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私たちは眠った神♪ この世は眠った神の夢

ものすごくしつこいけど大切だから何度も立ち返りたい♪

非二元とはどういう意味だろう?

二つじゃない。何が二つじゃないのか?

それは、主体と客体の二つではないという意味。

観察者と観察されるものの二つがあるのではないということ。

つまり、私がご飯を食べているのではなく、
私が映画を見ているのではなく、
また、私が音楽を聴いているのではない、ということ。

どういうこと?

まず、見ている私というのがほんとうにいるのか“今ここ”を見つめてみませんか?

このブログでは何度も書きましたね。

体の持ち主はいる?思いや感情の持ち主はいる?
それとも、体、思い、感情があるだけ?

では、その体、思い、感情のほんとうの持ち主は誰(または何)?

気づいている意識にあり続けたとき、すべては気づきの意識である自分の中で起き、そして起きているすべては気づきの意識そのものであると見えてくるはず。

つまり、気づいている意識しか存在していないということ。

言い換えれば、すべては神であるということ。

えっ、では、なんで世の中にはこんなに醜いこと、悲惨なことが起きるの?

気づいている意識(神)は、神羅万象のすべてであり、惑星、地球、宇宙に存在するすべて、または暖かさ、寒さ、明るさ、暗さ、透明、不透明、どんな形にもどんな状態にもなり、その可能性は無限だ。

そしてその無限の可能性の一つが、神である自分を忘れる、眠るということ。

眠った神は、自分は分離した個人であるという夢を見て、それが現実であるとすっかり思い込み、自分は何か足りないと思い始める。

自分は何かが足りない、自分を守る必要がある、生き残るために手を尽くすのだ。

人よりも優位に立ちたい、他国よりも資源を持ちたい、自分の欠けた感覚を他人をコントロールすることで埋めたい、分離している相手よりも自分が大切だ・・・。

そうやって眠った神は夢の中であらゆる“現実”を生み出し、あらゆる経験をする。

でも、夢を見て、夢を経験しているのは誰だろう?

あなたが夜夢を見て、夢の中でライオンに追っかけられたとして、それを見ているのは夢の中の追っかけられているあなた?

それとも夢を見ているあなた?

そう、この世は神が自分を忘れて、神がみている夢。

神しか存在しておらず、二つではない。

あなたがこの世を経験しているのではない。

それが分かれば、あなたはあなたから自由になり、

そしてあなた自身をもっと慈しみ、楽しむことだろう♪

 

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久しぶりにリアルお話会を開催いたします。

日程:10月20日(日)13時~15時半

場所:香音里(東西線神楽坂駅徒歩1分)
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参加費:5000円

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悟りで空腹は満たされないけど・・・。

なんだかんだといって、この人生が大切だ。

明日の食べるもの、今月の家賃、

自己の本質とか非二元ではお腹がいっぱいにならない。

自我は私たちにそうささやいて、私たちを夢にとどまらせる。

自我の一番の目的、そして情熱は、もちろん自分の生き残りだから、

世界を見渡せば、自分を守ること、守るために相手を攻撃すること、
そんな自我たちのふるまいで満たされているようにも見える。

なんていったって、私が生き残ることは大切なのだ、
そうでなければ、私は死んでしまうかもしれない。

生き残るために頑張ってどこが悪い。

でもね、と本質はささやく、

明日が不安な時、生きていける術がないように見えるとき、

静かに耳を澄ましてごらん。

人生を捨てようと言っているのではないよ。

よく見てごらん。

“生き残ることが大切だ”と言っているのは誰?

よく見てごらん。

そこにあるのは、「私という感覚」とその思考だけ。

そしてあたかも、その「私という感覚」がそう言っているように見えるよね。でも「私という感覚」をよく見てみよう。

そこにほんとうに「私」はいる? それとも最後まで感覚があるだけ?

「私という感覚」は、体に属しているのではなく、あまねくすべてを包括し、すべてに浸透している。

「私」の中に世界が現れ、「私」の中に世界が消えていく。

それがはっきりしてくるまで静かに存在によりそってみよう。

そう、生き残らなければいけない「あなた」は幻だと見えるまで。

とても健気で、いとおしい幻。

あぁ、でも、あまりに多くの歴史、あまりに多くの感情、願い、望み、絶望、喜び、そして生きたいという思い。
あまりにリアルで幻だなんて言ってほしくない。

もちろんよく分かるよ。あなたを否定しているわけでないよ。

あなたの心の繊細なひだまで、あなたの本質はちゃんと知っている。

あなたが気がつかない自分の心の隅々まで、ちゃんと受容されていて、愛されている。

あなたがどんなに孤独だと思っているときも、
誰も理解してくれないと思っているときも。

なぜなら、あなたの孤独な思いも本質そのものだから。

あなたは幻だということは、あなたはいなくて、神しかこの世に存在していないということ。

だから私が幻だというとき、それはあなたの生き残りは保障されているということだよ。

それが見えてきたとき、あなたはあなたというユニークな人生を今以上にめいっぱい生きて、
そしてあなたはいつも大丈夫だとわかっているだろう。

だから人生がまさに難しい時、静けさの中に本質の自分を見つけ出してみない?

すべての思考を信じるのをやめてみる♪

なぜ私たちの思考はいつもぐるぐると忙しいのでしょう?

瞑想しようとしても、すぐに何か考えてしまう。
もういい加減考えたくもないのに考えが浮かんできてしまう。
ハートの声を聞こうとしても、すぐ考えに戻ってしまう。

ある意味、私たち、または自我は思考中毒ですよね。

どうしてでしょう?

自我の構成要素とは、思考と感情、感覚、そして体ですね。この要素のどの一つでも欠けると、いわゆる「(個の)わたし」は成り立ちません。

つまり、思考が完全になくなってしまうと、「自我のわたし」は消えてしまいます。

え、ほんと?と思う方は、誰か人数が、“今からあなたから考えるという能力を一切取り去ります。体と感情だけはありますが、考えはゼロになります。”と言われたと想像してみてください。

把握できるものがなくなり、まったくわからない世界に突入していかないでしょうか? 個としての自分がいるかどうかさえ分からない。

そう、自我にとって思考は存在の拠り所でもあるんですね。ですから当然手放せません。なので、基本的に私たちは思考によって安心しようとする強い癖があります。

例えば、何かチャレンジが続いたとき、“神はあなたが乗り越えられないチャレンジは与えない”といった言葉に出会い、そうか!乗り越えられるはずだ、私はその力があるとみなされているだ、大丈夫なんだ、と苦しい中でも安心できます。

この言葉が真実かどうかは実は誰にも分りません。でも、ある思いを信じることで、私たちは安心できるんです。

もちろん、そういう思いを持ってはいけないという話ではまったくありません。自分に力をくれる言葉、前向きにしてくれる言葉は、どんどん活用したほうが良いと思います。私自身もいくつも好きな言葉があります。

または、“心の弱い人が鬱になる”とどこかで読んで落ち込んでいたのが、“鬱は自律神経の不均衡で起きるもので性格とは関係ありません”と知ったら、少し気分が楽になるとか。

鬱であるという状況は変わってはいないけど、“弱い自分”という考えから“自分が悪いわけではない”という考え(理解)に変わって少し安心できますね。

再び、どちらの情報もどこまで真実か分かりませんが、ある思いになる(=ある思いを信じる)ことでちょっと救われる。

こうやってみれば、思考が私たちを苦しめるというより、思考を信じることが私たちを苦しめ、またある思考を信じることで安心するんですね。
ただ、普段の私たちは、思考を信じているという自覚はなく、頭に浮かぶ思いはすべて鵜呑みにして、ただ考えているだけですが。

ともかく、繰り返しになりますが、思考で安心したいという傾向が強いため、大変なときほど無意識に私たちは考えの中で安心する思いを探そうともがきます。 “そうか、そうだよね”と安心できる思考、“なるほど、だからなのか”と腑に落ちる思考、“そうすれば良いのだ!”と解決方法を見出してくれる思考などなどを無意識に探しているんですね。

そう振り返ってみると、悩んでいるときの思考には、“なぜあの人は・・・”、“どうして私に・・・”、“これに何か意味はあるのか?”など、“なぜ?”思考や意味を求める思考が多くないですか?

楽になる思いを見つけて、それを信じることでほっとしたい。心の悩みでアドバイスを求めるのも、誰かの言葉を信じたい。

さて、思いを信じるといえば、自我が究極に信じている“思い違い”があります。

それは、“自分は分離した個であって、個としての自分が世界を経験している”という思い違いです。

エックハルト・トールがいうように「アイデンティティの勘違い」をしているんです。

ということで、思考を止めるというよりは、すべての思考を一切信じることをちょっと辞めてみてください。一切です。

繰り返しますが、思考を止めるより、信じることをやめてみるんです。(思考は浮かんでくるので)

思考というより事実でしょう~というような思い、私がいる、社会がある、世界がある、みたいな思いもすべてです。

な~~んにも信じない。

うまくやれていたら、あなたは未知の世界に突入しているはずです。

そのままそこにじっとしていましょう。

もはや自分の人生を図る尺度もなく、時系列も消えて、なにもかもが定義できなくなっているはずです。

さらに続けてみてください。

自分というものの境界があやふやになり、時系列を失えば、自分の人生もあやふやになり、感情(楽しい、悲しいといった定義も手放す)や体の感覚も捉えられないものになるでしょう。体の所有者が消え、“あなた”とは関係のないものになっていきます。

それでも、“あなた”は完ぺきに存在していますね。すべてがあやふやになっても、存在そのものはあって、そしてただ気づいている。

それだけが唯一の実体で、それがほんとうの「わたし」(I am that I am)です。

そして、その「わたし」があたかも実体があるような「個の私」を経験しているんですね。

これを頭で理解しようとすると迷い子になってしまうかもしれません。

でも、どうでしょう? 思考を一切信じないだけで、本質の自分があっという間に顔をだしませんか?

ここにくつろぐことができれば、何もわからないにもかかわらず、絶対的な存在である自分が安心そのものであると感じるでしょう。

そして、頭で理解できなかったことも、だんだん体験的にわかってくるはず。

ぜひ何度もお試しを~♪

思い通りに行かないという恩寵♪

頑張れば、結果は必ず得られる。
思いやりがあれば、相手は理解してくれるはずだ。
忍耐強さはいつか報われる。

私たちはある結果を目指して、

または

ある人のために、

誠意とエネルギーと努力と時間を尽くして頑張るときがある。

その姿は真摯で、人間の強さ、優しさ、
そして、人生の躍動や美しさがそこにある。

ところが、

人生は往々にして、私たちの夢、努力、誠意、思いやりを裏切る。

こんなに頑張ったのに。
こんなに思いやったのに。
こんなに我慢してきたのに。

それでも人生は“ものごとは思い通りに行かない”という容赦ない真実を突き付ける。

そして、私たちはそれを自分の失敗、人生の悲劇として受け取る。

“神に見放された”
“運の悪い自分は何かがダメだ”
“しょせん報われない人生だ”

ところが真実は、

このとき神(生命)はじっと辛抱強く待っている。
ぴったりと寄り添いながら、

私たちが気づくことを。

絶望の中にいる私たちに
暗闇の中でひざを抱えている私たちを
じっと静かに見つめ続けている。

私たちが気づくことを。

そう、

人生を動かしているのはあなたではなくて、神(生命)なのだよと。

生命にゆだねてごらん。

あなたの人生は私のものだよ。

思いつめないで、体の緊張をゆるめてごらん。

あなたが人生に奮闘しているときに聞こえなかった、生命の歌が聞こえてくるから。

生命に明け渡してごらん。

あなたが本当はなにものなのかが見えてくるから。

あなたは偉大な生命そのもの、

人生に翻弄される小さな存在ではなくて、

あなたは、人生であり運命、成り行き、そして原因であり結果、喜びであり悲しみ、達成と失敗、

あらゆるすべてそのもの、

純粋意識そのもの。

深い息を吸ってみよう、

その息は、あなたの呼吸ではなくて、

純粋意識の息、生命の鼓動

目をつぶって、

人生の躍動に耳を傾けてみよう、

存在のすべてがあなた♪

まずは自分の幻想から目覚めてみる♪

非二元や悟りのメッセージに触れていれば、苦しみは「今への抵抗、否定である」という話をよく耳にするかもしれません。

そこで、

なるほど、受け入れられたら良いのか~と、例えば、

“上司は支配的で威圧的で、自分が自由に意見を言えなくて窮屈だけど、受け入れよう”みたいな無理無理なことをしようとしてしまう人もけっこういます。

もちろん、そういうことではまったくありません。

というか、ざっくりすぎなんです。

まず、そもそも“上司は支配的で威圧的で、自分が自由に意見を言えなくて窮屈”は、自分の投影ワールドですね。

苦しく歪んだ自分の投影ワールドを受け入れるというのは、まったく真実からかけ離れた行動です。

ちなみに、投影ワールドを「思考が現実を創る」と一緒のことだと思う人もいますが、ぜんぜん違います。

まず、上司が支配的で威圧的というのは、自分の解釈です。実際は、上司が何を言ったのか?だけが事実です。また、自由に意見を言えない、も解釈(思い込み)です。

もう少し分かりやすく説明すると、上司が“これを5時までに終わらせて”と言ったとします。終わらせてくれる?ではなく、“終わらせて、以上”みたいな。

確かに見方によっては威圧的に見えるかもしれません。

しかし、ある人はこれを我儘な人、ある人は分かりやすい人、ある人は面倒な奴、などなど、いろいろ受け取り方は違います。

また相手がどんな口調、言い方でも“できません、明日ならやれます”と、普通に返事をする人もいるかもしれません。

ポイントは「威圧的な上司、無力な私」という投影ワールドに住んでいる人、「面倒な上司に冷静に対応する私」という投影ワールドに住んでいる人など、同じ状況下でも人によってまったく違うということです。

では、なぜそもそも違う投影ワールドができるのでしょう?

それは、私たちの潜在意識(心理学では意識全体の96%と言われている)の中に自分が気づいていない自分への否定、抵抗、抑圧があるからです。

抑圧されたものは必ず外に投影されます。ので、見るところは潜在意識の中にある「自分への否定」です。これがあらゆる形で苦しみを生みます。

また、気づいていないネガティブな感情の抑圧がたくさんあれば、それだけでかなり苦しいです。

瞑想すると抑圧の蓋が開いて、これらの感情、感覚がよく吹き出し、多くの人は瞑想のせいだと思ったりしますが、単に自分の中に未解消のネガティブな感情がたくさんあるということです。

さて、この自分の中の自分が気づかない否定、抵抗、抑圧を解消していくことをインドでは「プログレッシブ・パス」と呼んでします。精神を浄化するという言い方もしたりします。

ある程度自分の中をきれいにしたと判断されたとき、グルから真実のメッセージを聞かせてもらえるという道です。

自分が苦しいとき、私たちは非二元のメッセージを苦しみを解消する方法として聞いてしまいがちです。つまり、メッセージそのものを歪めて聞いてしまうんですね。

ちなみにプログレッシブ・パスの一見反対である「ダイレクト・パス」は、先に自分の本質を知ってしまおうというものです。しかし、自分の本質を知った後でも、自分の中に自分を幻想(投影ワールド)の中に引きもどすものがあれば、それをきちんと見て行こうと私の先生であるルパート・スパイラなどは言っています。

とりあえず心理セラピストとして、自分の心の奥に自分で気づかない幻想(投影ワール)を深く握りしめながら、真実に目覚めるというのは単純に難しいなぁと思います。

まずは、自分の幻想から目覚め、そして自分そのものから目覚める。もし苦しいなら、そのほうが早道かもしれません。

ので、いつもの結論に戻ってしまいますが、苦しいならセラピーを受けよう♪

 

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2019年5月25日(土)、26日(日)東京

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講師:溝口あゆか

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目は臓器であって、捉えた風景に気づけない

いまここにすべて真実は露わになっていて、
どこかに探しに行くから、私たちはどんどん遠ざかる。

気づきの意識が私たちの本質だよ~と言うと、気づきの意識を捉えようとする、
こういう感じ? これかな?

いえいえ、もう自分がいることに気づいていますよね?

なぜ?

気づいている意識があるから。

終わり。

(ここで思考がバタバタする)

“それって、個人の意識じゃないの?”
“五感が捉えているんでしょ”
“脳が捉えているんでしょ”
“ぜんぜん愛とか受容とか、無限とか感じないんだけど”
“分からない・・・、どういうことだ”

個人の意識とか、五感や脳が捉えている・・・とか考え始めると、単に考えの中に埋もれていくだけでしょう。

ので、

自分がいることに気づいている

時間が経過していることに気づいている

自分がパニックっていることに気づいている

自分が空間を移動していることに気づいている

呼吸と部屋の外のサイレンの音にも同時に気づいている

つきあげるような孤独感とテレビの画面に同時に気づいている

かすかな感覚から世界の大事件まで気づいている

あらゆる思い、感情、感覚、
あらゆる出来事、事件、事象

すべてに気づいている。

これが気づいている意識。

これは体験による明白な理解ですね。

ので、終わり、以上。

(思考はまだバタバタする)

“でも、目がテレビの画面を捉えて、耳がサイレンを捉えて、脳が認知をしているんじゃないの?”

目は臓器であって、目は捉えた風景に気づかない
耳は臓器であって、耳で捉えた音に気づけない
脳は臓器であって、脳で捉えたものに気づけない

体が体に気づいているのではない。臓器がそれらを経験しているのではない。

気づきの意識が、目で捉えた風景、耳で捉えた音、脳で認知したもの、反応にしたものに気づいている。

カメラは映しだした風景を経験しているだろうか?
レコーダーは捉えた音を体験しているだろうか?
AIはプログラムされたものを経験しているだろうか?

あゆかの目が見たもの、あゆかの耳に聞こえた音、あゆかの体に感じた感覚、浮かんできた思い、あゆかの脳が反応した恐怖、喜び・・・。

あゆかは、この固有の体、思い、感情につけられた名前。
つまり、あゆか=固有の体、思い、感情

でも、体、思い、感情はすべて気づかれるもの、

だから、あゆかは気づいているものではない、それらを経験しているものではない。

では、あゆかのあらゆる動きに気づき、それを経験している何?

考えずに・・

ただ、

見る!

 

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日程:2019年4月21日(日)
時間:10時半~16時半
場所:愛知学院大学名城キャンパス(2502、2503教室)
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参加費:8千円
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欲望と恐れ、そして本質への回帰♪

今回は悟りのマスターの言葉の引用から始めようということで、

ニサルダガッタと質問者の会話の中です。

ニサルダガッタ:“人間の行動が欲望と怖れに支配されている限り、あまり希望は持てません。人が間違ったものを欲し、正しいものを恐れてしまうとき、カオスと絶望を生み出します”。

質問者:“何が正しくて、何が間違っているのでしょうか?”

ニサルダガッタ:“おおまかに、苦しみを生み出すものは間違っていて、苦しみを和らげるものは正しいと言えます。”

癒し業に携わっていると、これはまさに本当だなぁと思うのです。

例えば、幼い頃に虐待を受けて、自己価値が地に落ち、愛の飢えが非常に大きい場合、当然愛を求める衝動が自動的に生まれます。

ところが親に求めてももらえず、また恋愛や友人関係もうまくいかない場合、どこに目を向けても愛が得られないと感じ、苦しくなってしまいますね。

こんな場合、この人が愛を求めるのは間違っているのでしょうか?

ある意味そうなんです。

これは人類がみ~んなやってしまうことですね。自分の中にない(と感じる)ものを外(他者)からもらって埋めようとしてしまう。

でも、得られない→苦しい。

愛や幸せを外に求め、それが得られないのではと恐れ、またはたとえ得られても、なくなるのではと恐れる。(本当に私のことを愛している? 私は認められている? 私は大丈夫?)

もちろん私も疲弊するほどこれをやりました。

愛を求め、経済的な安定を求め、存在価値を求め、生きがいを求め、得られない度に空虚感、絶望感にさいなまれ、生きていても仕方がない・・・・と深いため息。

でも、まず大切なことは外に求める声をきちんと受け止めてあげることですね。自我が必ずやってしまうごく自然な間違いです。

間違いとも言えないぐらい。だから、受け止めてあげる。

そして苦しみを本質、真実に帰る道しるべとして、自分がほんとうにほんと~~に求めているものは何なのか?を見つめていきます。

分離していると思い込んでいる自我には、自動的に恐れがビルトインされていると同時に、本質に帰りたいという欲求もビルトインされています。

なので自分が求めているものを徹底的に見て行けば、すべての欲求は必ず本質回帰への欲望に行きつくんです。

徹底的に見るには、少しスキルが必要かもしれません。でも、“それが手に入るとどんな気持ちになれる?”という問いをひたすら続けるのも一つのやり方です。

お金が十分に手に入ったらどんな気持ちになる?→安心する→“安心できたらどんな気持ちになれる?”→“平和な感じ”→“平和になれたらどんな感じになれる?”→自分が全体に溶けている感じ・・・などなど、どこまでもやってみます。

これをやったからといって飢え自体がなくなるわけではありませんが、自分がほんとうは何を求めていて、どこへ向かえば良いかは見えてくるでしょう。

話を戻して、本質を求める最大のメリットは必ず得られるということですね。失敗率ゼロ。

というか自分はすでにそれそのものであって、一度も本質から分離したことはない。だから、得るという以前の話。

でも、私たちの多くは自分を見つめることを恐れ(抵抗感として現れる)、外に求めるほうが楽だと考えがちです。

悟りもその一つ。自分を見つめるよりも、真実を(外に)求め、理解しようとする、到達しようとする。

でも、真実は見つけるものでも、理解するものでも、または到達するものでもなく、自分の中にある唯一捉えることができず、いつもあるもの。

そして、そこにただある。

チルチルとミチルが遠くに探しに行きすぎたように、ほんとうは始めからここにある。

PS: 愛を求める自分をセラピーなどで癒すことももちろんおススメです。喉の渇きがひどいとき、とりあえず水を飲んで落ち着ついた自分にすることも大切ですね。(ちなみに水を飲んで落ち着くと、悟りに興味が無くなる人も多い)

 

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