暑くなりましたね。今回もご質問にお返事させてください♪
自己がいない、というのはなんとなくですが、きっとそうなんだろうな、と思っています。そう思っていて、過去生のトラウマと聞くと、ちょっと不思議な気がします。実際にはいない自己に、そして、過去は今あるイメージだけでしかないのに、過去生というものは、あるのでしょうか。言葉で説明してもらってわかることではないのかも知れませんが、よろしければ教えて頂けますでしょうか。
これもある意味、思考が思考を呼んでいるご質問ですね。
ちなみにこのご質問は、こちらの記事→★で癒しについて触れたとき、過去生の話がでてきました。それに関するご質問です。
さて、「自己がいない」のイメージが少し違うかもしれませんね。体や思い、感情、性格、ストーリーなどなどはあるけど、それらの持ち主がいないということです。主体が不在なんです。
車(体)はあるけど、運転手(主体)がいないということですね。
なので、自己はないけど「ストーリーはある」になります。
ですが、それも半分の真実です。
究極的にお返事をしてしまうと、あらゆる事象が“今”という無限のなかで起きていて、そして何も起きていないんです。
過去生だけではなく、現在の“わたしの人生”もです。
現れては去っていくものは、すべて「あったけど、ない」んです。思考は「あるかない」のどちらかに答えを求めよね。ですが、残念ながら思考にとっては、はぐらかされるようなお返事しかできないんです。
ただ、気づきの意識(純粋意識、真の私、など)に充分に寄り添うことができれば、それは明白になっていくはずです。
で、正確なたとえではありませんが、煙の動きをイメージして頂くと、煙は一瞬、一瞬その形を変えていきますよね。ある一瞬は竜が天に上るような形をし、でも同時に変化し、次には横に広がったような形になったり・・・・。
では、一瞬竜が天に上るような形は起きたのでしょうか? 形ができ上がると同時に変化しているのに? でも、確かに一瞬そう見えたからある?
もう一度念を押しておくと、これは正確なたとえではありません。言葉の限界すぎ。
でも、事象はすべて常に変化し、このように「あるとない」の両方を包括しながら生命のダンスを踊っているんです。
癒しの点からすると、これはある意味究極の救いです。なぜなら、この「あるけどない」が差し示すことは、実体として傷ついた人は存在せず、また何事も失われていないからです。
真のあなたは、生まれてもいないし、だから死ぬこともなく、増えたり、減ったりすることもないんです。
それを知りつつ、個人のトラウマ、過去生などを癒す仕事を楽しんでいます♪ ふふ。(*^_^*)