月別アーカイブ: 2018年3月

あまりに明らかな存在の秘密

IMG_0159

発作的に訳したくなることがあります。ので、今回も発作的に訳しました♪

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

神はどこにも宿っておらず、また神の中には何も存在していない。

神へ入っていくこともなければ、神から生まれ出ることもない。

こんなふうに、学説的な知識や理性、理解や推測、または五感や肉眼、心の目や世界観を通してではなく、

あなたは神というものを知るべきだろう。

神以外、神を見る者はなく、神以外神を知る者もいない。

神は神自身を通して、自分を知り、神は自分によって神を見る。

神以外に神を見る人もいないのだ。

神のベールは、ワンネスそのものであって、神以外に神を覆うものはない。

神が神を覆い、神の存在はどんな条件もなく、ワンネスによって隠されているのだ。 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

これは、12世紀から13世紀に生きた、当時イスラムの世界の中でももっとも影響があったティーチャーと言われている、Ibn ‘Arabiという人の本からの抜粋です。(写真参照)

自我はどうしても分離の発想がベースになるので、自分と神との関係も、「自分がいて、神がいる」、「あらゆるものがあって、それは神から生まれた」といったような世界観で捉えますよね。(科学的な観点は一見違いますが、分離ベースなことは同じ)

ワンネスを謳うスピリチュアルでも、基本的には個の自分がいることが前提になっていて、個の自分が全体とつながるとか、全体になるとか、そんなイメージが多いかもしれません。

かつて、奇跡のコースの“この世には誰もいない”という言葉に触れたとき、直感的にここに真実があるとは思ったものの、意味がさっぱり分かりませんでした。しかし、その後ノンデュアリティの教えに深く触れるようになり、私が何かを見るという主体と客体の関係性が落ちたとき、この意味が見えてきたのです。

自分がいないということは、自分の経験を見ているのは、自分ではないということ。気づいている意識しかこの世にはないということ。

これは私がたびたび引用しているマイスター・エックハルトの言葉、

“私が神を見る目と神が私を見る目は同じである”

The eye with which I see God is the same eye with which God sees me.

ともまったく同じ意味を指しているでしょう。

自我の自分は、自分が世界を見ていると思っているけど、本当は自分は見られている側ですね。

自分の体も、感情も、思いも捉えることができます。

でも、自我の自分から体と思いと感情を取ったら? 自我の私はたちまち存在しなくなるでしょう。

また、体も思いも感情もすべて現れては消えていく変化するものです。

でも、自分の経験の中で唯一変化しないもの、唯一捉えることができないものがあります。

それが気づいている意識ですね。

それを神と呼んでも、空と呼んでも、ブラフマンと呼んでも、なんでも良いわけです。

大切なのはそういった知識ではなく、それが自分だと体験的に分かっていることでしょう。

そのとき、必ず主体と客体の分離した世界観は崩れ、あらゆる質問が落ちるはず。

この世には一つの目しかなく、それはあまりにすべてに浸透しているから、

または、あらゆるすべてそのものだから、

分離の目しかない自我は逆にスルーしてしまう。

だから隠されたワンネス。ワンネスの次元がどこかにあるのではなく、

今ここにすべてがすでにいつも明らかになっていて、

と同時に、自我にとってはそれは存在の隠された秘密。

う~ん、トニー・パーソンズの「開かれた秘密」という言葉はほんと見事だ。

《原文》
He is not in anything and no thing is in Him, whether entering into Him or coming out of Him. It is in this way that you should know Him and not through theoretical knowledge or reason, understanding or conjecture, not with the senses, the external eye or interior sight or perception. No one sees Him expect Himself and no one knows Him expect Himself. Hi knows Himself through Himself and He sees Himself by means of Himself. No one but He sees Him. His veil is His oneness since nothing veils Him other than Him. His own being veils Him. His being is concealed by His oneness without any condition.

 

☆☆☆ お知らせ ☆☆☆

すでにご存知の方も多いと思いますが、お知らせしちゃいます。

インテグレイテッド心理学開催します♪

2018年5月26日(土)、27日(日)

自分は分離していると信じた時点から、すべての自我に共通する心の動きとはなんでしょう? 私たち全員が日常に無意識にしていることや、あらゆる苦しみのしくみを知ってみませんか?

詳細はこちら