月別アーカイブ: 2016年11月

容赦なき恩寵♪

人生が思い通りに行かないとか、スムースに行かないとき、
自分が悪いのだとずっと思っていた。

本当はものごとはうまく行くはずで、
誰もが幸せになれるように、私も幸せになれるはずだから、
きっと私が何か見えていないに違いない
私の癒されていない恐れが一歩を踏み出せないから?
私の気づかない思い込みが幸せを妨げているのかも?

解決できない私はダメだ、苦しんでいる私はダメだ、
ものごとを良い方向へ持って行けない私はスピリチュアル落伍者だ、

でもだんだん、解決できないものがある、うまくいかないものがあるということが、
しっかり捉えることができ始めてきた。

自分も他者もどんなに愛する人でも救えないことがあることも。

それは誰が悪いのでもなく、ただそうでしかなくて、事実は頑固だけど真実に満ちていた。

随分と長い時間を費やしたけど、私の中でなにかが成熟して行き、心は穏やかになっていった。

実はそれは恩寵だったと気づいたのは、ずいぶん後のことだった。

うまく行かない人生という名の恩寵
苦しみという名の恩寵
それは、人生はいつもうまく行くはずという夢からの目覚め。

それから、私の心は解決よりも降伏を求めるようになり、ものごとがうまく行くことよりも、
真実を忘れないでいたいと願うようになった。

「受容」という本質のエネルギーが私に微笑み、真実への目覚めが少しづつ水面下で準備されていった。

あぁ、私はずっと恩寵に導かれていたのだ。

非二元の真実は、自我の妄想(いつもすべてがスムースに行って欲しい)を肥大化させるものではなく、
そこから目覚めさせるもの。

それはほんとうに優しくて、同時にまったく容赦ない。

でも、それは無限の受容でゆるぎない愛♪

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“ノンデュアリティと癒しのカフェ” in 東京

2016年12月17日(土)13:30~16:30

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“ノンデュアリティと癒しのカフェ” in 名古屋

2016年12月3日(土)13:30~16:30

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心のほんとうの逃げ場♪

これほど明らかなのに、みながつかめないのは、
それは文字通り、確実にあるのに唯一つかめないから。

つかめるものしか知らないから、悟りもつかめるものだと思ってしまう。
悟りとは~~であると理解する、捉える、その状態になる・・ぜんぶつかむという話。

思えば、物心がついてからずっと私たちはつかめるものを描き、求めてきただろう。
幼い少女は自分が何かになったり、得たりできることを知っていて、
「私の人生」の夢を見る。

私は大きくなったら何になるの?
可愛くなれる?
お金持ちになれる?
ケ・セラ・セラ

恋人と一緒にいる時間
お願い、時が止まってほしい。
このままずっとこの状態が続いたら良いのに。

やがて私たちは気がつく
実のならなかった夢もたくさんあって、
実った夢も必ず去っていく。

生命の輝きに満ちた誕生もやがては死を迎える

それでも、私たちは形あるもののなか、つかめるものの中に幸せを求め続ける。

あれが引き寄せられたら、
人生がどんどん良くなる法則を見つけたら、
お金に一生困らない方法を知ったら
状況が変わったら、
自分を愛せたら、
悟りを会得したら・・・、

でも、形あるものは必ず変化し、必ず変化するということは、
そこに実体はないということ。色すなわち空~☆

だから意味がないとか、求めるなとか、そういう話をしたいのではなく、
自分が幸せを求めているとき、ちょっと見つめてみませんか?

自分の思いの中のどこかに、
“そうなれば安泰”、“それが手に入ればとりあえず幸せ(それが続くはず)”
といったものがないだろうか?

はかなく去っていくと本当に分かっていて、私たちは必死に何かを求めるだろうか?

私(個の)がいつかどうにかなる(幸せになる、悟る、etc)というストーリーを全力で生きていないだろうか?

もう一度それが良いとか悪いとかではなく、ただそれは苦しみを生みがち。

幻を実体だと信じれば信じるほど私たちは苦しむ。

言い換えれば、もしあなたが今苦しんでいるとしたら、
何か実体のないものを絶対的な事実だと思い込んでいるから。
変化するものを常なものにしようと抗っているから。
そもそも持続する幸せはかたちの中にないから。

だから、リラックスして、唯一つかめないもの、気づいている意識、全体、生命、etc, にただあってみるのも良いだろう。

あらゆる経験が去るなか、常にあって、変化しないもの。

つかもうとするのではなく、すべてを止めて、ただあってみる。

かたちの中での幸せをがむしゃらに求めるのではなく、
とりあえず自分の本質(気づいている意識)にただあってみる。

もちろん、そこから夢も情熱も沸いてくるだろう。すべては勝手に起きているから。

でももし本質が腑に落ちたら、夢は実現するものでも、または「私の幸せ」がかかっているのでもなく、
自分の中に現れる愛しいものの一つとなる。

人生は自分の中に沸いてくるすべてのものを愛する歌に変わるだろう。

夢、情熱、喜び、そして悲しみ、寂しさ、失望・・・・・。

すべてを全力で愛する歌♪

執着と期待のない愛、受容。抱きしめて手放せる愛。

人生に夢を見た幼い少女は苦しみを知って、ここがホームだと思い出す。

ケ・セラ・セラ

夢を見ていても、目覚めても、(真の)わたしはいつも常にここにいる。 

すべてが去っても。(*^_^*)

そして、一度も離れたことはなく、いや離れることはできなくて、
だからここは、かたち(人生)にくたびれたときの私たちの一番の逃げ場。(*^_^*)

PS:もし、今苦しくて仕方がないのなら、やっぱりセラピーをお薦めします☆
 

☆☆☆ お知らせ ☆☆☆

“ノンデュアリティと癒しのカフェ” in 名古屋

2016年12月3日(土)13:30~16:30