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ノンデュアリティは人を救うの?

悟りやノンデュアリティは人を救うのだろうか?

実はこの問い自体がとっても自我目線ではあるけど、お釈迦さまの旅もそこから始まったわけで、自我の永遠のテーマなのかもしれません。

でも一方で、“ノンデュアリティは人を救うものではない”というメッセージも耳にすることでしょう。で、それはある意味まさにその通りです。

ノンデュアリティ(真実)は人を救うのではなく、人から目覚めさせるものですね。

自分がどう生きるのか?ではなく、自分という夢から目覚めるんです。

私の苦しみを和らげるものではなく、“私の”苦しみから目覚めさせるんです。

“私はなんだか生き辛い。(生きる意味って何?)”

“私の体はこんなふうになってしまった。(どうして自分に起きたの?)”

“私の人生はまったく思った通りになっていない。(私の何がまずいのだろうか?)”

“恋愛の執着が手放せない。(自分はダメな人間だ)”

“経済的な不安を抱えていてストレスだ。(なんだかんだ言ってお金がないと・・)”

“病気の家族の介護が大変すぎる。(なんて人生なんだ!悲しい・・)”

“最高の医者でも、自分の病気を治せない。(どこにも救いはない、絶望・・)”

これだけ情報社会になっても、こういった問いに答えてくれるものは、今でもやっぱりどこにも見当たらないでしょう。

とりあえず、自己啓発やスピリチュアル、宗教、そして、ノンデュアリティ・・・。

でも、ノンデュアリティは、人を救うものではないと言われる・・・。

ですが、真実がもしこういった問いに手を差し伸べるとしたら、それは、すべて100%いつも受け入れられているということ。

あぁ、それなら知っている、何度も聞いた、目新しくない・・・などと自我は言うかもしれません。

でも、その無条件の受容は徹底的に静かなまま、有無を言わせず、真実だけが持っている圧倒的なパワーを見せてくるのです。

その受容のパワーに触れたとき、自然と抗う心は落ちていき、すべての緊張を手放して良いんだということが分かるでしょう。

私たちは、苦しんでいるとき、人生がうまく行っていないとき、深いレベルで自分や自分の人生をものすごく否定しているものです。

そして、その否定の下に“本当は幸せでありたい”という一縷の望みを持っているでしょう。

否定することも、幸せでありたいと願うことも、自我にとって当たり前の思いであって、もちろん悪いものではなく、というか、愛おしい声たちです。

それらの声をひたすら理解し、受け入れていると、もしかすると、聞こえてくるかもしれません。一番望んでいるのは、自分を明け渡すことだったと。

そして、そのとき握りしめていた一縷の望み中に、大きな緊張を自分がずっと抱えていたことにも気づくかもしれません。

自分や自分の人生がかかっている大きな緊張。自分の人生を良いものとしたい。愛おしく、健気な望みでもあり、でも同時に、握りしめすぎて苦しみともなる。

でも、もうそれも手放しても良いのだと知るでしょう。

あらゆる出来事も感情や思いもすべて、何一つ悪いことではなく、起きてはならないことなど何一つもない。

運命論でもなんでもなく、どんな苦しみも100%受け入れられていて、そこに操作しようとか、変えようとか、なんの判断もなく、ただものすごい受容の海がある。

それを目の前にして、“どうしたら良いのだろう?”という問い自体が落ちて、サレンダーという「答え」の中に転げ込むのでしょう。

問題が消えることもなく、あらゆる感情も湧き、様々な思いが横切る。でも、それらはもう明け渡されているんです。

私のものでもなく、誰のものでもなく、本質にゆだねられる。

それは個の夢の終わり、目覚めの始まり♪

PS:いつも書いていますが、今どうしても苦しいという場合は、セラピーをお薦めします。ぎっくり腰の痛みをノンデュアリティでどうにかしようとしないのと同じ。(*^_^*)

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東京ノンデュアリティと癒しのカフェ

満席、キャンセル待ち募集中

日時:6月4日(日)13時半~16時半
場所:あうるすぽっと3F (有楽町線:東池袋)
http://www.owlspot.jp/access/index.html
参加費:5000円
申し込フォーム
https://www.form-answer.com/applications/4BKXF