今回は、コメントにお返事いたします。コメントをありがとうございます♪
自分を無くしてしましたい。という思いを、輪廻・来世を理由にずっと封じ込めてきました。<省略>「私」という感覚は高度に発達した人間の脳が創る幻想であり、時間も幻想なのだから、前世も来世も存在しない。起きていることに意味はなく、生きざま死にざまにかかわらず脳の死は個の消滅・解放である。(消滅したと知る個もなくただ全体があるだけ)とのお話。 長年の死にたい病患者の私にとってそんな魅力的な話はなく、単に「死にたい」が湧いているだけで、自死すら解放の妨げにならないなら、いっそ今にも逝きたいと願い、何処でどうやって死のうかとばかり考える狂気じみた日々が暫らく続きました。家族のことも気にかかりましたが、本当に気にかかったのは「本当に私がなくなれるのか?」でした。<省略>
始めに「本当に私がなくなれるのか?」ですが、コメントの方が思っていらっしゃる「私」がそもそもいないんです。「私がいるという思い込み」があるだけなんです。
でも、おそらく本当に消したいのは、苦しみではないでしょうか? もしめっちゃ幸せだったら、それでも自分を無くしてしまいたい?
とりあえず話を進める前に、脳が幻想を生み出すというのは、私は賛成ではないんです。個人的には量子学をベースにした考え、脳ではなくて「量子フィールドに情報(思い、感情、記憶)がある」という理論のほうがしっくりきています。
実際、量子学と非二元はかなり重なるため、欧米で開催されている科学と非二元の会議でも常にテーマになっています。
また、ブルース・リプトン博士の細胞膜が量子フィールドにあるそれらの情報を受信し、細胞に影響を与えるというリサーチ結果を出していますね。現在、その理論が他のリサーチとともに主流になりつつあるようです。→☆
であれば、臓器移植でドナーの記憶や思いを持つようになる人がたくさんいたり、臨死体験があったり、セラピーをやっていて年中勝手に前世が出てくることにもうなずけます。
で、この理論をベースにすれば、肉体は死んでも個の情報(個の思い、感情、記憶)は残るんです。トラウマのショックや傷ついた思いなどすべて。その集合した人類の情報をユングは、集合的無意識とも呼んでいます。
ので、本当に私は消えるのか?という問いを勝手に、本当に苦しみはなくなるか?に変えると、その保障はないかも~~ということです。
いわゆる多くの人が思っている「私」とは、体と思いと感情の集積に「それが私である」「自分である」という思い込みがくっついたもの(=自我)ですね。
でも、そこに主体、選択者、行為者はいないんですね。よ~く観察してみれば、思いは勝手に湧き、体は勝手に動いているはずです。
そこに物事を決めたり、選んだり、何かを起こしている主体、行為者はいないはずです。こっちにしようとか、そういった数々の思考があるだけで、それらの思考も誰の意図もなく、勝手に沸いているだけです。
しつこいようですが、こういう話をただ概念で捉えると、ほぼ間違いなく誤解、勘違い起こりまくりです。
ので、徹底的に観察してみてください♪
で、そもそも苦しみが生まれる理由とは、「個の私がいる」という思い込みに始まって、あらゆる思いを信じ切っているからです。
となれば、問題は「(個の)私がいる」という思い込みです。ですから、消滅させたいのなら、肉体(脳)ではなくて、思い込みを消滅させれば良いんです。
でも、その思い込みには、長年刷り込まれた収縮したエネルギーがしっかりあるために、超リアルでとても思い込みとは思えませんよね。
しかし、その収縮したエネルギーがなくなれば、思い込みを支えるものもなくなり、それを一般的に「解放」と呼んでいるんですね。
さて、カウンセラー&セラピストの身としては、「なぜそんなに死にたいのか?自分を消したいのか?」というところにどうしても興味が行ってしまいます。
お話をさせて頂かないとそのへんの事情は分かりませんが、長年死にたいと思っていらっしゃったということは、逆に言えば深いレベルでは「生きたい」という思いも強いはずです。
または、生きるためにすごく欲しい何かがあるというか。なぜなら、生きていても、死んでいてもどっちでもいいや~と本気で思っていたら、そんなに「死にたい」病にはならないからです。どっちでも良いことに私たちは囚われませんが、大切だと思うと囚われますよね。
ですから、本当は生きる何かをすごく求めているはずなんです。でも、それが手に入らない、生きることを支えてくれる何かがないといった「思考」を信じてしまい、それが紛れもない事実だと思ってしまったとき、私たちは死にたいと思ってしまうんですね。
話を戻して、
前世も今世も来世もすべて壮大なストーリーであって、ここに取り上げたコメントの方の苦悩もすべてストーリーです。だからたいしたことがないという意味ではなく、真に理解されれば大きな救いとなるでしょう。
起きていることのすべてなにもかもが、ある意味ストーリー以前でもあり、すべてがただ起きています。
真のあなたは、それらのすべて気づいていて、そして隅々まであなたです。
言葉を超えて、思考を超えて、ストーリーを超えて、
すべてが理解不可能だけど優しくて、
あぁ~~、(*^_^*)