自由意志はあるの?

久しぶりにある人に7年前の一瞥体験の話をしました。

突然カフェの帰り道で意識がシフトしたとき見えたものは、ものに名前がついていることや起きていることに思考がついてくることが、いかに後付けなのか、ありのままがいかに完全かということ。

今まで何一つ起きていなくて、すべては夢だったということ。ここで私は頑張らなくて良いんだ~と、大きな安堵感を感じました。

そして、体は自分のものじゃないどころか、完全に無関係に感じられ、一瞬体の操作の仕方が分からなくなってしまったこと。(でも、体は勝手に動いたけど)

夕方から夜寝るまでそんな状態でしたが、朝起きたらすっかりいつもの自我の意識に戻っていました。

そして、必ず陥る罠にすっぽり。つまり、あのときの状態よ!もう一度! あの時の状態をキープできれば良いのだ!という勘違いです。しばらくそれを目指して瞑想をしてみたり、もがいていました。

ですが、非常に有難いことに、現代ではインターネットのおかげでかつてよりもティーチャーのメッセージを聞くのがたやすいですよね。

ロンドンでもルパート・スパイラ、トニー・パーソンズ、ジェフ・フォスターといった知られたティーチャー?メッセンジャー?のサットサンが定期的に開催されていて、気軽に足が運べます。

彼らに質問することで、その勘違いからあっという間に抜け出せたことは、ほんと感謝しています。

話がすごく逸れた気がします(笑)。

話したかったことは、体が自分だと思っている「思考」が自我だなぁということです。

ということで、ある本を読んでいて、これは良い自我の説明だと思った箇所があり、訳してみました。

自我とは、“個の私”という感覚をアイデンティティとしているエネルギーフィールドであり、常に抵抗として経験されているものである。自己の意志があるという思い込み、つまり神(気づいている意識、純粋意識)から独立して思考したり、行動したりすることができるという考えを持ち続けているものである。

The ego is an energy field identified as the sense of “me”, and is experienced as resistance, which perpetuates the belief in personal volition : the idea that a person can actually think and perform actions independent of God. (from “Be Still And Know I AM GOD”)

ちなみに、ここでの抵抗とは、あるがままへの抵抗を意味しています。今の状態が嫌だ、今の自分から変わりたい、思いが過去や未来へ飛んでいく状態です。

体は最も重くて濃いエネルギーフィールドであって、重くて濃いからこそ、掴めるものにしか意識がいかない自我は、それが自分だと思い込んでしまう。

また思考もかなりのエネルギー量を持ち、なので考え過ぎると私たちはたいてい疲弊してしまいます。また、感情も嬉しくても悲しくてもその度合いが高いと耐えられませんよね。

マイケル・ジャクソンのコンサートではマイケルがほんの少しステージに現れた瞬間から失神者が続出していたそうですが、嬉しすぎても体が抱えきれなくて、シャットダウンしてしまいます。

つまり、体、思考、感情がそれぞれにエネルギー値が非常に重く、存在の実感がとっても強いために、どうしても“個の私”がいるように感じるんです。

しかも、思いや感情も非常にパーソナルで、隣の人は自分が何を考えているか知らないし、他者と自分は分離しているようにしか見えません。

ある意味純粋意識が作り出した、“分離した個の私”というすごい遊戯です。

一見話は飛びますが、私はフォーカシングというツールが大好きです。フォーカシングでは体にある感覚(フェルトセンス)を見つめ、受容し、友達になることが初めの一歩です。

私はこれを年中やっていたのですが、そのとき気づかなかったことは、フェルトセンスを見つめているとき、私はその感覚と同化していないということです。

そして、それがどんなに不快で気持ち悪く、ひどいものでも受容し、友達になるというのは、限りなく気づいている意識の性質ですね。

つまり、知らない間に私の意識は少しづつ気づきの意識に寄り添って行っていたのだなぁと。

ちなみに、エックハルト・トーレの本に深く感銘し、思考を眺めることも年中やっていましたので、思考と感情、感覚との同化から距離が徐々に生まれていたのでしょう。

とはいえ、それをやっていれば目覚めるのか?というと、それはまた別の話ですが、かなり助けにはなると思います。

話を最初に戻すと、体が私だという思いがなければ、自分の意志があるという幻想も消えていくでしょう。自分には自由意志があり、自分が人生をコントロールしなければいけないという錯覚にどれだけ私たちはエネルギーを使い、苦悩していることか。

自由意志は存在しなくても、あゆかの情熱、あゆかの思い、あゆかの意志は現れ続けます。でも、それが個の私によって所有されるものではなく、神(気づいている意識)の意識に明け渡されたものであれば、自分が頑張るという多大なストレスから私たちは解放されることでしょう。

朝起きて、いきなり今日のTO DO LISTに向かわずに、静かになって自分の中にある神(気づいている意識)の衝動を感じてみるのもなかなか良い一日の始まりかもしれません♪

 

☆☆☆ お知らせ ☆☆☆

ノンデュアリティと癒しのカフェ開催♪

キャンセル待ち募集中♪

【日時】2018年10月13日(土)18時15分~20時30分
【場所】あうるすぽっと(東池袋)
http://www.owlspot.jp/access/
【参加費】4500円
【申し込みフォーム】
https://www.form-answer.com/applications/6TYFT

自由意志はあるの?」への7件のフィードバック

  1. マコト

    あゆかさま
    いつも分かりやすい記事をありがとうございます。
    おかげさまで少しずつわかりつつあります。

    しかし自我は、ヘレンケラーが水を浴びてWater!!と叫んだような、
    劇的な気付きを求めてしまいますね(笑)

    自由意思はなくて、ただあるがまま、流れるままで、気付きの意識が
    それらに気付いているだけなんですね。
    気付かれるもの、気付いているもの(ものじゃないけど)は、
    相互作用みたいな感じでお互いなりたってるのかなと思います。
    「何も起きていない」が、まだつかめないのですが、これも思考の枠外に
    あるのでしょうね。

    いいね: 1人

    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      マコトさん、こんにちは♪

      はい、自我は分かりやすいシフトを望んでしまいますよね。(私もそうでした)

      >気付かれるもの、気付いているもの(ものじゃないけど)は、
      相互作用みたいな感じでお互いなりたってるのかなと思います。

      気づかれるものと気づきの意識は、決して二つに分けられないので非二元ですね。
      ので、相互作用さえできないほど分けられない。

      おっしゃる通り、思考は限界があり過ぎますよね。なので、実際に見る(ダイレクトパス)しかないかなと思います。

      しかし、ほんとすべての疑問、質問は、気づいている意識にひたすら「ただあって」みれば、ぜんぶ消えていくと思います♪

      いいね

      返信
  2. issei

    今回の更新内容はとても興味深く読ませて頂きました。ありがとうございます。

    色々な意味での確認や、意識の離脱などの為、率直にお訊きしたいです。

    >>「ものに名前がついていることや起きていることに思考がついてくることが、いかに後付けなのか・・」

    ★最初の方のくだりですが、この時思考を創っているのは、起こしているのは何でしょう?

    ★どこで、どこからそれば、起こされているのでしょうか?

    >>「つまり、体、思考、感情がそれぞれにエネルギー値が非常に重く、存在の実感がとっても強いために、どうしても“個の私”がいるように感じるんです。」

    ★この時、感じているのは何でしょうか?

    ★また、判断して、解説するには、現象や物事を見定める為のある一定の法則性や基準を決め作られた知識や、ルールを利用する事が必要だと思いますが、

    ★それは何を利用?しているのですか?

    ★どこに有る(蓄えて)のでしょうか?

    >>「ちなみに、エックハルト・トーレの本に深く感銘し、思考を眺めることも年中やっていましたので、思考と感情、感覚との同化から距離が徐々に生まれていたのでしょう。」

    ★身体や、その感覚や、思考、感情、衝動/(反射・反応)などに同化していないものは、何でしょうか?

    >>「とはいえ、それをやっていれば目覚めるのか?というと、それはまた別の話ですが、かなり助けにはなると思います。」

    ★目覚めとは、何でしょうか?

    ★どういう状態?をいうのでしょうか?

    ★そんなものや、状態が有るのでしょうか?

    ★もしかして・・体外離脱(意識の離脱→身体や、身体が感じている次元からの意識の離脱)ではないのでしょうか?

    いいね

    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      isseiさん、こんにちは♪

      わぁ、こんなにたくさんのご質問、なんか試験問題みたいな感じもしてしまいました~。
      すみません、質問が多いとそれだけで私はめげてしまいます。
      ということで、申し訳ありませんが、お返事はできませんが、は今までブログで何度も書いてきたつもりのものもありますね。

      >★また、判断して、解説するには、現象や物事を見定める為のある一定の法則性や基準を決め作られた知識や、ルールを利用する事が必要だと思いますが、

      ある意味単純に“見たまま”を話しているだけなんです。りんごは赤いねみたいな。考えて理解しようとするより、実際に“見る”ことのほうが百聞は一見に如かずだと思います。

      また、頭で確認するよりも、気づいている意識に「ただあってみる」ほうが何百倍も真実への近道かと思います。

      目覚めとは、アイデンティティの勘違いから目覚め、自分が何ものか(I AM THAT I AM)を真に思い出すことかなと思います。対外離脱のような状態や現象とはまったく違うものですね。(状態ではありません)

      いいね

      返信
  3. issei

    お返事が早いですねー

    シンクロニティでしょうか?

    仰られる事は、分かりました。

    あゆかさん(そちらのマインド)は、マインドを使いこなそうとする気はないという事が分かりました。

    issei(こちらのマインド)は、マインドの働き自体に手放しになりたくないとか(マインド自身が)、

    無意識な「That/それ」の衝動・活動に乗っ取られたくないとか、(このマインド自体が)思っていますので、

    マインドがマインドの色々な働きや機能を使いこなそうとしています。

    する必要がないと、この既にできてしまった人間社会に当てはめて、物理次元での色々な認識や自覚を捨て、

    好き嫌いを最優先に謳歌するマインドの働きだらけになったら、まさしく、争いや闘いが無くならない、原始的な「それ/That」の思うつぼだからです。

    いいね: 1人

    返信
    1. ayukablog 投稿作成者

      isseiさん、お早うございます♪

      は~い、PCの前にちょうどいました。

      マインドの衝動に無意識に支配されず、機能をうまく使うには、マインドを眺める気づきの意識のポジションが一番良いかなぁと私は思います。

      とにかく一度ぜひカフェにいらしてくださ~い。お答えしたくないのではなく、コメント欄ではあまりに大量な質問でしたので、できない~と思いました。または、近々オンラインでも始めようと思っていますので、そちらでお会いできましたら嬉しいです♪

      いいね

      返信

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中