自我はけっこう自分をもてあましているから、
「空」への憧れが密かにすべての自我の中になあるのかもしれない。
自分が消えて、このうんざりする不幸感をチャラにしたい。
そして、こんな自分は真実とか愛には程遠いけど、
あらゆるものの「非在」、そこにこそ真実という救済があるのだ!
「空性」への憧れ。
そんなものがあるかもしれない。
だとしたら、「色(現象)」はまがい物?
真実を曇らす邪魔もの?
色即是空
空即是色
と言うけど、色(現象)は幻想であってはかないもので、
限りがあって、一時的なもの。本当は何も起きていないし、
結局「空」に辿りつくのだから、「色」を見つめても仕方がない・・・・。
だから「空」を目指すのだ!
「色(自我)」からの解放だ!
でも、忘れてならないのは、空とは何もないという意味ではないということ。
空は、愛であって受容であって、智慧であり、静けさ、そして生命。
あらゆる現象(色)で隅々まで満たされている。
「空」をハートに言い換えてみたらどうだろう?
マインドではなく、ハートを通して世界を見てみたら?
ハートはものごとを解釈せず、レッテルを貼らず、定義づけも
せず、ストーリーも作らない。だから時間も空間もそこにはない。
椅子と机とか、部屋の中の音、外の音、あちら、こちらという
レッテル貼りが消えたとき、
そこには分離のない一連の現象があるだけ。
もしかすると、ハートのあたりにあらゆる感情や感覚を感じるかもしれない。
締め付けられている感じ、悲しみ、罪悪感、悔しさ、焦り・・・
または怒り、空虚感、自己嫌悪・・・。
マインドはうるさく判断し、それらの感情はあってはならないと
言ってくるだろう。
でも、ハートに寄り添ってみると、
すべてが静かに受容されている。
あらゆる感情は何一つ文句なしに、自由にどこに現われてもよくて、
100%無条件に受け入れられている。
そのまま寄り添い続けてみる。
批判や解釈から自由になった感情や感覚は、好きなように変化し、
大きくなったり、小さくなったり、場所が移ったり、形を変えたり、
そして、そのうち周囲のエネルギーに混ざっていくだろう。
でもまた新たな感情や感覚が次々に現れ、思いや記憶も出てくるかもしれない。
それでも、あなたはすべてに降参し、ただハートに寄り添っている。
すると、ハートと感情は決して分けられない、怒りと受容は決して
分けられない、愛と悲しみも分けられない・・・・・、
すべては愛からしか生まれていない!
(ポジティブ、ネガティブの二極の崩壊)
しかも、私はこのすべてを愛していたのだ!
悲惨な出来事もなにもかも!
そのままハートに寄り添っていると、だんだん、ハートとは
気づいている意識の別名であると分かってくるだろう。
そして、自我の私はハートの中で現われては消えていく、愛おしい現象。
自己の不在を知って、はじめて本当の意味で自分を愛するということが
分かるのかもしれない。
色を味わいつくせば、「空」にしか辿りつかない。
でも、その「空」は愛と受容に満ちている。
こんなに近いところにあった愛、静けさ。
そして、世の中で起きる悲惨な出来事を愛で支え、そしてそこから
生まれる衝動(行い)があって、それをやるだけ。