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神が70億個の夢を見ている♪

気づきの意識が、あゆかを通してあゆかの世界を経験している。

つまり、あゆかが一人で部屋で映画を楽しんでいるとき、

映画を見ているのは、気づきの意識

面白いと思っているのは、気づきの意識

あゆかはいなくて(私はいない)、

気づきの意識だけがある(私はある=I AM)

これは思想でも、理論でも、人をけむに巻く話でもなく、

思考をわきにおいて、深く深くあるがままに観察すれば、

誰もが最終的に到達する事実。

神はあなたに経験を託したのではなく、あなたは神そのもので、

この世には神しかいない。

それが存在の秘密であって、そして目覚めのはじまり。

あゆかという現象はあるけど、そこに経験者はいない。

喜んでいる誰かも苦しんでいる誰かもいない。

でも、ここで気をつけよう。 “苦しんでいる誰かはいない”と

頭で苦しみをねじ伏せないこと。

なぜなら、苦しみの底には目覚めへの欲求があるから。

苦しみはとは、幻想の深い闇。ある意味神が深い眠りについた場所。

そして眠りから覚めたいという神の衝動が最も現れる場所。

だから目覚めとは、あゆかという夢から目覚めること。

そのときあゆかという経験者はいなくて、最初から神(=気づきの意識=空)しか存在していなかったと知る。

神のみが存在する。

でも、空即是色。

神しかいないと知っても、あゆかの人生は続き、

神(空)とあゆか(色)は、決して分けられない。(二つに非ず)

だからどんなに目覚めても、神はあゆかという夢を見続ける、

しかし今度は夢を見ているのはあゆかじゃなくて、

神としての私(I AM)だと知りながら。

ということで、やっぱり最後は何度も書いた引用で、

The eye through which I see God is the same eye through which God sees me; my eye and God’s eye are one eye, one seeing, one knowing, one love.”

私が神を見る目と神が私を見る目は同じ。私の目と神の目は一つの目、一つの見る経験、

一つの知る経験、そして一つの愛

 

※Seeingとknowingは、行為を表しているので経験と意訳しました。

 

☆☆☆ ノンデュアリティと癒しのカフェ ☆☆☆

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広い部屋に変更しました。募集を再開します♪