思い通りに行かないという恩寵♪

頑張れば、結果は必ず得られる。
思いやりがあれば、相手は理解してくれるはずだ。
忍耐強さはいつか報われる。

私たちはある結果を目指して、

または

ある人のために、

誠意とエネルギーと努力と時間を尽くして頑張るときがある。

その姿は真摯で、人間の強さ、優しさ、
そして、人生の躍動や美しさがそこにある。

ところが、

人生は往々にして、私たちの夢、努力、誠意、思いやりを裏切る。

こんなに頑張ったのに。
こんなに思いやったのに。
こんなに我慢してきたのに。

それでも人生は“ものごとは思い通りに行かない”という容赦ない真実を突き付ける。

そして、私たちはそれを自分の失敗、人生の悲劇として受け取る。

“神に見放された”
“運の悪い自分は何かがダメだ”
“しょせん報われない人生だ”

ところが真実は、

このとき神(生命)はじっと辛抱強く待っている。
ぴったりと寄り添いながら、

私たちが気づくことを。

絶望の中にいる私たちに
暗闇の中でひざを抱えている私たちを
じっと静かに見つめ続けている。

私たちが気づくことを。

そう、

人生を動かしているのはあなたではなくて、神(生命)なのだよと。

生命にゆだねてごらん。

あなたの人生は私のものだよ。

思いつめないで、体の緊張をゆるめてごらん。

あなたが人生に奮闘しているときに聞こえなかった、生命の歌が聞こえてくるから。

生命に明け渡してごらん。

あなたが本当はなにものなのかが見えてくるから。

あなたは偉大な生命そのもの、

人生に翻弄される小さな存在ではなくて、

あなたは、人生であり運命、成り行き、そして原因であり結果、喜びであり悲しみ、達成と失敗、

あらゆるすべてそのもの、

純粋意識そのもの。

深い息を吸ってみよう、

その息は、あなたの呼吸ではなくて、

純粋意識の息、生命の鼓動

目をつぶって、

人生の躍動に耳を傾けてみよう、

存在のすべてがあなた♪

まずは自分の幻想から目覚めてみる♪

非二元や悟りのメッセージに触れていれば、苦しみは「今への抵抗、否定である」という話をよく耳にするかもしれません。

そこで、

なるほど、受け入れられたら良いのか~と、例えば、

“上司は支配的で威圧的で、自分が自由に意見を言えなくて窮屈だけど、受け入れよう”みたいな無理無理なことをしようとしてしまう人もけっこういます。

もちろん、そういうことではまったくありません。

というか、ざっくりすぎなんです。

まず、そもそも“上司は支配的で威圧的で、自分が自由に意見を言えなくて窮屈”は、自分の投影ワールドですね。

苦しく歪んだ自分の投影ワールドを受け入れるというのは、まったく真実からかけ離れた行動です。

ちなみに、投影ワールドを「思考が現実を創る」と一緒のことだと思う人もいますが、ぜんぜん違います。

まず、上司が支配的で威圧的というのは、自分の解釈です。実際は、上司が何を言ったのか?だけが事実です。また、自由に意見を言えない、も解釈(思い込み)です。

もう少し分かりやすく説明すると、上司が“これを5時までに終わらせて”と言ったとします。終わらせてくれる?ではなく、“終わらせて、以上”みたいな。

確かに見方によっては威圧的に見えるかもしれません。

しかし、ある人はこれを我儘な人、ある人は分かりやすい人、ある人は面倒な奴、などなど、いろいろ受け取り方は違います。

また相手がどんな口調、言い方でも“できません、明日ならやれます”と、普通に返事をする人もいるかもしれません。

ポイントは「威圧的な上司、無力な私」という投影ワールドに住んでいる人、「面倒な上司に冷静に対応する私」という投影ワールドに住んでいる人など、同じ状況下でも人によってまったく違うということです。

では、なぜそもそも違う投影ワールドができるのでしょう?

それは、私たちの潜在意識(心理学では意識全体の96%と言われている)の中に自分が気づいていない自分への否定、抵抗、抑圧があるからです。

抑圧されたものは必ず外に投影されます。ので、見るところは潜在意識の中にある「自分への否定」です。これがあらゆる形で苦しみを生みます。

また、気づいていないネガティブな感情の抑圧がたくさんあれば、それだけでかなり苦しいです。

瞑想すると抑圧の蓋が開いて、これらの感情、感覚がよく吹き出し、多くの人は瞑想のせいだと思ったりしますが、単に自分の中に未解消のネガティブな感情がたくさんあるということです。

さて、この自分の中の自分が気づかない否定、抵抗、抑圧を解消していくことをインドでは「プログレッシブ・パス」と呼んでします。精神を浄化するという言い方もしたりします。

ある程度自分の中をきれいにしたと判断されたとき、グルから真実のメッセージを聞かせてもらえるという道です。

自分が苦しいとき、私たちは非二元のメッセージを苦しみを解消する方法として聞いてしまいがちです。つまり、メッセージそのものを歪めて聞いてしまうんですね。

ちなみにプログレッシブ・パスの一見反対である「ダイレクト・パス」は、先に自分の本質を知ってしまおうというものです。しかし、自分の本質を知った後でも、自分の中に自分を幻想(投影ワールド)の中に引きもどすものがあれば、それをきちんと見て行こうと私の先生であるルパート・スパイラなどは言っています。

とりあえず心理セラピストとして、自分の心の奥に自分で気づかない幻想(投影ワール)を深く握りしめながら、真実に目覚めるというのは単純に難しいなぁと思います。

まずは、自分の幻想から目覚め、そして自分そのものから目覚める。もし苦しいなら、そのほうが早道かもしれません。

ので、いつもの結論に戻ってしまいますが、苦しいならセラピーを受けよう♪

 

★★★ インテグレイテッド心理学 ★★★

2019年5月25日(土)、26日(日)東京

自分が今経験している世界は投影?

ありのままの世界を見てみませんか?

抑圧と投影のしくみ、意識の3段階、自我の心のしくみ

講師:溝口あゆか

講座の内容など詳細はこちら→☆

目は臓器であって、捉えた風景に気づけない

いまここにすべて真実は露わになっていて、
どこかに探しに行くから、私たちはどんどん遠ざかる。

気づきの意識が私たちの本質だよ~と言うと、気づきの意識を捉えようとする、
こういう感じ? これかな?

いえいえ、もう自分がいることに気づいていますよね?

なぜ?

気づいている意識があるから。

終わり。

(ここで思考がバタバタする)

“それって、個人の意識じゃないの?”
“五感が捉えているんでしょ”
“脳が捉えているんでしょ”
“ぜんぜん愛とか受容とか、無限とか感じないんだけど”
“分からない・・・、どういうことだ”

個人の意識とか、五感や脳が捉えている・・・とか考え始めると、単に考えの中に埋もれていくだけでしょう。

ので、

自分がいることに気づいている

時間が経過していることに気づいている

自分がパニックっていることに気づいている

自分が空間を移動していることに気づいている

呼吸と部屋の外のサイレンの音にも同時に気づいている

つきあげるような孤独感とテレビの画面に同時に気づいている

かすかな感覚から世界の大事件まで気づいている

あらゆる思い、感情、感覚、
あらゆる出来事、事件、事象

すべてに気づいている。

これが気づいている意識。

これは体験による明白な理解ですね。

ので、終わり、以上。

(思考はまだバタバタする)

“でも、目がテレビの画面を捉えて、耳がサイレンを捉えて、脳が認知をしているんじゃないの?”

目は臓器であって、目は捉えた風景に気づかない
耳は臓器であって、耳で捉えた音に気づけない
脳は臓器であって、脳で捉えたものに気づけない

体が体に気づいているのではない。臓器がそれらを経験しているのではない。

気づきの意識が、目で捉えた風景、耳で捉えた音、脳で認知したもの、反応にしたものに気づいている。

カメラは映しだした風景を経験しているだろうか?
レコーダーは捉えた音を体験しているだろうか?
AIはプログラムされたものを経験しているだろうか?

あゆかの目が見たもの、あゆかの耳に聞こえた音、あゆかの体に感じた感覚、浮かんできた思い、あゆかの脳が反応した恐怖、喜び・・・。

あゆかは、この固有の体、思い、感情につけられた名前。
つまり、あゆか=固有の体、思い、感情

でも、体、思い、感情はすべて気づかれるもの、

だから、あゆかは気づいているものではない、それらを経験しているものではない。

では、あゆかのあらゆる動きに気づき、それを経験している何?

考えずに・・

ただ、

見る!

 

★★★ インテグレイテッド心理学 ★★★

2019年5月25日(土)、26日(日)東京

自我の心のしくみを知って、人生の悩みをひも解いてみませんか?

講師:溝口あゆか

講座の内容など詳細はこちら→☆

★★★ EFTプラクティショナー講座 ★★★

2019年4月27日(土)~29日(月)3日間

思いと感情と体の自我の三位一体に働きかける癒しのツール♪

講師:EFTマスタートレーナー・溝口あゆか

詳細はこちら→JMET・EFT講座

★★★

ノンデュアリティと癒しのカフェ in 名古屋

非二元の本質について、自我の構造、苦しみのしくみ、デモカウンセリングなど

日程:2019年4月21日(日)
時間:10時半~16時半
場所:愛知学院大学名城キャンパス(2502、2503教室)
http://www.agu.ac.jp/project140/campus/access.html
参加費:8千円
【申し込みフォーム】
https://www.form-answer.com/applications/TMMFK

欲望と恐れ、そして本質への回帰♪

今回は悟りのマスターの言葉の引用から始めようということで、

ニサルダガッタと質問者の会話の中です。

ニサルダガッタ:“人間の行動が欲望と怖れに支配されている限り、あまり希望は持てません。人が間違ったものを欲し、正しいものを恐れてしまうとき、カオスと絶望を生み出します”。

質問者:“何が正しくて、何が間違っているのでしょうか?”

ニサルダガッタ:“おおまかに、苦しみを生み出すものは間違っていて、苦しみを和らげるものは正しいと言えます。”

癒し業に携わっていると、これはまさに本当だなぁと思うのです。

例えば、幼い頃に虐待を受けて、自己価値が地に落ち、愛の飢えが非常に大きい場合、当然愛を求める衝動が自動的に生まれます。

ところが親に求めてももらえず、また恋愛や友人関係もうまくいかない場合、どこに目を向けても愛が得られないと感じ、苦しくなってしまいますね。

こんな場合、この人が愛を求めるのは間違っているのでしょうか?

ある意味そうなんです。

これは人類がみ~んなやってしまうことですね。自分の中にない(と感じる)ものを外(他者)からもらって埋めようとしてしまう。

でも、得られない→苦しい。

愛や幸せを外に求め、それが得られないのではと恐れ、またはたとえ得られても、なくなるのではと恐れる。(本当に私のことを愛している? 私は認められている? 私は大丈夫?)

もちろん私も疲弊するほどこれをやりました。

愛を求め、経済的な安定を求め、存在価値を求め、生きがいを求め、得られない度に空虚感、絶望感にさいなまれ、生きていても仕方がない・・・・と深いため息。

でも、まず大切なことは外に求める声をきちんと受け止めてあげることですね。自我が必ずやってしまうごく自然な間違いです。

間違いとも言えないぐらい。だから、受け止めてあげる。

そして苦しみを本質、真実に帰る道しるべとして、自分がほんとうにほんと~~に求めているものは何なのか?を見つめていきます。

分離していると思い込んでいる自我には、自動的に恐れがビルトインされていると同時に、本質に帰りたいという欲求もビルトインされています。

なので自分が求めているものを徹底的に見て行けば、すべての欲求は必ず本質回帰への欲望に行きつくんです。

徹底的に見るには、少しスキルが必要かもしれません。でも、“それが手に入るとどんな気持ちになれる?”という問いをひたすら続けるのも一つのやり方です。

お金が十分に手に入ったらどんな気持ちになる?→安心する→“安心できたらどんな気持ちになれる?”→“平和な感じ”→“平和になれたらどんな感じになれる?”→自分が全体に溶けている感じ・・・などなど、どこまでもやってみます。

これをやったからといって飢え自体がなくなるわけではありませんが、自分がほんとうは何を求めていて、どこへ向かえば良いかは見えてくるでしょう。

話を戻して、本質を求める最大のメリットは必ず得られるということですね。失敗率ゼロ。

というか自分はすでにそれそのものであって、一度も本質から分離したことはない。だから、得るという以前の話。

でも、私たちの多くは自分を見つめることを恐れ(抵抗感として現れる)、外に求めるほうが楽だと考えがちです。

悟りもその一つ。自分を見つめるよりも、真実を(外に)求め、理解しようとする、到達しようとする。

でも、真実は見つけるものでも、理解するものでも、または到達するものでもなく、自分の中にある唯一捉えることができず、いつもあるもの。

そして、そこにただある。

チルチルとミチルが遠くに探しに行きすぎたように、ほんとうは始めからここにある。

PS: 愛を求める自分をセラピーなどで癒すことももちろんおススメです。喉の渇きがひどいとき、とりあえず水を飲んで落ち着ついた自分にすることも大切ですね。(ちなみに水を飲んで落ち着くと、悟りに興味が無くなる人も多い)

 

★★★ インテグレイテッド心理学 ★★★

2019年5月25日(土)、26日(日)東京

自我の心のしくみを知って、人生の悩みをひも解いてみませんか?

講師:溝口あゆか

講座の内容など詳細はこちら→☆

★★★ EFTプラクティショナー講座 ★★★

2019年4月27日(土)~29日(月)3日間

思いと感情と体の自我の三位一体に働きかける癒しのツール♪

講師:EFTマスタートレーナー・溝口あゆか

詳細はこちら→JMET・EFT講座

★★★

ノンデュアリティと癒しのカフェ in 名古屋

非二元の本質について、自我の構造、苦しみのしくみ、デモカウンセリングなど

日程:2019年4月21日(日)
時間:10時半~16時半
場所:愛知学院大学名城キャンパス(2502、2503教室)
http://www.agu.ac.jp/project140/campus/access.html
参加費:8千円
【申し込みフォーム】
https://www.form-answer.com/applications/TMMFK

夢と知って、夢を生きる♪

私たちが現実だと思っているものは、実は夢なんだよ~ということを見分けるには、
やっぱりラマナ・マハラシから始まった“私は誰?Who am I”という自己への問いかけは、
欠かせないと思うのです。

正確に言えば、私は誰?よりも私は何?のほうが固体感がなくて良いかもしれません。

分離した個である自分が夢の中のキャラクターではなく、実在するものであるという前提でいくら真実を求めても、夢の中をうろうろ歩き続けてしまうでしょう。

なので、目指す方向性は、自分が何かのアプローチを通して目覚めていくというものではなく、自分という夢から目覚めること。

この違いは大きいですね。

自分目覚めるのか?

または、

自分から目覚めるのか?

夢の中の自分ではなく、本質である“私”(I AM)から現象を見てみると、
それは見事に流れていて、何一つ留まらず、すべては跡形もなく消えていき、
まさに諸行無常の響きあり、ただ春の夜の夢の如しですね。

ラマナ・マハルシに見えているほどのクリアさは、私には到底ありませんが、
それでも、夢に引き込まれて体が緊張してきたとき、
本質に寄り添い、過去に起きたこと、今起きていること、将来起きそうなこと
を眺めると、それらはただ静かに流れているだけ。

過去への後悔、今への努力、将来への不安なども夢の一部であって、
様々な感情や思い、ストーリーを生きていることも、
本質的にはすべて無害で消えていくもの。

どんなにおぞましいことをしてしまった自分もいないし、
どんなに素晴らしいことをした自分もいない。

嫉妬の渦に巻き込まれていても良いし、善意の塊になっていても良いし、
あらゆるドラマが起きては消えていく。

でも、自我から見れば、この世界にはまずいこと、悲しいこと、悲惨なことがあって、
ぜ~んぶ消えていく夢だね~って言っていいの?と思うかもしれません。

本質は自分でないものを目覚めさせようとする衝動があり、それは言い換えれば、
愛ではないものを愛に返したいという衝動。

分離した個であると信じることから起きる恐れ、そしてそこから生まれてくる
様々な心的な葛藤、抑圧、投影、防衛、攻撃。

それらを愛に返したい、と、同時に誰も本質的には悪くなく、
そして誰もダメージも受けていない。

夢の中でも夢から目覚めていても、一貫してあるのは“愛に帰る”という衝動。

虐待されている子どもを救いたい(愛)という衝動が起きたら、
それを“でもどうせ夢だし”という思考で押さえつけたりしない。

ハートに寄り添うと、思考が静まり、私たちは今ここに戻ってきますね。

だから、思考よりもハートがあなたが帰る道しるべ♪

 

★★★ インテグレイテッド心理学 ★★★

2019年5月25日(土)、26日(日)東京

分離した自分という思いを持った瞬間、どんな心のしくみが生まれるのでしょう?
自我の心のしくみを知って、人生の悩みをひも解いてみませんか?

講師:溝口あゆか

講座の内容など詳細はこちら→☆

★★★ EFTプラクティショナー講座 ★★★

2019年4月27日(土)~29日(月)3日間

思い、感情、体の三つに同時にワークできるツール♪

講師:EFTマスタートレーナー・溝口あゆか

詳細はこちら→JMET・EFT講座

★★★

ノンデュアリティと癒しのカフェ in 名古屋

非二元の本質について、自我の構造、苦しみのしくみ、デモカウンセリングなど

日程:2019年4月21日(日)
時間:10時半~16時半
場所:愛知学院大学名城キャンパス(2502、2503教室)
http://www.agu.ac.jp/project140/campus/access.html
参加費:8千円
【申し込みフォーム】
https://www.form-answer.com/applications/TMMFK

“私”という感覚に隠されている真実♪

突然ですが、私という感覚は全員に共通してありますよね。

私がいる、私が話している、私が歩いている、私が・・・・・。

この「私感覚」=「気づいている意識」である、と言ったら驚くでしょうか?

空即是色、空と色は絶対分けられない、空と色の二つがあるのではない(=非二元)ということを思い出してみてください。

ちなみに、二元と非二元というように分けないでくださいね。二つではないと言っている意味が台無しになります。

いまここ、存在のすべてが非二元、空即是色、色即是空です。

ということで、「私という感覚」に戻ると、私感覚の中に二つの違う性質のものがあるはずです。

それは、気づいている意識(空)と気づかれているもの(色)。

もしあなたがメガネをかけていたら、鼻にメガネがかかっている感覚は、気づかれているものですね。

もし、あなたが今ウキウキしていたら、自分がウキウキしていることに気づいていますね。なので、ウキウキ感は気づかれているもの。

または、もし不安を感じていたら、自分が不安になっていることに気づいていますね。なので、不安も気づかれるもの。

悟りって、真実って~~と考えていたら、自分が何を考えているのか気づいていますね。ので、その考えもぜんぶ気づかれているもの。

そうやって見ていくと、私たちが普段主体だと思っている自分は、ぜんぶ気づかれる側のもの(客体)です。

気づくことができるということは、感覚や感情、思い以外の何かがないとそれらがあることが分かりません。

一つの思考が沸いて、一つの思考が去っていったと分かるのは、そこに去らないものがあるからですね。

ずっとそこにあり続けているもの、変化に気づいているだけで、決して変わらないもの。何かが生まれて、消えていくことに気づける意識。

それが気づきの意識で、もう一つあなたの中にある性質です。

思いや感情、体の感覚は現れて去っていくけど、“私という感覚”が去ったことはありますか?

意識と思考をいっしょくたにしている人は多いのですが、自分が何を考えているのかなぜ分かるのだろう? また、どうして変化が分かるのだろう?ときちんと見つめれば、そこに常にあって変化しない何かがあるからこそ分かることが見えてくるはずです。

奇跡のコースに「神の性質とは、純粋な精神であり、変化がなく、形もなく、永遠である」とあります。この神という言葉を気づきの意識と変えて読んでいただければ、同じことを言っていることがわかりますね。

また、奇跡のコースでは続けて、「だからこの世は実在ではない。この世は変化し、永遠であるものがなく、形を持っているのだから」とあります。

気づくことができるものは、すべて現れては消えていきます。しかも、どんなに強固なものに見えても、一瞬一瞬変化をしています。例えば、家具が5年間シンピカで6年目に一気に古くわけではありません。

一瞬、一瞬変化しているもの、次の瞬間に形が変わるものを「実体」と言えるでしょうか?だからこの世も私もあなたも実体のない夢なんですね。

さて、「私感覚」にもう一度戻って、違う言い方をすれば、そこには「気づいている私」と「気づかれている私(自我)」がいます。

私たちの一つの大きな勘違いは、この二つの私をいっしょくたに「私」という一人の個体だと思い込んでいることです。

もっと言い換えれば、変化するほう、気づかれているほうを自分だと思っているんです。

そして、自分の思い、感情、感覚に気づいている意識を個体の意識だと思ってしまうことです。(だって、自分の思いしか分からなくて、隣の人が何を考えているかなんて分からないし・・・と)

個人、個人の分離した意識があると。

では、例え話ですが(たとえ話はいつも途中で限界があるけど)、気づいている意識を大海だとします。そして、大海の中に水槽を入れたとしますね。その水槽には金魚が泳いでいます。

水槽の中の水は大海と分離した水でしょうか?

それともガラスで一見区切られているだけで、実際は大海とつながっているでしょうか?

また、水槽の中の水は大海と違う性質でしょうか?それとも同じ?

水槽の中の水は、水槽の中の金魚しか気づけないかもしれません。なので、一見大海と分離した個の水があるようかに思えるでしょう。

さ~て、これはたとえ話なので、実際にはもちろん水槽のようなガラスの仕切りはありません。でも、大海がどんな小さな波にでもなれるように、その可能性に限界がない気づきの意識がたくさんのミクロ化した意識を生み出すこともできるでしょう。(←最後の一文は私の想像です)

でも、大海がどんな形になっていようと、その性質はまったく同じものですね。小波であろうが荒波であろうが、そこにただあってみれば、大海の自分が感じられるはずです。

気づいている意識もただあってみたとき、どんなに観察しても、そこに何の区切りもなければ、形もなく、そして常にそこにあることが分かるでしょう。

私たちの本質はこの気づいている意識であって、金魚のほうではないんです。

さぁ、ここまでの話だと、気づいている意識と気づかれるものの二つがまだありますね。

見るものと見られるもの。主体と客体。

ということで、いつもの大海と波の例えに戻ります。先ほどの水槽の話はすっかり忘れてみてください。

大海が穏やかな小波になっているとき、その大海という主体が、分離した小波という客体を作ったのでしょうか?

大海は小波にはなれますが、小波を“見る”ことはできるでしょうか?

大海が気づきの意識だとしたら、小波があることに気づいているのは、小波自身?それとも大海?

小波がゆらゆらとしているのを経験しているのは、小波?それとも大海?

自分は小波なのだ!と強く同化すれば、あたかも小波が自分を経験しているように思えるでしょう。でも、自分は大海だったと分かったら、小波の中に誰か経験者はいるでしょうか?

二つの違う角度からの違う例えで、もしかすると混乱してしまった方もいるかもしれません。

でも、一番お勧めは、このたとえ話を読んでじ~っと考えるのではなく、実際に観察してみることです。頭で理解できたと思ったら、たぶん何かが違うでしょう。

自分の中にある気づいている意識と気づかれるものを徹底的に見てみる。思考を一切介さないで。(思考は気づかれる側のほうでしたね)

そして、気づけることができるものをすべて自分じゃないとしたら、残っているものは何でしょう?

その唯一残ったものに、ただあってみてください♪

 

★★★ EFTプラクティショナー講座 ★★★

2019年4月27日(土)~29日(月)3日間

思い、感情、体のつながりや働きを実感してみませんか?

講師:EFTマスタートレーナー・溝口あゆか

詳細はこちら→JMET・EFT講座

★★★

ノンデュアリティと癒しのカフェ in 名古屋

非二元の本質について、自我の構造、苦しみのしくみ、デモカウンセリングなど

日程:2019年4月21日(日)
時間:10時半~16時半
場所:愛知学院大学名城キャンパス(2502、2503教室)
http://www.agu.ac.jp/project140/campus/access.html
参加費:8千円
【申し込みフォーム】
https://www.form-answer.com/applications/TMMFK

 

 

自我の真の望みは自分の消滅?

もしかすると私たちは「悟り」という言葉に幻想を抱き過ぎているのかもしれません。

悟った人の脳の状態は~~である・・・、

悟った人は常に心が穏やかである・・・、

悟った人は風景が自分とは違って見えている・・・、

というような。

または、

悟れば、悩みがなくなる、苦しみが消える、いつも受容と喜びを感じていられる・・・、

というのもあるかもしれません。

とりあえず、私はこういった幻想の中に長く深くはまっていましたので、一瞥体験をするまで自分には悟りは無理、関係ないものだと思っていました。

ただ、ティーチャーのメッセージは好きだったので、自分のためにあれこれ読んでいたものです。

自我はものごとを複雑にするのが大好きで、また複雑なものを理解したときに、あぁ~~、なるほど、それが真実か!と分かるもの・・・というストーリーも抱きがちかもしれません。

でも、もし悟りの定義が、「真実を知ること」だとすると、シンプルになればなるほど、それは否定しようもなく常にいまここにあって、ちょっとした問いをすれば、それは誰もが分かるはずです。

ちょっとした問いとは、

ラマナ・マハルシから始まったSelf Inquiry(自分への問いかけ)で、例えば、“私はなにもの? Who am I”など。

このときのコツは、頭で考えずに、今起きていることをじかに観察することですね。

“体、思い、感情、感覚を所有し、コントロールしている私はどこにいるのか?”

“個の私という感覚は一番どこに強くあるのか?”

“その感覚は何でできているのか?”

“所有者の私が見つからないのなら、経験しているのは誰?”

自然観察をしているかのように自分に問いかけ、見つめていく。

葉っぱの生態が知りたかったら、葉っぱについて考えるより、できるだけ正確に観察したほうが良いですよね。

それと同じで、自分について知りたかったら、考えないで、できるだけじっくり観察したほうが良いでしょう。

こういったシンプルでダイレクトな観察で、誰もが真実を知る(=思い出す)ことができるはずです。

そして、このシンプルでダイレクトな問いは、“私”を分解し、その存在の幻想性を見抜くので、“私が悟った”にはなりようがありません。

ノンデュアリティという言葉が入ってきたころ、“私ができることは何もない”という言葉に、“じゃぁ、何もしないほうが良いんだ”と、思った人もそれなりにいたようです。

が、私が悟ろうとすれば、自我を強めますが、私を分解する方向で見つめていけば、それは自我の崩壊につながります。

個の所有者、行為者、経験者がどこにも見つからないこと、

思考は勝手に浮かんできていること、

思考と感情と感覚、体という見事な連結プレーだけがあること、

私が癒しで目指していることも、ストーリーの改善ではなく、ストーリーの解体です。“無力な私”を癒して、“できる私”にすることではなく、無力な私そのものが幻想であると知ってもらうことです。

改善されたストーリーの中で、できる私を維持するよりも、解体して、気づきの意識が土台となったとき、ほんとうに休まった気持ちでいられるでしょう。

自我が真に望んでいること、つまり、真実を知りたい、楽になりたい、真の平和を感じたいという欲求の行きつく先が、自分の消滅であるというのは、ある意味ショッキングなことです。

でも、言い換えれば、それは真の私がもう幻想の私をやめて真の自分に戻りたいという熱い欲求ですね。

ただ、それにほんとうに気づくまで、自我は自分の生き残りに全人生をかけ、自分がどうしたら楽になれるか?どうしたら人生をうまく生きていけるか?ということに情熱をかけていくのでしょう。

もちろん、それも悪いことではなく、今その人に起きている生命の衝動ですね。

でも、きっとどこかの段階で人生が苦しすぎて、または人生のドラマに飽きすぎて、または純粋に疑問が浮かんで、自分の生き残りよりも、本質、真実へ帰りたい欲求が上回るのかもしれません。

と、考えれば、人生が苦しすぎて行き場がないと思ったとき、人生の意味って何だろう?という本質的な思いが自然に沸いて来ることは、ホームカミングへの大切な岐路で、悪いことではないですね。

つれづれに思うまま書いてきましたが、久しぶりに名古屋でノンデュアリティと癒しのカフェを開催しま~す♪

自我の解体と問いのデモなども致します。(なんかマグロの解体ショーみたいな言い方)

皆さんと直にお会いし、カフェにいるかのように気軽にやりとりができたら嬉しく思います♪

 

☆☆☆ ノンデュアリティと癒しのカフェ in 名古屋 ☆☆☆

非二元の本質について、自我の構造、苦しみが生まれるしくみ、デモカウンセリングなど

日程:2019年4月21日(日)
時間:10時半~16時半
場所:愛知学院大学名城キャンパス(2502、2503教室)
http://www.agu.ac.jp/project140/campus/access.html
参加費:8千円
【申し込みフォーム】
https://www.form-answer.com/applications/TMMFK