月別アーカイブ: 2015年3月

あなたはもう降伏している♪

悟りや非二元の本を読んでいたら、降伏とかサレンダー
という言葉をきっと耳にしているでしょう。

で、自我は、それを自分が実践することだと勘違いしてしまいがちです。

でも、サレンダーとは、自我の私が降伏するのではなく、
真の自分はサレンダーそのものだったと気づくことです。

自我の努力とは一切関係ないんです。

真のあなたは、いつももうすでにすべてをありのままに受け入れていますね。
だから、もし自我が努力するのなら、降伏しようと頑張るよりも、
真の自分は、すべて気づいている意識のほうだったね~♪、と
ということを思いだすほうがうんと近道でしょう。

ちょっと人が数人いる部屋をイメージしてみてください。

私たちは、普段部屋の中にいる人間のほうが自分だと思っています。
でも、真の自分は部屋の空気のほうなんです。

さて、部屋の中で誰かが喧嘩を始めたとします。だんだんエスカレートして、
殴り合いに発展していきました。他の人たちは、この喧嘩している人たちが
部屋から出て行ってくれたら良いのにと思うでしょう。
この部屋は平和であるべきなのだから。

では一方、部屋の空気はどうでしょうか? 何かコメントをしているでしょうか?
この人はいても良いけど、あの人は出ていくべき、これは起きていいけど、
こういうことは起きては駄目などと判断しているでしょうか?

それとも、いつも無言ですべてを受け入れているでしょうか?

もちろん、真のあなたは空気でありません。

でも、真のあなたは無条件の愛、無条件の降伏、気づき、そして純粋意識であって、
同じようにすべてをただ受け入れているんです。

もう一度念のため、これは、すべてを受け入れましょう!というメッセージではありません。
自我には無理です。受け入れられなくてジタバタしてもぜんぜん良いんです。
それも含めて、すべて受け入れられているから。

でも、もしあなたがジタバタしているほうではなく、純粋な意識のほうが自分だと見抜けたとしたら、
きっと、絶対的なありのままのすべてに圧倒され、起きることのすべてを信頼して良いんだと知るでしょう。

絶対的なあるがままは、すべてに浸透し、それしかなくて、そして、それが自分なのだから。

嫌な出来事、まずいこと、悪いことが起きないように頑張らなくて良いことが、
どれだけ心に平和を生むのか、はぁ~~、長い間まったく知らなかった・・・。(*^_^*)

『引き寄せ』

引き寄せたいものが実現しなかったら、私は幸せになれないと思っていたら、
それは一過性の幸せを追っているだけになるだろう。

なぜなら、私は欠けている、私の人生は欠けている、私は駄目だ、
私の人生は駄目だ、この状況は嫌だ、不完全だという錯覚(夢)
に基づいて求めているから。

錯覚は、錯覚しか引き寄せない。
夢は夢で終わってしまう。

もうそろそろ、夢の中で幸せを見つけようとするのを辞めて
絶対なもの、いつもつねにあるものに目を向けてみたらどうだろう?

そうすれば、求めることに終止符を打つことができるから。
不完全が愛おしく見えるから、
つまらない日常が驚異に変わるから
無関係だったすべてのものが親密なものに変わるから
迷いや混乱の最中で、静かな微笑を見い出せるから。
ネガティブと友達になれるから

でも、どうしても引き寄せのコツが知りたい人へ、

それが引き寄せられなくても、まったく大丈夫♪だと感じられたら、
起こるすべてを信頼することができたら、

きっと、求める前に与えられるだろう。

うふふ。真実が私をくすぐる。(*^_^*) 

後悔しているあなたへ

後悔とは、
自分が違う行動がとれたはずだ、
違う選択ができたはずだ、
と信じる思いから生まれるだろう

でも、

自然を見てみると
太陽は何時にどこをどれだけ照らすか決めているだろうか?
鳥たちは渡る時期をみんなで話し合っている?
木々はその葉をいつ紅色に染めるか考えているだろうか?
季節が冬から春に移り変わるために、
そこに努力している誰かはいる?

惑星や山や海、木々、花々、動物たち、
風、雲、季節の移り変わり、潮の流れ

すべてはなんの努力もなく
自然にただあるがままに起きていて、
人間も例外ではないのに、
私たちは、私たちだけが違うと思ってしまう

でも、絶対的な真実は、
思考も勝手に湧いてきて、
体も自動的に動いて、
自然と同じように
すべてがあるがままに起きている

あなたも私も例外ではなく、
すべてはそうなるようにしかならなくて、
あなたも私も大いなる自然の摂理のひとつ

そして、さらによく観察してみれば、
あなたという主体はなく、
大いなる一つの摂理が
終わらないダンスをしているのが見えてくるだろう

自分が違った選択ができたはず・・・
という幻想にしがみつくのをやめて
風、木々、季節、桜、
そして、私
自分も同じ自然の流れにそって動いて、変化
していることを思い出してみよう

そして、さらによく見つめてみると
自分は自然の中にいるのではなく、
自然そのもの
大いなる流れそのものだったと
思い出されるだろう
そのとき、真の癒しが私たちを迎えてくれる

自由意志

自我は、自分が人生をコントロールしていると信じて疑わないから、
自分には自由意志があると思っている。
または、あったほうが良いと思っている。

でも、

自由意志があるということは、常に選択があるということ。
そして、選択があるということは、常に正しい選択をしなければ
いけないということ。

自我の自由意志には、だから自由と引き換えにストレスもついてくる。

でも、

「わたし」がいないことに気づけば、
そこには、大いなる流れがあるだけ。
主体不在の完全な自由。

そのとき、あなたは自由意志からも自由になって、

自分が完全なる自由そのものだったと気づくだろう。

 

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