ノンデュアリティ(非二元)というこの言葉。
人によっては、まったくもって意味不明で、
人によっては聞きすぎてげっぷがでてしまうかもしれません。(笑)
でも、私はこの“二つではない”という言い方がとても好きなんです♪
無償の愛とか、真我とか、ワンネスとか、そういった言葉に比べると、“二つではない”というと、なんだか無味乾燥な感じがするかもしれません。
イギリス人の友人には、“ノンデュアリティ?何それ?科学の用語?”とさえ言われました。
でも、この“二つではない”には、ものすごく深く豊かなものがあって、だから、昔の人は、ワンネスと言わずに、アドヴァイタ(“二つではない”)とわざわざ言ったのではないかなと思うのです。
例えば般若心経、
色は空であり、空は色である。(=この二つは分けられない)
この色と空を、もしひとまとめにワンネスって言ってしまったら・・・・。
色と空というまさに正反対で、実に対照的であるものが分けられないというミステリー、驚異、本質の深さが見過ごされてしまう感じがするのです。
相反するものが同時に真実であって、決して分けられないという、自我にはまったくお手上げなところに、途方もない深さの真実があるわけです。
でも、そんな理解不能なミステリーよりも、無償の愛や感謝を体現しようとか、高次の波動を目指すとか、空の状態になれば良いのだとか、そういった分かりやすい話のほうに流れてしまう気がするのです。
パリでテロが起きて、それは「ほんとうは起きていないし、誰も傷ついていないし、苦しんでいる個人もいない」のだけど、それがまさしく真実である一方で、テロリストを生んだ土壌に染み込んだ怒りや憎しみ、テロによって犠牲になった人々の無念さや悲しみ、そしてそれに心を痛める人たちの様々な思いや反応がある。
両方を深く感じること。
深く、深く、感じる。そうすると、私はハートの中にいて、また真の自分はハートそのものであると分かる。
私はテロの怒りであり、悲しみであり、犠牲者のショックであり、消えていく体、そしていろと家族の目に流れる涙でもある。憤りや憎しみ、愛や共感がダンスをしながら駆け巡る。
と、同時に無音よりも静かで、深い平和と愛でもあって、そこから見えるもののすべてが夢。
テロって非二元的にはどうなの?と聞かれると、さぁ、分からないけど、ただ両方を深く感じるんです、とお返事したくなります。
色と空を深く感じる。
決して言葉にならず、頭で理解できないけれど、確実にそれがあって無限に深い真実☆
もう自分は真実が分かった、悟ったなどとはとても言えない、この永遠の果てしない深さ。
はぁ~、そしてそれが最も身近で常にここにある真のわたし♪
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