悟りや非二元の本を読んでいたら、降伏とかサレンダー
という言葉をきっと耳にしているでしょう。
で、自我は、それを自分が実践することだと勘違いしてしまいがちです。
でも、サレンダーとは、自我の私が降伏するのではなく、
真の自分はサレンダーそのものだったと気づくことです。
自我の努力とは一切関係ないんです。
真のあなたは、いつももうすでにすべてをありのままに受け入れていますね。
だから、もし自我が努力するのなら、降伏しようと頑張るよりも、
真の自分は、すべてに気づいている意識のほうだったね~♪、と
ということを思いだすほうがうんと近道でしょう。
ちょっと人が数人いる部屋をイメージしてみてください。
私たちは、普段部屋の中にいる人間のほうが自分だと思っています。
でも、真の自分は部屋の空気のほうなんです。
さて、部屋の中で誰かが喧嘩を始めたとします。だんだんエスカレートして、
殴り合いに発展していきました。他の人たちは、この喧嘩している人たちが
部屋から出て行ってくれたら良いのにと思うでしょう。
この部屋は平和であるべきなのだから。
では一方、部屋の空気はどうでしょうか? 何かコメントをしているでしょうか?
この人はいても良いけど、あの人は出ていくべき、これは起きていいけど、
こういうことは起きては駄目などと判断しているでしょうか?
それとも、いつも無言ですべてを受け入れているでしょうか?
もちろん、真のあなたは空気でありません。
でも、真のあなたは無条件の愛、無条件の降伏、気づき、そして純粋意識であって、
同じようにすべてをただ受け入れているんです。
もう一度念のため、これは、すべてを受け入れましょう!というメッセージではありません。
自我には無理です。受け入れられなくてジタバタしてもぜんぜん良いんです。
それも含めて、すべて受け入れられているから。
でも、もしあなたがジタバタしているほうではなく、純粋な意識のほうが自分だと見抜けたとしたら、
きっと、絶対的なありのままのすべてに圧倒され、起きることのすべてを信頼して良いんだと知るでしょう。
絶対的なあるがままは、すべてに浸透し、それしかなくて、そして、それが自分なのだから。
嫌な出来事、まずいこと、悪いことが起きないように頑張らなくて良いことが、
どれだけ心に平和を生むのか、はぁ~~、長い間まったく知らなかった・・・。(*^_^*)