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ストーリーが消えたところにあるもの♪

非二元とは、ストーリーがない人間味のない世界である、という誤解がなくもないようですね。

すべては幻想だし、起きることは起きるだけ・・・傍観、みたいな。

自我はストーリーしか知らないので、ストーリーがないと聞くと、自分が知っているすべてのものがない、人間味やドラマといったものがない、なんだか荒涼とした世界を思い浮かべてしまうようです。

でも、ストーリーがないということは、ある意味、たんにどの思考も信じないということなんです。つまり、思考による推測や判断、レッテル貼り、投影などがないということです。

そうすると、あらゆるものが、生命や自然や出来事のすべてが思考の枠から解放され、ありのままの姿を現してくるんです。

つまり、なにもなくなってしまうどころか、生命の息吹や人間ドラマの神秘さがクローズアップしてくるんです。静かに、でも生き生きと。

例えば私の体も、「私の」という思いから解放され、本質のエネルギーに溶け込み、慈しまれ、受け入れられ、自由となります。

私とあなたも、「私とあなた」という思考から解放され、私とあなたは同じもの、本質そのものであることが見えるんです。

そのとき、分離で縮こまっていたハートは開き始め、すべてを呼吸し始めます。優しくシンプルに。

そして、自分がどんなに嫌いだと思う人でも、思考が消え去れば、その人の目の奥に必ず「私」がいるんです。本質のエネルギーがそこに、美しく、純粋なまま。

般若心経が伝えるように、空(本質)と色(現象、ストーリー)は決して分けられず、観察者(主体)と観察されるもの(客体)も決して分けることができません。

つまり、本質である私(I am that I am)は、静であり、動であり、空であり、ドラマであり、あらゆるすべてです。

私が人生のドラマを体験しているのではなく、私は人生のドラマそのものなんです。私はこのとき、動となり、変化、発展し、生命のあふれかえる発露です。

そして、同時に私はなにものでもなく、何も起きていないことを知っています。このとき私は、静であり、平和であり、大いなる癒しなんです。

非二元の真実をこうなのか、ああなのかと思考で閉じ込めてしまう前に、あまりに当たり前の事実からよく観察してみると良いかもしれません。

当たり前の事実とは、なんの努力も一切していないのに、見ること、聞くこと、考えること、すべてが勝手に起きているということ。

そこにそれらを起こそうとしている誰か(主体)がいるのかどうかということ。

もし、どうしても見つからなかったら、そうやって探している自分は一体なんなのでしょう?

という中途半端さで今日は終わりにしちゃおう。(笑)

☆いくつかお問い合わせを頂いておりますが、12月に「ノンデュアリティと癒しのカフェ」と題したミーティングを開催します。詳細は近日中に記載いたします♪

非二元~開かれた秘密♪~

真実は言葉で表せない、のだけど、今日は、非二元(ノンデュアリティー)という言葉にこだわってみたいと思います。

まず、その意味はご存知の通り、

“二つではない”。終わり。

ノン(no)、デュアリティー(dual=two)=二つではない。
アド(no)、ヴァイタ(two)=二つではない。

たまに非二次元という思い違い?書き間違い?を見つけますが、次元は英語では、ダイメンション(dimension)ですね。

非二元のメッセージとして、「私はいない(no self、 no doer)」がそれなりに浸透し始めてきたと思います。

もちろん間違いなく、それが非二元のコアメッセージの一つではありますが、そればかり一人歩きしている感がなくもありません。

なので、出発点に戻って、

“二つではない”という、地味でシンプルな言葉を深く見ていきたいのです。

つまり、主体と客体は二つではない、私と世界は二つではない。

じゃぁ、ワンネスで良いんじゃないの?と思考は、さっとまとめてしまうかもしれません。
そこをぐぐっと立ち止まって、なぜわざわざ、“二つではない”と言っているか?をもう少し見ていきたいのです。

なぜなら、そこにトニー・パーソンがいう「オープン・シークレット(開かれた秘密)」が秘められているから。

あまりに地味で日常で見過ごし続けているけど、でもそれに気づけば、パラダイムがひっくり変える秘密です。全員が知っているのに、気づいていない秘密。真の私は何かという秘密。

話を戻して、

“私が音楽を聴いている”場合、私と音楽は二つではない、ですね。

これが意味していることは、シンプルだけど、ものすごく深いんです。
ですから、ぱっと頭で判断せず、よ~く観察してみて見ると・・・・・・・、
(個人的にはダイレクトパスがお薦め)

それはまず、音楽を聴こうと決めた人がいない、行動の選択者がいないということ!

音楽を聴こうという思いが沸き、体が動き、音が奏でられ、聞くということが起きます。主体なしに、見事に一連の現象が起きるんです。

そして、思いも、体も、音楽も、聴くという経験も、よく観察すれば、すべて気づきの意識のなかで起きています。

そして、さらによ~~く観察すれば、気づきの意識の中で起きている事象に、一切距離や空間がないことが分かるはずです。

つまり、“二つではない”が意味すること、それは時間や空間もないということ。

ここもあそこも、この世もあの世も、低次元も高次元もなく、だから、高次元に目覚めるというのも、まだ夢の中です。

過去も未来も、過去生も今世もなく、だから、自分が今自分の人生を生きているというのも夢。

時空や次元がある話、変化がある話は、すべて壮大な神の遊戯、夢の物語です。

でも、この偉大かつ、驚異的な神の遊戯(夢)の中に生まれる、時間と空間、宇宙や人類の歴史、さまざまな次元、そしてあなたと私、すべては同時に不変不朽である気づきの意識そのものです。

スクリーン(空)と、映像(色)が分けられないように、空即是色であるように、ないとある、夢と実存、変化と不変は、決して分けられないですね。

だから、夢も真実であって、どっちが大切とか、どっちがより神聖かなどともいえません。

逆に言えば、最もつまらない日常、自我が次元が低いと判断するものも、すべて神聖なんです。

頭で判断しようとしないほうが良いでしょう。

それよりも、この地味でシンプルな“二つではない”というメッセージを徹底的に見つめてみると良いかもしれません。

そこには、頭では把握できないけど、自明で開かれた、そして深い秘密が隠されているから♪