真実や本質を現す言葉は無数にありますね。英語では、Awareness, Pure consciousness, Presence, Being, Reality, I AM, All that is, True nature, などなど。
言葉なので、どれも妥協がついて回ります。
それでも古今東西、いろいろな形で私たちの本質について表現されてきました。
例えば、ペルシャ詩人のルーミーは、何世紀にも渡って多くの人の心を掴む「詩」という形で。また、イギリスの画家ウィリアム・ブレイクが残した作品や言葉の中に。または、多くの童話や伝承の中に。
10年以上前にアンソニー・デ・メーロの「Awareness」という本を読んだとき、半端なく心が晴れたものです。しばらく私のバイブルでしたが、そのときはそれが、ノンデュアリティの視点から書かれたものだとはまったく気づかず、「楽に生きるための本」だと思い込んでいました。
今読み返すと、どうして気がつかなかったのか不思議なぐらいです。たくさん付箋もつけていたのに・・・。
ノンデュアリティという表題の本や話だけが真実を語っていると思ってしまうと、私のようにあちこちに散りばめられている真実を見逃してしまうかもしれません。
また、ノンデュアリティのメッセンジャーも様々なタイプがいますね。
ある人は究極のレベルのみ発信し、
ある人は月が真実だとしたら、その月をさす指を語り、
ある人は自我の機能を多く語り、
ある人は比喩や例え話の中に織り込んでいく・・・
ラマナ・マハルシの「私は誰?」から始まったダイレクトパスも、
ニサルガダッタが師に言われた「あるに留まる」ことも、
すべて真実をさす指。
真実をさす指を真実そのものだと勘違いしない限り、
指をさすほうに顔を向ければ、それは私たちを夢から
本質(現実)へと導いてくれるかもしれません。
または、あるメッセンジャーの言葉で、あなたの心が深い闇から
ふと、真実へ目覚め始めることもあるでしょう。
これらの多様性のすべては現象が生み出す不思議なダンス。
一つのこれこそがノンデュアリティなのだというドグマに陥らずに、
それぞれがそれぞれのダンスを舞いながら、目覚めていく。
そして、自分のダンスを踊るためには、隠れた欲望や思考に惑わされずに
自分の本心に留まっている「正直」さでしょう。
私は一体何を求めているのか?という本心に。
それさえ分かっていれば、あとは自分のダンスを踊るだけ♪