月別アーカイブ: 2018年10月

自分への信頼が生まれる場所♪

例えば、
自分の方向性が良いかどうか分からないとき、
やってみないと分からないとき、
他者の評価がいろいろなとき、

世間や人の言葉に左右されず、自分らしく行こうと思えば、
自分に自信を持つ必要が出てきますね。

または結果がすぐに出てこないことを続けるとき、
自分を信頼していないと不安に負けてしまうかもしれません。

基本、人生とはそもそも明白なものや確実なものよりも、
よく分からないもの、不確定な要素の方が圧倒的に多いものです。

でも、自分を信じたり、自分を信頼するのが難しく感じるときってありませんか?

だからここはじっくり座って、自分への自信や信頼がどこから生まれてくるのか、
よ~くよ~く見つめてみたいのです。

不確定なものに自信を持つために・・・・、

一つ見えてくるものは、決して思考から自信は生まれないこと。

思考は不確定なものを確定しようとする衝動がありますね。
でも、どんなに確定しようとも、きっとこうなるという推測や
こうなるはずという期待、またはきっと大丈夫と思い込むなどなど、
どこかウソっぽい自信。

砂の上に立ったお城みたいな自信です。

そこで思考ではなくてハートの中に留まってみる。

手を胸に当てて、思考を静めて、

気がつきましたか?

ハートには思いが存在しないから、時間も空間もないんです。

「いまここ」だけ。

そして、そこにじっといてみる。

もし、ハートに固い感じ、重い感じがあれば、それにただ気づいて、

静けさにただあってみる。

思考は、この先どうなるのだろう?
私のやっていることは正しいのか?
この道を進んで良いのかな?
もうなんだか分からない・・・、

と迷い、不安、混乱の思いを発しているかもしれません。

でも、ハートの静けさにただってみる。

そのうち、ハートの静けさと気づきの意識と生命が一つであると感じるまで。

あらゆるものを動かし、創造し、生み出していく生命

I AMとしての私

そこではあなたのすべてが保障され、生も死もなく、無限の場、

自分を信頼する、自分に自信を持つとは、
生命にゆだねる心のこと、
I AMに降参する真摯さ、

生命の上に立って大丈夫だと知っていること。

不確定な生命の息吹、何が生まれるのか未知が潜む場所、

間違いも失敗もあって大丈夫。

もっと大きな自分だから、

それは本質が支えてくれる自信と信頼♪

 

★★★

オンラインお話会 (キャンセル待ち募集中)

「オープン・アウェアネス・カフェ」

心のしくみや私たちの本質についてのお話し会です。

詳細はこちら→★

悟りへの三段階エクササイズ~ヨガの伝統から~

IMG_0521久しぶりにカシミール・シャイビズムの本(写真)を手に取ってみました。というのも、フェイスブックでルパート・スパイラさんの奥さん(Ellen Emmet)が、非二元とヨガにつての投稿をシェアしていたからです。

投稿によると、ヨガはもともと近代になりまでポーズというものはなく、本来の目的は体を通して本質を理解していく手段だったそうです。私はロンドンで何度かこのエレンさんの非二元ヨガを体験し、ヨガというのに、まったくポーズがないことに最初は少し戸惑いました。

ですが、ある意味とても新鮮で、ただただ体と体の感覚、体と外側の関係を見つめ、境界線が消えていくのが楽しくてたまりませんでした。と、書くと楽しそうに聞こえるかもしれませんが、非常に地味なワークで、自我が“つまらない”、“なんでこんなことやるの?”と騒ぎ出すほど地味です。

実際、エレンさんをご招待してあるグループでやってもらったときは、ほとんどの人が寝てしまいました(笑)。

さて、話を本に戻すと、いかにヨガが非二元の教えそのものだったか、いかに古代からの教えが今に通じて、というか真実のメッセージは変わっていないかがひしひしと分かります。

本の中に制限された意識の自我が、無限の純粋意識そのものの自己の本質を知るには3段階の方法があると書いてありました。

この3段階は、行う人のレベルに合わせるべきだが、とりあえず一番高いレベルから皆初めて、それができない場合は、2段階目、3段階目とやってみると良いと書いてあります。

ちなみに一番高いレベルをsambhavopaya、二番目をsakatopaya、三番目をanavopayaと呼ぶそうです。

で、一つ一つの段階の説明がこの後に続いています。

詳細は書けませんが、一番高いレベルとはなんと「在るにある」という、いつもこのブログで書いていたことでした。(思考は一切横に置いて、自分がいる、ここ、あそこなど、どの思考もすべて横に置く)

もちろん、それはニサルガダッタが彼の師から言われたこと、またルパート・スパイラさんがいつも言っていること(abiding with awareness)で、そのほかの非二元のメッセンジャーたちが言っていることと同じです。

二番目のsakatopayaは、口に出したり、唱えたりできない何かに集中すること。体の変化や思考、感覚など変化する世界の中で気づいている意識を維持していく。

三番目のanavopayaは、体の一部に集中したり、呼吸やマントラ使って心を集中させる方法。

自我的には、おそらく3つ目が一番何かをしている感が強いのでやりやすいでしょう。というのも、自我はどうしても何かつかめるものに集中してしまう傾向が非常に強いからです。

特に瞑想などをしていると、“穏やかな感じ”、“平和な感じ”、“思考のない空な感じ”など、自分が思う“非二元や悟りの状態(=つかめるもの)”を保っていると、自分が進んできたような気がしたり・・・。

もちろん、私たちのほとんどが、普段ものすごい思考活動の中にいますので、これはこれで心身ともにとっても良いことです。

話を戻して、第一番目のsambhavopayaがなぜもっとも高度なエクササイズとなっているのかは、何もしない、何もつかまない、とらえない、ただある、そこにあり続けるというのが自我には非常に難しいからでしょう。

ノンデュアリティと癒しのカフェでも、気づいている意識にただあってみてくださいとお話しますが、多くの人が気づいている意識そのものが何かを探そうとし、そこにとどまろうとしてしまいます。

一番シンプルに説明しようと、“今ここに自分がいるのが分かっていますよね? その分かっている意識にあるだけです”とお話しても腑に落ちない顔の人もとても多いです。

ので、“ただある”がぴんと来ない人、または仕事や日常の生活が忙しすぎて、思考のおしゃべりが止まらないときは、第三番目から始めるのも良いかもしれません。そして、徐々に二番目に移行していく。

つまり一見つかめるものに集中しているようで、実はそれらに気づいている意識を維持する。そして、最後に気づいている意識だけになる。ただあってみる。

さて、こういったエクササイズの紹介をすると、自我はたいてい張り切りだします。自分が悟るのだ!みたいに。

ので、同時に大切なのは、エクササイズをしている自分はすべて掴めるもの(体、思い、感情・感覚)であって、そこに瞑想者は存在せず、気づいている意識そのもののみであると見えてくるまであり続けることかもしれません♪

この手の本はすらすら読み進めて、頭で理解するよりも、一行づつ止まって見つめていくのが一番です。本当に分かっているの?と自分に徹底的に正直になりながら・・・♪

☆☆☆ ノンデュアリティと癒しのカフェ ☆☆☆

今年最後のカフェです♪ (キャンセル待ち募集中)

【日時】2018年11月10日(土)14時~16時30分
【場所】あうるすぽっと(東池袋)
http://www.owlspot.jp/access/   
【参加費】4500円
   
【申し込みフォーム】
https://www.form-answer.com/applications/Y5BBP

オンラインのノンデュアリティと癒しのカフェ開催予定♪
(詳細はブログでお知らせいたします)