月別アーカイブ: 2018年11月

一瞥体験よりも求めたいもの♪

一瞥体験に関する下記のようなご質問を頂きました。↓

エックハルト・トール氏もプロフィールに一瞥体験が記載されています。全ての方ではないですがプロフィールに同じような内容が紹介されます。なぜでしょうか?そして経験(一瞥体験)が去った後は?読者や探求者は、必ずこれに引き寄せられますが・・・。

私の場合はすべての始まりであり、発信する中で自然な感じがするからです。(記載しないと何かを隠しているみたいで不自然な感じ)他の方は分かりませんが、それを目指すものとして書いているわけでもないと思います。

一瞥体験に関してある意味危険?なところは、私も見事に陥りましたが、“あの体験をもう一度”となってしまうことです。または “あの状態が続くことが悟りだ”と勘違いしてしまうことです。

せっかく真実を掴んだのに失ってしまった・・・と私は本気で思い込んでしまいました。また、その後人生の意味を見失って、虚無に陥る人も多いですね。

しかし、有難いことにロンドンには非二元のお話会が頻繁にあり、ティーチャー達によって私の勘違いは比較的早く是正されました。

体験というくくりで言えば、一瞥体験もバンジージャンプ体験もある意味で同じです。体験はすべて過ぎ去っていき、一瞬一瞬変わり続け、そして一瞬前にあったものは消えていきます。何一つとどまることはなく、つまり、実体のないものです。

一瞥体験もそうです。始まりと終わりがあります。私の大きな勘違は、必ず変化し、終わりがある経験や状態というものに永遠にとどまっていられると思ってしまったことです。

しかも、分離した個である私が(笑)。ですが、ぜんぶ丸ごと大きな勘違いでした。

というのも、存在の本質は不変であって、失うこともができず、つねにここにあるもので、そして分離した個が決して留まれるものではなく、捉えることがまったくできないからです。

ですので、大切なことは去って消えていく体験ではなくて、

“決して去らないものは何か?”という問い、

そして、

“そもそも体験者はいるのか?”という問いです。

自我は特別な体験、とくに悟り体験のような特別体験に憧れる傾向があります。ですが、もし求めているものが、去ってしまう体験ではなく、不変の真実なのであれば、一瞥体験という遠回りをしなくても良いかなと思います。

ちなみに私の先生であるルパート・スパイラさんは、一瞥体験をしておらず、一瞥体験は目覚める条件というわけでもないんです。

真実はいまここに否定しようがなくすべてに浸透しています。たどり着くものでもなければ、ここにないものを見つけ出したり、得るものでもありません。

なので、探求はどこかに向かうのではなく、いまここへの探求、そして意義ある疑問は、“今ここにある真実がなぜ見えないのか?”でしょう。

このブログでもそこを強調しているつもりではあるんです。ただ、書き言葉に限界がありすぎますが・・・。

とりあえず、体験というつかめるものではなく、あらゆる体験に気づいている、決して捉えることができないもの。いまここでそれを探してみませんか?

 

☆☆☆オンラインお話会について☆☆☆

この度は予想以上にお申し込みを頂き、また動画販売のリクエストもありがとうございます。

動画販売に関しまして、当日参加のようにやりとりができないこともあり、個人的には価格を少し低く設定すべきだ(したい)と考えています。しかし、当日参加できない方も、すでにお振込みを済ませた方も多く、現段階で2種類の設定で申し込みし直して頂くのもかなり煩雑になると判断いたしました。そこで、動画販売の価格に近付けるため、4回のお話会を同じ価格で5回やることに致しました。(*^_^*)

つまり、動画販売もいたしますので、またお知らせさせてください♪