私の物語

<目覚め・・・その始まり>

ある日、カフェを出て家に帰る途中、駅の近くの交差点を渡っていると急にあふれるような暖かく幸せな気持ちが湧き上がってきました。なんの理由もなく、こんなポジティブな感覚が出てくるなんて、素敵だなぁと思った瞬間、今度は昨日犠牲者意識にどっぷりおち込んでいた自分の姿が浮かんだのです。そのとき一瞬、“この人誰?”という思いが浮かび、その思いとともに私の中で何かが変化し始めました。心臓が高鳴り、何かが起こっていると思いつつ、それが何か分からないまま歩き続け、家にたどり着きました。

家にたどり着いたとき、一番最初に気づいたことは、玄関にある椅子は、私に一度も“私は椅子です。”と挨拶をしたことがなかったということでした。私がすべてにレッテルを貼っていたのだと。椅子というレッテルを貼らない椅子は、完璧な姿でそこに存在していました。

見渡す、すべてのものは、ただそこにあって、そして完璧でした。自分の部屋の椅子に座ると、今度は、“今まで何一つ起きていなかったし、私は何かをしたことなど一度もなく、ただ起きることを永久の時間の中で目撃していたのだ。そして、出来事は大きなエネルギーのうねりであって、そのなかで起きたことに私(真の私)は一切影響をうけないのだ”と知ったのです。

自分の体も仕事も真の私とは一切関係なく、体を動かすの?仕事はどうするの?という思考が沸いてきました。また、この状態いつまで続くのだろう?とか、思考は相変わらずおしゃべりでしたが、それでも自分や仕事などに関する思考がすべてどこかに行ってしまったようで、体がとても軽く、私はまさに生命力そのものでした。

一、二時間ぐらい経ったでしょうか。キッチンで水洗いをしていると、急に体が震え始め、ものすごい怒りが出てきました。その後一時間以上は、怒りやら悲しみやらが大波のように絶え間なく出てきました。私の意識は、もうかんべんして!と思っているのに、体が勝手に震え始め、強い感情が襲ってきます。

そんなとき、ある思考が浮かびました。“この感情は私(溝口あゆか)の感情ではない”この思いが出てきた瞬間に、強い感情がぴたっと消えてしまい、私は狐につままれたような気分で部屋にたちすくしました。

次の朝、どんなふうに世界が見えるのかを楽しみに床に就いたのですが、翌日目を覚ますと、残念なことにすっかりいつもの自我の意識に戻っていました。この体験後、私は目覚めについてもっと知識と体験が必要だと強く感じ、様々な悟り(非二元)の本を読んだり、セミナーへ出かけたりしました。そして、私のような一瞥体験(non-abiding awakening)をしている人は非常に多いこと、また、現在はティーチャーとして活躍している人の多くも一瞥体験などをした後、徐々に真我へシフトしていくのだということも分かりました。(ちなみに、一瞥体験は目覚めるために必須ではありません。)

また、一瞥体験をすると、強烈なエゴのエネルギーが放出されることが多いと知り、あぁ、だからあんなに体が震えて、次から次へと怒りや悲しみが出てきたのだなぁということも知りました。

とりあえず、自分に合う先生を見つけようと、トニー・パーソンズ、ジェフ・フォスター、ウンマニ、ムージなどなど、さまざまなティーチャーのセミナーへ出かけ、最終的にルパート・スパイラに落ち着きました。彼は、多くのティーチャーが参加者の質問に答えるだけであるのに対し、執拗に経験へと導いていきます。

あるリトリートの午前中、誰も質問をする人がいなかったためか、私は運よくルパート・スパイラによって体験の一つ一つをダイレクトパスで導いてもらえました。

それは、まず“思考活動は何でできているか?”という一見不思議な質問から始まりました。ダイレクトパスの性質上、考えて答えを出すのではなく、シンプルに経験を見つめていきます。私は静かに見つめ、どんなに見つめても透明な空間しか見えず、そこで私は“透明”と答えました。

答えたとき、私は透明の先に何かがあるとは思っていませんでした。しかし、ルパートは、“もっと続けて”と私を促したのです。そこでさらによく見つめていくと、どれぐらい経ったでしょうか、突然、あっ!“Knowing”(気づいている、分かっている)だと分かったのです。その瞬間体が反応し、目から鼻から涙、鼻水がどっとあふれ出しました。

しかし、そんな私をよそにルパートはさらに、“じゃぁ、次は感じるは何でできているか?”と促してきました。結局、考える、感じる、聞く、見るという経験を一つ一つじっくりと最後まで導いてくれたのです。

すると、主体、客体の世界は崩壊し、あるのは「気づきの意識(awareness)」だけでした。

どこに目を落としても、気づきの意識(awareness)しかありません。

その後も、気づきの意識を深めるプロセスは続き、たくさんの気づきやシフトが起こりました。その中でも大きかったシフトは、「私の意思」という固いエネルギーがお腹から抜けたときだったかもしれません。人生をコントロールする私はいなくなったのです。

しかし、最後まで残っていたのが、“私はまだ見えていない”という思いでした。ルパートにそれを告げると、“そのうち落ちていくよ”と言われ、そんなものなのかなとそのときは聞いていました。

そして、ルパートの言葉は正しかったのです。どの瞬間だったのか、今となってはまったく思い出せないぐらい、その思いは静かに無くなっていました。

今も悟りのプロセスは続いています。ただ、私になしにプロセスだけが続いているのです。

私はいないけど、私の物語は続く・・・、人生って面白い!

私の物語」への1件のフィードバック

  1. アーサー

    いいですね。
    こんな記事がるのには気づきませんでした。
    とても頼りになります。

    いいね

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