人生が思い通りに行かないとか、スムースに行かないとき、
自分が悪いのだとずっと思っていた。
本当はものごとはうまく行くはずで、
誰もが幸せになれるように、私も幸せになれるはずだから、
きっと私が何か見えていないに違いない
私の癒されていない恐れが一歩を踏み出せないから?
私の気づかない思い込みが幸せを妨げているのかも?
解決できない私はダメだ、苦しんでいる私はダメだ、
ものごとを良い方向へ持って行けない私はスピリチュアル落伍者だ、
でもだんだん、解決できないものがある、うまくいかないものがあるということが、
しっかり捉えることができ始めてきた。
自分も他者もどんなに愛する人でも救えないことがあることも。
それは誰が悪いのでもなく、ただそうでしかなくて、事実は頑固だけど真実に満ちていた。
随分と長い時間を費やしたけど、私の中でなにかが成熟して行き、心は穏やかになっていった。
実はそれは恩寵だったと気づいたのは、ずいぶん後のことだった。
うまく行かない人生という名の恩寵
苦しみという名の恩寵
それは、人生はいつもうまく行くはずという夢からの目覚め。
それから、私の心は解決よりも降伏を求めるようになり、ものごとがうまく行くことよりも、
真実を忘れないでいたいと願うようになった。
「受容」という本質のエネルギーが私に微笑み、真実への目覚めが少しづつ水面下で準備されていった。
あぁ、私はずっと恩寵に導かれていたのだ。
非二元の真実は、自我の妄想(いつもすべてがスムースに行って欲しい)を肥大化させるものではなく、
そこから目覚めさせるもの。
それはほんとうに優しくて、同時にまったく容赦ない。
でも、それは無限の受容でゆるぎない愛♪
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2016年12月17日(土)13:30~16:30
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