセージで 「カミングホームとは、私(気づいている意識)が
    いつもいつもいたことに気づくこと。(思い出すこと)」とありますが、
    「思い出す」ために何か出来る事はあるのでしょうか?
    ついつい出来る事の可能性を探ってしまいます。

    いいね: 1人

    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      のぶさん、こんにちは♪

      思い出す方法はもちろんあります。思い出すというよりは、いつも必ずあるのに見過ごしてしまっているものをちゃんと見るという言い方のほうがより正確かもしれません。

      でも、ほぼ70億人が見過ごしているので、いつもあるのになんだか遠回りして、もう一回あぁ~、いつもあった!近すぎて、当たり前すぎて、日常的過ぎて見過ごしていた!というある意味発見をしないといけないわけです。

      でも、その方法ですが、ブログにいろいろちりばめているつもりですが、エクササイズみたいなものがあると考えるのではなく、今回の記事に書いてあるようなダイレクトな観察を私はやっていました。

      ほかにもいろいろ書けますが、コメント欄では無理かもです。が、今後もブログの中にちりばめていきます♪ (オンラインの癒しとノンデュアリティカフェも検討中)

      いいね

      返信
  3. 自分がいない、と気づくに至る人が一体どれだけいるのでしょうか。
    圧倒的多数は、全く知らないまま、逝くんだと思います。

    悟りに目覚めなければ、苦悩のまま幸せにはなれない、←こんなに狭き門を用意されてなんで生まれてくるのでしょう。

    ほとんどが突き落とされ、愚かに迷い無知のまま「わからなかった、ダメだった」と落ちて逝くだけなのに。
    まるで、一般庶民の力量なのに金メダルを取れと言われてる気分です。
    環境も悟には劣悪です。
    どこに行っても物資主義と私がいる、のワールドを刷り込まれますし、
    働いて暮さねばならない忙しさで静寂を感じる暇もない。
    これで悟れませんし。
    寺でも入らなきゃ無理ですよ。

    悟りのことは諦めて
    「もう、幸せにはなれないんだ、楽にはならない中で生きてゆくもの」
    いっそ、こっちを悟ってしまって、
    少しでも良かったことがあれば珍しいなあと喜んで、
    そのたまに起きる些細な良かったを少しでも作ろうと
    (自分がいるいないどっちでもいいんで)仕事に精出し家事を頑張り、家族と団欒にいそしんで、
    少しでも楽しもうと死んでいけばいいのかなあ。
    私としては、
    どんな局面だろうが、なんとか工夫をして食べて生活を回せる柔軟な技能と知恵を持ったドンと構えた人を目指したいです。
    悟ろうという欲求を捨てたらこうなれそうな気がする。

    悟りというのは授かりもので、予期せず突然目の前が開かれるのではないかと思います。
    そうなりたいと、狙って習って目覚めるものではない気もします。

    いいね: 1人

    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      涼さん、こんにちは

      文面からなんとなく、真実が知りたいというよりも、今苦しいから、苦しさから逃れたいと言っているように感じられます。または、良い人生、幸せな自分を求めているのかなぁ。(間違っていたらごめんなさい)

      また、環境が整っていないと真実と向き合えないということもまったくないと思います。もちろん、お寺にこもったり、山奥にこもるほうが雑音は少ないと思いますが。

      そして、悟ったら何かが得られる、幸せとか何かが。。。と思っている限り、たぶん違うと思います。

      もし、本当に求めていることが苦しみからの脱却であれば、セラピーでも十分にできますし。

      本当に真実が知りたいのか(“悟りたい”ではなく)、苦悩から逃れたいのか、人生での幸せが欲しいのか、自分の真の欲求をクリアにしてみると良いのかもしれませんね。

      いいね

      返信
      1. 返信ありがとうございます。
        悟った自分になるのが大事で、それに酔いたい欲望はないです。
        そういう風に見えるのかなあ。

        私は、真実を実感して生きて生きたいです。
        苦しくても安穏でも、心が迷わないで納得して決まっていたいんです。
        でも、愛と受容で生きれば、
        搾取されたり、依存されたりを逆に余計に引き寄せてしまい、
        自分は愛に包まれてても、
        現実は、怒れない自己肯定感の低い便利な人みたいにされてしまうので、困惑し、果たしてこれで良いのか在り方が定まりません。

        全部放棄して諦めちゃおうかな、って思てます。
        何度もすみません。
        ありがとうございました。

        いいね: 1人

  4. のぶ

    あゆかさん お忙しい中返信して頂き
    有難うございました。

    近すぎて、当たり前すぎるゆえにいつも
    見過ごしてしまっているのですね。
    このメッセージをヒントにこれからもブログを
    読まさせて頂きます。

    いいね

    返信
  5. ayukablog 投稿作成者

    涼さん、お返事をありがとうございます♪

    いえいえ、悟った自分に酔いたいというような風にはまったく見えません。
    たぶん、コメント欄の往復で話が噛み合っていないだけかもと思いますが、「悟った自分」になることを目指すのは違うということなんです。そういう自分を目指している限り、真実は見えてこないかな~と思います。最後まで自我の自分がどうしてもいるので。

    なぜ悟った自分になりたいのか?を見つめると、ほんとうに自分が求めていることがみえてくるかもしれませんね。

    こちらこそしつこくてすみません☆
    宜しければ今後もブログをお読みください♪

    いいね

    返信
  6. aoi

    あゆかさん、こんにちは。

    今回のブログとても分かりやすかったです。
    特に、右手を見ているのは自分であるという前提で~のところが。
    自分がいる、という刷り込みがあまりに強く、ついやってしまうんですよね。

    一時的にシフトが起きても、そこに留まっているのはなかなか難しいなあと感じています。。
    シンプルに、気づきの意識にただあってみようと思います。

    いいね

    返信

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