おそらく、自我の抱くフラストレーションは、ものすごく当たり前だし、どうしようもないのですが、「悟りたい」と思うのが自我(いわゆる「わたし」)だということです。
例えば、「悟りとは、自己の不在だ」という言葉などもあきるほど聞いているので、
自我が自我が乗り越える、
自我が自我を排除しようと頑張る、
自我が自我を悪者にする、
または、
自我が消えた世界を見届けて、満足したい自我がいる・・・
という超矛盾ワールドにあっという間にはまってしまうことです。
私の中に「自我」という存在があると思って、それを乗り越えるのだ!と思い込んでいる人もいるでしょう。
私も見事すべてにはまっていました。
そして、「自分がいない感覚」を「自分が」感じれば良いのだ、という超矛盾したことに気づかないまま頑張っていたり。
ちなみに、私はそのループにはまっていると気づいた瞬間に「なにかしよう」と頑張っている感覚を緩ませ、何もしないままで死んだふりをしていました。
死んだりふり、お薦めです。
で、これは、自我がもつ最大のフラストレーションなのではと思いますが、他に陥りやすい悟りの罠を考えて見ました。
- 自分が描く「悟り」のイメージがはっきりあって、それを目指そうとしている
- 悟ったら、なにか良いことがあると思っている(苦しみに終止符を打てる、世界のしくみのすべてが分かるようになる、病気が治る、引き寄せのパワーが強まる、などなど)
- 「わたし」という実体があって、それがいつか悟るものだと思っている。つまり、自分がいることが前提となっている。
- スピリチュアルな覚醒を描いている(高次な存在とつながる、ワンネスを感じるなど)
- 一度覚醒体験、見性体験をして、自分は悟ったと思いこんでしまう。
- 悟りとは難しいもの、特別なものだと思っている
- ある特定の状態(平和で愛に満ちている、など)にいつもいなければいけないと思っている
他にもあるかもしれませんね。
いずれにせよ、おそらく私たちにとって一番難しいのは、「シンプルになる」ということかもしれません。
あまりにシンプルだと、思考が「まさか、あの“悟り”だよ。こんなシンプルなはずがない」などと口を挟んできて、シンプルな事実に留まるより、“ラマナ・マハルシがこういった・・・”みたいな世界へ連れて行ってしまったりするのでしょう。
でも、一番、努力しない状態、な~~んにもしなくても、いつもあるもの。
例えば、呼吸は自動的に起きていますよね? でも、ときどき意識しないとものすごく浅い呼吸になっているかもしれません。かつてもう一つのブログでものすごく苦しい(精神的に)と訴える人に、とりあえず深呼吸をしてみたらと書いたら、“そんな心の余裕はない!”と文句を言われたことがありました。(深呼吸は、脳の状態を変えるのに役立つのですよ♪)
でも、そのものすごく苦しんでいる人も、深呼吸はできなくても、自分が苦しんでいることはいともたやすく分かっているんです。一切の努力もなく、な~~んにもしないけど分かっているんです。
なんの努力もしないのに、いつもあるもの。ただただとにかくある。いっつもある気づいている意識。
それだけ、終わり。
このシンプルさ。
このシンプルさに一度留まってみませんか?
そして、それが真の自分だと認識すれば、とりあえず悟りの迷子にはならないですね♪